41 乞い願う
古来。
ゼローナを中心とする人間勢力とナイトメーアを拠点とする魔族は、互いに不可侵を常としていた。
多少の戦が起こらないではなかったが、大抵は地域的な接点が多く、緊張度の高い国境付近でのいざこざレベル。
規模としては国軍が直接出る幕はなく、北公軍だけで鎮圧できた。大抵は向こう側で暴れ足りなくなった野盗まがいのならず者集団のため、殲滅しても魔族全体に及ぼす悪感情はない。――感謝されこそすれ。
魔族には人間のような領地制度はなく、意識として種族ごとにゆるい統率があるだけ。数多ある種族の長たちが魔王に恭順を示し、膝を折ることで辛うじてまとまっている。
そんな『国家』とも呼びづらい民と密接な交流を持つことは難しい――というのが、長年の人間側の言い分だった。
魔族の王にしても、各種族が現状の縄張りで満足している以上、よその領域にまで手を出す理由はない。
ゆえの。
条約を結び、国境線を引いて以降、目に見えて明確に訪れた半恒久的『平和』だった。なんと千猶予年もの間。
それを、目の前の少年は、けろっとした顔で覆そうとしている。
* * *
「ユウェン。しかし」
「俺はゼローナに興味はあったが、何かを盗ったり、害したかったわけじゃない。見たかっただけなんだ。争いを起こすつもりはない」
言い淀むシュスラ。淡々と言い切る少年――ユウェン。両者はしばらく睨み合っていた。
対岸としても息の詰まること少々。
堪えきれなくなったトールは、おそるおそる挙手して控えめに沈黙を破る。
「あの……座長どの? ずっと気になってたんですが。この子は」
「あぁ。まぁ、そうですよね。気になりますよね。これだけ態度のでかい子どもは」
シュスラは一瞬、見るからに不機嫌な顔をした。ため息をつき、しょうがないなぁ……と眉根を寄せる。
流された視線にゼローナ側の三名は、はっとした。
それは異界を思わせる。
魔族の瞳孔は縦に細長い。
シュスラの双眸は憂いを含み、金貨よりも熟れた、艶のある鬱金色をしていた。
「こちらは、私がお預かりしている、さる名家の息子さんで。名をユウェン。先見の明と言うんでしょうかね。この年齢で見聞を広めたいなどと仰って。かなり無理を通して、この一座について来ました。ご覧のとおり芸人らしいことはできませんので、裏方の補助をお願いしています。お気になさらず」
「そう……ですか?」
「失礼。じゃあユウェン。君は『協力を』と言ったね。それはこういうとき、魔族ならば可能な方法があるということ? たとえば、はぐれた仲間の居場所を突きとめるような」
「うん。それに近いことなら」
「ユウェン!」
「あるのかよ!!」
「……」
きょとん、と頷く少年は見るからにあどけない。
その様子にシュスラは声を荒げ、アイリスはあろうことか素で突っ込んだ。
トールは先ほどから無言で顎に指を添え、目を細めてじっと少年を見つめている。
動じる面々をよそに、少年は、ぱたん、と会計帳簿を閉じた。
――――――――
アストラッドもまた、無言で考えに耽っていた。
ユウェンには何か秘密の匂いがするものの、それを暴くのは今でなくとも良い気がする。であれば。
(決めた)
視線を落とし、膝に乗せた両手のこぶしをぐっと握った。
背筋を伸ばし、上体を前に傾ける。
――仮にも会談。礼儀として帽子は外している。頬に、さらりと母譲りの金の髪がかかった。
今も、前世も。
その前も。そのまた前も。
ずっと、覚えている限りこの髪色なのはなぜなのか? 律儀に瞳の色まで。
理由を知ったのは、今生になってからだったけれど。
「! あっ、アーシュ!?!?」
左隣でアイリスが驚きの声を上げる。
その実直な声音に戸惑いが透けて見えて、アストラッドは少しだけ申し訳なく思った。
が、頭を垂れた姿勢は戻さない。祈るように、打ち明けるように切々と乞い願う。
――――これが最善。
これしか、今の自分にはできないから。
「どうか、力を貸してくれませんか、座長殿。ユウェン殿。……僕は、この国の第三王子アストラッド。こちらは次兄のトール。連れ去られた三名の少女は姉のロザリンドとそのメイド。それに、僕の、大切なひとなんです」
後半は一言一言、区切るように。
目を瞑り、申し遅れてすみません、と言い添えた。




