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幽霊伯爵の婚約譚  作者: みづき
二章 望むもの
16/18

<7>

 なだれ込むようにしてベッドにヴェルミオンが沈む。

 下敷きになりかけたリゼルは慌てて回避し、弾んだ息を整えた。

「すぐにお医者様をお呼びします」

「いらない」

 力なく横になったヴェルミオンはリゼルの言葉に首を横に振る。

 医者を呼ぶ必要はないと言いながら荒い呼吸を繰り返すヴェルミオンはどう見ても平気そうではなく、リゼルは彼の言葉を撥ねつけた。

「そういうわけにはいきません。熱が上がっているんです」

「薬は、ある。ラシェルに言って……すぐに、治まるから」

「薬があっても、お医者様に診てもらうべきです。こんな急に熱が上がるなんておかしいです」

「必要ない。……医者は、いらない。自分の体のことは、自分が一番わかってる」

「――わかりました」

 本当なら無理やりにでも医者に診てもらうべきだろう。

 駄々をこねるようなヴェルミオンに諦めたリゼルは、苦しそうに眉を寄せたその額に手を当てる。

 やはり熱は上がっており、下がる兆しは見えない。

 これ以上ひどくなるようであれば問答無用で医者を呼ぼうと考え、リゼルはヴェルミオンに話しかけた。

「ヴェルミオン様。何か欲しいものはありますか?」

 額に触れていた手を引こうとするとヴェルミオンがすり寄るように顔を動かす。

「……ん。冷たい」

 手を掴まれ、ヴェルミオンの頬を包み込むように寄せられてどきりと鼓動が跳ねた。

「こ、氷水を持ってきます。他には? 何か食べられますか?」

 ヴェルミオンの吐息が手にかかり、ますます心臓が脈を打つ。無防備なその姿と縋りつくような動作が、まるで甘えているように思えてしまう。

 けれどあくまでも看病の一環であるとリゼルは自分に言い聞かせ、早まる鼓動を静めようと息を吸い込んだ。

 その時、ヴェルミオンが小さく口を開く。

「……クッキー」

「え?」

「リゼルの焼いた、クッキーが食べたい」

 熱に浮かされ潤んだ瞳で見上げられる。

 一瞬硬直したリゼルは心の中でヴェルミオンの言葉を反芻し、慌てて首を振った。

「だめです。もっと消化にいいものを――」

「何を食べられるかって訊いた」

「ですが、熱が出ている時にクッキーは……お菓子はよくありません」

「それ以外いらない」

 まるで子どものような返答にリゼルは困惑する。

 熱が出ているというのに、お菓子を食べるのはいかがなものか。

 食欲がわかないと言われるよりもましだが、こんな時は栄養のあるものを食べたほうが治りは早いだろう。

 けれど頑なに譲ろうとしないヴェルミオンに、リゼルは仕方なく思いながら肩を落とした。

「わかりました。でも、その前にお薬飲んでくださいね」

 こくりと頷くヴェルミオンに苦笑したリゼルは部屋を出、急いでラシェルを探した。

 屋敷は広く、一人ですべてをこなすラシェルは気づけば消えてしまっている。

 今は昼前。この時間なら、昼食を作るために厨房辺りにいるだろうとリゼルは思考を巡らす。

 厨房に入ると案の定ラシェルがいて、飛び込んできたリゼルを不快そうな声で咎めた。

「なんだ、騒がしい。埃が立つだろ」

「薬はどこ!?」

「薬?」

「ヴェルミオン様が熱を出されて、お医者様をお呼びしようと思ったんだけど必要ないって言われたの。薬はラシェルに言えばわかるからって」

 訝しんだ表情が驚きに変わり、ラシェルはすぐに厨房から出て行った。そして小さな木箱を手に戻ってくると、氷水や水差し、タオルをのせたトレーをリゼルに押しつける。

 次いで木箱の中から小さな包みを取り出してトレーに置いた。

「これをヴェルミオン様に飲ませろ。解熱剤だ」

「わ、わかった」

「俺は重湯を作る。少しでも食べていただかなければ、治るものも治らない」

 手早い動きに圧倒されながらも頷いたリゼルは、ラシェルの言葉に目を瞬いた。

「……ヴェルミオン様のこと、心配してるのね」

 ぽつりとそう呟いてから、リゼルははっとする。

「前に倒れた時、あんまり心配していないように見えたから……ごめん。心配しないなんて、そんなわけないよね」

「あの方は俺の主だ。心配しないはずがないだろう。――いいからさっさと持って行け。苦しんでいるヴェルミオン様を一人にさせる気か」

 手で追い払う仕草をされ、リゼルはトレーをしっかりと抱えてヴェルミオンの元へ戻った。

 広いベッドで眠るヴェルミオンの額に浮かんだ汗を拭い、はりついた髪をそっとよける。いつでも飲めるようにと、水差しとグラスをベッドの脇に置き、氷水に浸したタオルを固く絞ってヴェルミオンの額にのせた。

 すると、ヴェルミオンがゆるゆると薄く目を開ける。

「……リゼル?」

「ヴェルミオン様、少し起きられますか? お薬をお持ちしました」

「ん」

 頭を少し持ち上げたヴェルミオンの背中に手を差し込み、起き上がるのを手伝う。しっとりと汗ばんだ服に、着替えも必要だとリゼルは頭の隅で考えた。

 リゼルはグラスに水を注いで、薬の入った小さな包みとともにヴェルミオンに手渡す。素直に受け取り、薬を口に含んだヴェルミオンは水をすべて飲み干して深く息を吐いた。

「大丈夫ですか? きっとすぐによくなります、頑張ってください」

「……うん」

 再びヴェルミオンがベッドに沈む。

 熱のせいでぼんやりとしているのだろう。夢うつつのような彼は再びとろとろと双眸を閉じる。

 すぐに寝息が聞こえてきて、リゼルは体の力を抜いた。

 そして規則正しい寝息を確かめると部屋を出、再び厨房に舞い戻る。

「ヴェルミオン様の様子は?」

「眠っておられるわ。あの様子だと、明日になれば熱は下がってると思う」

「そうか」

 こちらに背を向けて調理を進めるラシェルの肩がわずかに下がる。

 病人を心配しないはずがない。ましてやヴェルミオンはラシェルが仕える主人である。

 前回ヴェルミオンが倒れた時はどこか淡々とした様子だったけれど、今回は高熱を出しているのだ。ただの疲労とはわけが違う。

 ラシェルなりに心配していたのだと、リゼルは微笑した。

 そしていそいそと調理台にクッキーの材料を並べていくと、何をするんだと言わんばかりにラシェルから抗議の目を向けられる。

 材料を見て気づいたのだろう、ラシェルの目が鋭く尖った。

「こんな時にお菓子作りか?」

「わ、私が食べるわけじゃないから! ヴェルミオン様が食べたいっておっしゃったの!」

 ぎろりと睨まれ、リゼルは慌てて弁解の言葉を口にした。

 あらぬ誤解を抱かれている。

「何か食べたいものはありますかって訊いたら、クッキーがいいって」

「……だとしても、熱を出して苦しんでいるのにお菓子を食べさせるバカがどこにいる」

 すっぱりと切り捨てるような口調はもっともな意見で、リゼルはもごもごと口にする。

「きっと少し食べれば納得されると思うの」

 体が弱っている時は、心までもが弱くなる。

 甘いものを食べれば少しでも気分が紛れるかもしれない。

 リゼルに要求したのも、熱のせいでわがままになっているのだろうと思っていた。

 そして作ろうとしているクッキーは甘さが控えめで、いつもならクルミなどを散らすが今回はなにも乗せず、シンプルなものにする予定である。

 体に余計な負担をかけず、さらに食べやすいもの。

 そう考えながらリゼルは材料を量り、手早く生地を作って少し寝かせる。

「ラシェル。ヴェルミオン様って、体が弱いの?」

 主の願いならば、と渋々あきらめた様子のラシェルにリゼルは問う。出来上がった重湯を器によそったラシェルはぴたりと動きを止めた。

「疲労で倒れて、今度は高熱。こんなに頻繁に体を壊すなんておかしいわ」

「ヴェルミオン様は体が弱いというわけじゃない」

「じゃあどうして、あんなになるの?」

 訝しんだリゼルにラシェルは視線を移す。

「――遺品に触れると、体力を消耗する。体力じゃなく、気力までもを奪うんだ。お前も倒れただろ」

 聞いていないのか、と告げるラシェルにリゼルは絶句した。

 遺品に触れると故人の過去が視えることは聞いた。しかし、そのせいで体を壊すことなど一言も聞いていない。

 けれど、よく考えればわかることだったのかもしれない。

 なんの影響もなく、想いが強いものに触れられるはずがないのだ。

「どうして、止めないの」

 知らずに声が震える。

 毎日遺品に触れて、故人の過去を視て。徐々に体を浸食されていく主を放っておいたというのか。

「これはヴェルミオン様が望まれたことだ」

「望むって、こうなるってわかってても? ヴェルミオン様が倒れても、それでも止めないの……!?」

「そうだ」

 さも当たり前のように一つ頷いただけのラシェルにリゼルは口を開く。しかし言葉を発することはせず、何度か開閉させてから口を噤んだ。

 唇を噛み、こちらを見ようとしないラシェルから視線を逸らして、寝かし始めたばかりの生地を掴んで調理台に叩きつけた。

 ばん、と派手な音がするもリゼルは気にせず麺棒で生地を伸ばす。

 角度を変えて均一に伸ばすと型でくり抜き、残った生地をまとめる。そして再び麺棒を手にするが、今度は力任せに伸ばして調理台に押しつけるように生地の上で滑らせると、気づいたときにはずいぶんと薄くなっていた。

「……あなたたちの関係は、おかしいわ」

 構わず型で抜いたリゼルはそう吐き出し、天板に生地を並べてオーブンへ入れる。

 自分の主だと言ったラシェル。

 けれどヴェルミオンのことを気にかけているように見えて、その実一番肝心な部分を気にかけていない。

 この屋敷でたったひとり、ヴェルミオンの傍にいた少年とその主人である男。互いに無関心ではないのに、二人の距離がひどく離れているように思えてしまう。

 こみ上げる苛立ちに似た感情に、リゼルは小さく眉を寄せた。

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