28 天幕のアクシデント(想定内)
それまでずっと左右にそびえていた建物が急に途切れた。
ひらけた視界。
降り注ぐ陽光。
前方には青々と繁る森をかかえ、天を突く槍を連ねたような黒い鉄柵に囲まれた広場が見える。正午にはまだ早い時刻。辺りには香ばしい煙やジュウジュウと何かを調理する音、甘い香りや肉と香辛料のマリアージュ、といった匂いが漂っている。
「すご……」
「ぼうっとしてないで。はぐれんじゃないわよヨルナ。ベティ、どこ? その天幕って」
「はい。あちらに」
広場からは放射線状に何本も道が伸びている。そのほとんどが露店街と化しており、ヨルナは賑やかな空気と人いきれにくらくらした。
――みんな、芸人一座を見に来たんだろうか? 大人も子供も老人も、楽しそうだ。
ベティ、と呼ばれた黒髪の少女が指差した方向には、大きな白いドーム型の天幕の天辺が見えた。
「あの柵の向こう側が、今日の目的地のクラヒナ広場です。目玉はあの一番大きな天幕で行われる芸や魔法、見世物なんですが。他にもいろんな芸人が集まって客引きをしていますから、あんまり誘い込まれないようにしてくださいませ」
ロザリンドを除く全員が、ほうっと感心したようにベティを眺めた。
ちょっと表情に乏しいが、素朴で可愛らしい顔立ちをしている。見た目に反してかなりのしっかり者のようだ。
王女は腹心のメイドの注意事項を、ふん、と鼻で笑った。
「御託はいいわ。わたしは、辺境の民をこの目で見たいだけなの。さっさと案内おし」
「……は。申し訳ありません。では、お坊っちゃんやお嬢様がたも。お気をつけくださいませ」
ベティは従順なメイドらしく膝を折って主に謝意を伝えると、ちらりと一行にも念押しした。そのまま、くるりと背を向けてしまう。
ちっとも笑わない。クールな娘だ。迷いなく、すたすたと人混みを分け入る姿はこういった事態に慣れているのか、堂に入っている。
一行は開け放たれた門の内側へと入って行った。
* * *
「いらっしゃーい、綺麗な顔のお兄ちゃん! どうだい? お代は見てのお楽しみ。ウチの踊り子のダンス見ていきなよ!」
「お嬢さん~、よく当たる占いよぉ。恋の相性だってばっちりよ~」
「魔法の山びこ草はいかがです? 意中の相手に贈ると、その日の夜には自分の代わりに大事な想いを伝えてくれるよ。なんと、今なら一輪、三百クローネ!」
「なに、それは買い……っ、痛たっ!」
「ばぁか。なに引っ掛かってんのよ、もー。世話の焼ける」
うっかり植物フェチの琴線に触れてしまったらしい、件の花屋を名残惜しそうに見つめながらトールは呻いた。
「うぅっ。ローズ、帰りに寄っても?」
「いいわよ。でも、今はだめ」
つん、と顎をそびやかしたロザリンドは、思いきり引っ張っていた兄の耳をぽいっと手離した。
トールは「ててて……」と、まだ痛そうに耳を押さえている。
そうこうするうちに、天幕の入り口に並ぶ長い列の最後尾に到着した。
ゆっくりと進んでいる。入場手続きをしているのだろう。
やがて、十分ほど歩いたろうか。ベティが受付で料金を支払っているのが見えた。それ以前に。
(わぁぁ……すごい。獣人? 本物?)
失礼かもしれないが、ヨルナはまじまじと見つめてしまった。
長机を置いて椅子に座り、客をさばいている女性の頭部に――いわゆる猫耳が生えていた。
ベティを見送り、ひらひらと愛想よく振る手は招き猫っぽい。ロシアンブルーみたいな、つやっとした藍色がかったグレーの毛色。うっすらピンクがかった肉球まで。
「ゆっくり楽しんでニャ♪」
「あっ、は、はい。ありがとう……」
すれ違いざま、声をかけられて、ついビクッとしてしまう。
めくられた天幕の扉布をくぐると、クスクスと笑う猫人の声が背後から届いた。
――――――――
「さて。どうしたものかしらね」
観客席の通路で仁王立ち。
ロザリンドは、サーカスのテントのように外周部分がぐるりと座席になっている様を腕組みで睨んでいる。当然のことながら、王族専用席は存在しない。すべて自由席だ。
こうしている間にも席は埋まり、一行がばらばらに座らねばならないのは明白だった。
動かないロザリンドの肩に、ぽん、と手を乗せたトールが囁く。
「悩むことないだろ、ローズ? 何かあって、転移が必要にならないとも限らないし。……二手かな。どちらかには僕かアーシュが同行する。いいね?」
「えぇ」
意外にも素直なロザリンド――と、思いきや。
(へっ?!)
突然腕をつかまれたヨルナはびっくりした。
「なに? どうしたんですか」
「あんたとトール、それにベティはわたしと。アーシュはあとの二人をお願い」
「え」
ヨルナの隣にいたアストラッドは、瞬時に固まった。トールは流れるように優雅に「了解」と答えて、さらっとアストラッドからヨルナの手を奪う。
「あ、あの」
「行こうか、ヨルナ殿」
みるみるうちに連れてゆかれ、あっという間にアストラッドたちは見えなくなった。




