ジェネジオ4
「まあ、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ。怪我はないかしら?」
「――ええ。お気遣いいただき、ありがとうございます。私は無事ですが、ソファが汚れてしまいましたね」
「それはいいのよ。洗えばすむから。シアラ、メイドを呼んでちょうだい」
「かしこまりました」
おいおい、マジか。
お嬢様が俺に謝ったよ。空耳か?
シアラは驚いた様子もなくメイドを呼びに控室に向かったが、俺の心配はなしかよ。
まあ、もう期待はしていないが。
それよりも席を移して再開した会話は不思議なものだった。
途中、お嬢様が新しいカップを持ったときに警戒したのは仕方ないとして。
お嬢様が社交界の誰もが知っている国王陛下と王妃様の間の溝を知らないのは、自分のことしか頭になかったようだから別に驚きはしない。
驚くべきなのは、そのことに――自分が王太子殿下と婚約できた理由に興味を持ったことだ。
マジで誰だ、これ。
裏で糸を引いている人物がいるのかと思っていたが、中身別人じゃないのか?
黒魔術か何かで操られているとか?
お嬢様ならたくさんの恨みを買ってそうだし、呪詛されていたとしても納得してしまうが、今のところ健康そのものに見える。
そこで公爵家に送り込んでいる下男に小遣いを渡して、お嬢様の動向に特に注意するように言いつけておいた。
それとは別に各所に散らしている商会の者たちからの情報で、最近は学園の女生徒の制服着用率が上がったと知った。
これは明らかにお嬢様の影響だろう。
そこで服飾部門に女生徒の制服を――すでに手に入れている貴族令嬢たちのサイズで仕立てておくようにと指示を出しておく。
この予想は大いに当たり、既製品に袖を通すことをしないご令嬢たちからもその母親たちからもすぐに制服を納品できたことで恩を売ることができた。
学園の制服なので大した売り上げではないが、十分な成果と言えるだろう。
そんなことよりも笑えるのが、俺とお嬢様の仲が怪しいといった噂が流れ始めたことだ。
いや、笑えねえよ。
何が悲しくて十二歳の子供相手にそんな噂を流されなければいけねんだよ。
十中八九、噂を流したのは王妃陣営だろうが、これに関してはどんなに否定したくても沈黙を貫くしかない。
下手に騒ぐとさらに勘繰られるからな。マジで勘弁してほしいが。
とはいえ、最近はお嬢様に入れ込みすぎていたかもしれない。
少し距離を取るべきだろう……と判断したのに、呼び出しがまたかかってしまった。
噂ぐらい聞いているだろうに、あのお嬢様は何を考えているんだよ。
呆れつつも呼び出しに応じてしまう俺も俺だがな。
「――今、何とおっしゃいました?」
「だから、殿下に大人の狡さを教えてさしあげたいの。ほら、あなたくらい性格の悪い大人の男性が傍にいれば、殿下も世の中の理不尽さを少しは理解してくださると思うから」
「ははは。なかなか面白いご意見ですね」
俺は売られたケンカを買うなんて馬鹿な真似はしない。
しかも相手は十二歳の子供だ。
無邪気な顔でかなり失礼なことを言っていることに気付いてもいない子供だからな。
いや、嘘だ。むしろ何を言っても許されると思っているところに腹が立つ。
だが、やっぱり最近のお嬢様は面白いんだよな。
何度も自分に言い聞かせるが、売られたケンカを買うことはしない。
ただし、金額に換算し利子を付けて請求はする。
それが商売人ってもんだろ?
お嬢様に金額を提示すれば、文句を言いつつも値切ることもせず契約が成立した。
ほんと、こういうところはお嬢様だよな。
今回請求した金額は元本だ。
利子はまた、俺の楽しみのためにとっておく。
さて、王子様の社会教育を勝手に請け負ってしまったわけだが、これは文書に残る取引ではないので問題ないだろう。
お嬢様の我が儘に付き合わされていると世間は思うはずだ。
堅物優等生と噂の王子様相手に、何をお教えしようか。




