ロザリア、という女②
最初は本当に些細な出来事だった。
アーティアの部屋に置いてあった花瓶が、いつの間にかロザリアによって窓際から日の当たらない壁際へと移動させられていたのだ。
不思議に思ったが、特別何かを言う程のことでも無かったのでアーティアが何も言わずにいると、少しづつ少しづつアーティアの部屋の配置をロザリアは勝手に変えていき始めた。
流石にこれは……、と思ったアンがロザリアに一体どういうつもりなのかと問いかけると、ロザリア曰く「こっちの方がずっと素敵」だから移動させたそうだ。
つまり、ロザリアは100%の善意でアーティアの部屋の模様替えをしたのだと言う。
アーティアもどうすべきか悩んだが、もしかするとこのロザリアが行った模様替えをした部屋が失った記憶を取り戻す何かのヒントになるかも知れないと、アーティアの部屋の中だけならばある程度は許容し様子を見ることにした。
だが、ロザリアの行動は日に日にエスカレートしていく。
最初はアーティアの部屋の中だけを模様替えしていたロザリアだったが、それだけでは収まらなくなったのか次第に邸の中全体の模様替えを始めてしまった。
そして、邸に飾る花の種類や食器、ソファーやテーブルなど大きな家具や調度品に至るまで文句をつけ新しいものを勝手に注文するようになり、ついには壁紙や庭のデザインにまで口出しして来るようになった。
流石に見過ごせないと困惑したアーティアが注意するも、やはりロザリアは少しも悪びれた様子がない。
やはり「こっちの方が素敵」だからといってアーティアの話を笑って聞き流すばかりで会話にならないのだった。
ロザリアの行動は100%の善意で行われており、彼女の中では今は注意をされてもいつか模様替えをしてくれてありがとうと喜んでもらえると信じて疑っていないようだった。
アーティアは会話にならないロザリアに頭を抱えた。
それに、ロザリアが邸で暮らすようになってから少しずつ邸の中がおかしいと違和感を覚えることが増えてきていたのも頭を抱える理由の一つだった。
そもそも、邸に置く家具やレイアウト、食事のメニューに至るまで大きなことから小さなことまで全ての決定権は当然伯爵夫人であるアーティアにあった。
なのでロザリアがこうしたいああしたいと言ったところで一人で邸の模様替えをすることは不可能であるはずだ。
ロザリアが邸に来るまでは、優秀なステラ伯爵家の使用人達はどんな些細なことでもアーティアに報告し、指示を仰ぎその通りに邸を整えてくれていた。
しかしロザリアが来てからは使用人達がアーティアに報告に来ることも減り、指示を仰ぎに来ることも少なくなっていた。
どうやらロザリアはいつの間にかステラ伯爵家のメイドや庭師、料理人達と必要以上に打ち解けアーティアの代わりにステラ伯爵家の女主人のように振る舞うようになっているようだった。
もっと不可解なのは使用人達も何故かそれに疑問を持つこともなく従い受け入れているという点だ。
もう自分一人の力ではどうすることも出来ない、そう判断したアーティアは意を決して夫であるデイモンに相談することにした。
きっと聡明で威厳があり公平無私な考えを持てる夫であれば、この八方塞がりな状況を一緒に打開してくれるのではないかと考えたからだ。
こんな事を相談しては元々ロザリアを邸に置くことに反対だったデイモンに怒られてしまうかもしれないと中々アーティアは相談することが出来ずにいた。
もしかしたら「ほらみたことか」と溜め息を付かれ呆れられてしまうかもしれないと思うと怖かったのだ。
アーティアは少し憂鬱な気持ちになったが、どんなに呆れても怒っても、最後にはデイモンが必ず助けてくれる優しく頼りがいのある人間だということをアーティアは知っていた。
昔から不器用で言葉遣いの悪いデイモンにはちょっと乱暴な言葉で怒られるかも知れない。けれど、それが彼なりの照れ隠しでありその中にアーティアを心配する心がたくさん込められていると言うことをアーティアは知っていたので少しも傷つくことはなかった。
デイモンに話を聞いてもらえると思っただけで、アーティアは心が軽くなっていくのを感じる。
軽くなった身体で階段をゆっくりと上り、よく見慣れたデイモンの執務室の扉の前までたどり着いたアーティアだったが、すでに少し扉が開いていることに首を傾げた。
そしてふいに扉の隙間から見えた室内の様子に、アーティアは驚愕する。
何故なら室内ではデイモンとロザリアが楽しげに笑いあいながら何事かを話していたからだ。
アーティアには滅多に笑顔を見せることのないあのデイモンが声を出して笑っているのだから驚きを隠せない。
そしてさらにアーティアを驚かせたのが、二人が居る部屋は紛れもなくアーティアの見慣れたデイモンの執務室のはずなのに、まるで見覚えの無いものに姿を変え、見る影もなくなっていたからだった。
アーティアが選んだ白い壁紙は濃いストライプ模様の紫色に、三日三晩悩んでようやく決めたメイプル材の一枚板の大きくてゆとりのある執務机は姿を消し石で作られた硬質なテーブルへと姿を変えていた。
毎日アーティア自らが選んでメイドに飾るように指示していた花も何故か見当たらず、見慣れたはずの空間はまるで異世界に迷い混んでしまったような錯覚に陥るほど様変わりしていた。
アーティアは思わず後退りし、デイモンの部屋を後にした。
廊下を歩む足は震え、次第に呼吸が乱れていく。
(あ……っ、どこ、ここは、どこなの…っ)
右を見ても左を見ても、そこはアーティアの知らない世界だった。
お気に入りの照明、絵画、デイモンと一緒に旅行先で選んだカーペット、
(無い……、ない、ないないっ!!何処なの?!)
気付いたときにはもう既に手遅れだった。
邸、伯爵夫人という立場、使用人、そして夫。
その全てはいつの間にかアーティアの手からこぼれ落ちて、ロザリアのものになっていたのだ。
その時、初めてアーティアは思った。
ロザリアが、怖い、と……。
自分の部屋なのに自分の部屋じゃない。
そんな不気味な部屋の中で、アーティアは震える己の身体を抱きしめることしか出来なかった。




