ジェネジオ5
お嬢様は簡単に言ってくれたが、俺が殿下にお会いするだけでも本来は不可能に近い。
そこで、お嬢様と殿下の外出に俺がお供するという形にした。
お嬢様は嫌そうな顔をされたが、俺のほうがもっと嫌だからな。
出かけ先に選んだ場所は我が家の湖畔の別荘。
あの場所なら日帰りでも余裕だし、何より下町を通っても不自然ではないからだ。
馬車から見える街並みに殿下は興味を示され、あれこれと質問してくる。
「このあたりの建物は比較的新しいんだね?」
「よくお気づきになりましたね。ここはほんの数年前までは貧民街で家も人も――ぼろぼろだったのです。その状況を見かねて陛下がこの場所に住む人々に新しい家と仕事、しばらくの間は食事の提供まで行われ、このように新たに生まれ変わることができたのです」
「父上が……?」
「はい。陛下は全ての民が飢えることのないようにと、私たちの生活にまでご配慮してくださっております。おかげさまで、この国の民は安心して暮らすことができるのです。もちろん、国内すべての貧民街が消えたわけではありませんが、私たちはこの先を夢見ることができる。それも陛下が打ち出された施策による支援があるからこそです」
「そうか……」
俺の言葉を聞いて、殿下は誇らしげに目を輝かせた。
お嬢様でさえ嬉しそうに顔をほころばせている。
おそらく長年の間、王妃様の――サルトリオ公爵の影響を受けておられた殿下にとって、今の話は初耳だったろう。
俺は――商人は誰が権力を握っても生き残れるように中立であるべきだが、やはり商売はしやすいほうがいい。
先代陛下の御代のように賄賂が蔓延っていた社会よりも、実力で勝負できるほうがいいに決まっている。
だからつい、陛下に肩入れしてしまうのは仕方ないだろう。
それでも情勢をしっかり見極めなければ、いつサルトリオ公爵派が巻き返してくるかわからない。
そのカギをこの二人が握っているなんて、当の本人たちはわかっているんだろうか。
今のところ上手くいっているが、お嬢様の言動一つで――以前の傲慢さが戻れば、また情勢は変わってくる。
しかし、待てよ……?
今までのお嬢様の我が儘のすべてが演技だったとしたら?
この婚約については権力闘争に敏感な社交界の人間でさえ、傲慢お嬢様の我が儘で調えられたものだと思っている。
もちろん陛下がサルトリオ公爵をさらに遠ざけるためだとは気付いているだろうが、もしその相手が評判のいい――いや、この場合普通でさえいい――ファッジン公爵令嬢だったとしたら、争いはもっと表面化して社交界全体を巻き込むことになっただろう。
そうならないためにファッジン公爵が考え、お嬢様に人前では我が儘に振る舞うようにと言い聞かせた結果だとしたら?
お嬢様の突然の変わり様も理解できる。
何より、あの優秀な三人のご子息たちのお嬢様に対する溺愛ぶりも納得できる。
って、ないないない。あるわけない。
いくら何でも深読みしすぎたろ、俺。
だが、シアラがあれほどに入れ込むのは本当の姿を知っているからだろうか。
買い被りすぎだとは思いつつ、お嬢様の行動を観察する。
お嬢様は「やっぱり自然が多いと珍しい鳥もいるのね」と楽しげだが、それはただの鳩です。
少々模様が変わっている鳩です。
いいこと言った的な誇らしげなお顔になっておりますが、王都にもあの種の鳩は棲息しております。
その鳩がクルッポーと鳴けば「あっ」と小さく声を漏らされ、「今、魚が跳ねたわ!」と湖に視線を逸らしましたが、気付いたんですね。鳩だったと。
やっぱり考えすぎかと思い直した俺は、そこで衝撃的なことに気付いてしまった。
殿下のお嬢様に向ける視線が熱い。
いや、嘘だろ。
今のどこに惚れる要素があった?
自然の中で無邪気に喜ぶ姿に好感度が上がっているのか?
殿下には社会勉強とともに、したたかな女性の嘘に騙されないように指南したほうがいいのかもしれない。
これは同じ男として無料で提供しよう。
気をつけなければ、女は怖い。
ただ問題は、お嬢様のあの無邪気な様子が計算ではなく素であることだ。
まあ、以前の高飛車傲慢な姿を知っていれば、そのギャップについ惹かれてしまうのもわからないでもないがな。
お坊ちゃんだもんなあ。
懸命にお嬢様をエスコートしようと頑張っているところも見ていて微笑ましい。
何より王妃様の箱庭から飛び出したことで、少しずつ成長しているように見える。
殿下が即位なされたら、また前時代に逆戻りするかと予想していたが、ひょっとして期待が持てるかもしれない。
それもまあ、王妃側の邪魔が入らなければの話だが。
ああ、ほら。やっぱりな。
このまま黙っているわけがないんだよ。
「エヴェラルド様~! こんなところでお会いするなんて、偶然ですわね~!」




