訪問2
え? 嫌なんですけど。
だって、殿下のお名前でお呼びするなんて、サラ・トルヴィーニと一緒じゃない。
うん。嫌だわ。
「……殿下、やはりお名前でお呼びするのは畏れ多いので、遠慮させていただきます」
「そ、そうか……」
しゅん、としたってダメよ。
子犬のような目で寂しそうにしたってダメ。
ダメなのよ!
「……では、ずうずうしいかもしれませんが、お名前の愛称からエヴィ殿下というのはどうでしょうか?」
「殿下はいらないよ」
「そういうわけにはまいりません」
「そうか……。うん、わかった。それじゃあ、その、僕が呼ぶのは?」
そう訊かれても、もともと『ファラ』は私の愛称でもなくて、エルダが間違って覚えてしまっただけなのよね。
だから『ファラ』と呼ぶのはエルダだけで……。
「私のことは『ファラーラ』とお呼びくださってかまいませんわ。家族もそう呼びますもの」
「……うん、わかった。いきなりご家族と同じように呼ぶのはちょっと気が引けるけど、そうさせてもらうよ」
うん?
家族と同じ呼び方というか、私の名前はファラーラだから。
今まで家族以外に呼び捨てにする人がいなかっただけよ。
たまにフェスタ先生がフルネームで呼び捨てにするけれど、あれは叱られるときだけで。
って、そもそも私を叱るってどういうつもりなのかしら。
私はファラーラ・ファッジンなのよ?
ちょっとお兄様のご友人だからって、ちょっとお兄様が別邸に滞在していらっしゃるからって、ちょっと調子に乗っているんじゃないかしら。
とはいえ、フェスタ先生って別邸をお持ちなのね。
教師ってそんなにお給金がいいのかしら。
それとも私の勘違いで、フェスタ先生はどこかの有爵家の三男あたりだったとか?
うーん。
フェスタって家名に覚えはないけれど、そもそも私は覚えていない家名が多すぎるのよね。
今度ちゃんと貴族名鑑に目を通して覚える努力をしましょう。
力関係などは学園内でも必要になるものね。
「では、ファ…ファラーラ、そろそろ行こうか?」
「は、はい。そうですね」
殿下が顔を赤くして私の名前を呼ぶから、私まで頬が熱くなってくるわ。
お母様、そこに座ってにまにましていないで、何かフォローしてくださればいいのに。
どうして余計なことはおっしゃるのに、肝心なときには何もおっしゃってくださらないのかしら。
「それでは、殿下。ファラーラをよろしくお願いいたします」
「かしこまりました、公爵夫人」
「ファラーラ、殿下にご迷惑をおかけしないようにね」
お母様、私をいったい何だと思っていらっしゃるのですか。
馬車に乗ってフェスタ先生の別邸に行くだけですけど。
いえ、それよりも。
「お母様はいらっしゃらないのですか?」
「私は遠慮しておくわ。チェーリオには身ぎれいにしてから戻ってくるように伝えてね。あと変なものを屋敷に持ち込まないで、と」
「――わかりました」
チェーリオお兄様がお家に帰ってきてくださらない原因はどうやら私だけではないようだわ。
私の記憶にあるチェーリオお兄様はいつも優しく微笑んでいらして、身なりも整っていらして……ないときもあったような……?
そうだわ。
たまに怪しい臭いをさせているときがあって、以前の私はそんなお兄様に「臭い! 近寄らないで!」とはっきり言っていたのよ。
それだけじゃないわ。
確か「臭いが移ると迷惑よ! もうお家に帰ってこないで!」とも言ったわ。
間違いないわね。
やっぱりお兄様がお帰りにならないのは私のせいでした。
ごめんなさい。




