蝶子5
「どういうことだ? 別れたいなんて!」
「別れたいのではなく、別れたのです」
「そいつか? そいつが新しい男か!?」
「いいえ、この方は弁護士の関藤さん。念のために立ち会っていただいているの」
「ご挨拶が遅くなりましたが、弁護士の関藤です」
「……弁護士?」
そう言って、関藤さんは誠実さんに名刺を差し出した。
驚く誠実さんに私が驚くわ。
兄弟でもない男性が私の隣に座っていて、何だと思ったのかしら?
ウェディングプランナーだとでも?
「今日は咲良も呼んでいるの。二人に話があって……あ、来たわ」
私の言葉に誠実さんは青ざめたけど当然よね。
今まで――病院で目覚めてから一度も咲良のことは話題にしていなかったもの。
咲良の名前を出したら今日は来てくれないことはわかっていたし、咲良も同じ。
だからこうしてお店も個室にしたのよね。
話す内容もかなりプライベートなことだから。
「咲良、お久しぶり。と言うほどでもないかしら?」
「……蝶子……それに誠実さんも?」
あら、いつから私を呼び捨てにしているのかしら。
おそらくずっと陰ではそう呼んでいたのでしょうね。
呼び出したときから警戒はしていたでしょうけれど、誠実さんの姿を見て一気に警戒心が顔に出たわよ。
しかも関藤さんの存在に気付いてからさっと顔色が変わったことで、この話し合いがどういうものか理解したらしいわ。
それに比べて誠実さんの鈍いこと。
私、鈍い男は嫌いですから。
彼の本性がわかって別れることになってよかったわ。
私と関藤さんが並んで座っているために、咲良は仕方なくといった様子で誠実さんの隣に座った。
そのときに咲良のお腹がふっくらしていることに気付く。
ここまで待ったのも咲良がちゃんと安定期に入るのを待ったため。
咲良のことは大嫌いだし許せないけれど、子供に罪はないし何かあったら困るものね。
「二人にそろって来てもらったのはもうわかっていると思うけれど、婚約破棄に関して慰謝料をいただきたいの」
「はあっ!? 婚約破棄も何も俺たちはまだ別れていないだろ!?」
「誠実さん、この指輪はお返しするわ。怪我の後遺症で混乱していたけれど、あなたからはっきり別れると言われていたわよね? 咲良と結婚するからって」
「違う! 俺は騙されていたんだ! 咲良のお腹の子は俺の子供じゃなかったんだ!」
「で?」
「え?」
「え? じゃないわよ。お腹の子の父親が誰であろうと、誠実さんが浮気をしたことは事実で、咲良と一緒に私に別れを突きつけたのも事実なんだから」
自分は被害者だと言わんばかりの誠実さんにイライラするわ。
だけどこの場に来てからほとんど言葉を発していない咲良をちらりと見ると、ふてぶてしくもにっこり笑顔を向けてきた。
「蝶子さんは何か勘違いをなさっているんじゃなくて? 先ほども言っていたように、怪我をして混乱していたのでしょう? 私と誠実さんは確かに仕事上で顔見知りではあるけれど、蝶子さんが言うような関係ではないわ。夢でも見たのでは?」
もちろんこの反応も想定内だわ。
まあ、正確には誠実さんがそう言うかと思っていたんだけれど、まさか無様に言い訳を始めるなんてね。
「そ、そうだよ、蝶子。君は何か勘違いを――夢を見たんじゃないか?」
遅すぎるわ、誠実さん。
関藤さんが笑いを堪えるためにせき込んでいるじゃない。
「夢ならよかったんだけど、ここに証拠が残っているの」
そう言って、私は画面の割れたスマホを取り出して録音していた音声を流した。
新しく機種変はしたけれど、それらしく見せるためにデータとして残しているから。
もちろん音声データは他にちゃんとコピーしているわ。
「あの日、待ち合わせ場所に行ったとき、咲良がいたことでおかしいと思った私はとっさに録音機能をオンにしたの。鞄のポケットからだから音声は悪いけれど、会話内容はしっかりわかるわよ」
「そんな……」
「この傲慢女! 相変わらずの性格の悪さね!」
あらあら、本性が出てきたわね。
醜く歪んだ顔で私を睨みつける咲良に、誠実さんも引いているわよ。
「――今回の件について内容証明で書類を送付しておりますので、受け取り次第中身をご確認ください。またこの件につきましては、私が一任されておりますので、異議申し立てをされる場合はそちらの連絡先にご連絡ください。なお、この音声データだけでなく、当時三人のやり取りを見ていた人たちを探し出しておりますので、蝶子さんが怪我をするに至った経緯の目撃証言もとれております」
「そんな馬鹿な! 証人をでっち上げることだって可能だろう!?」
「日時と場所ははっきりしておりましたので、多少の聞き込みをすれば証人を見つけることは可能ですよ。特に痴話げんかはみんな大好きですのでね」
関藤さん、そこまで言わなくてもいいのに。
あのときのことを思い出して恥ずかしくなってしまったわ。
そうよ。あのときは二人しか見えていなかったけれど、冷静に思い出せばけっこうな人たちが見ていたもの。
「私は認めないわ、こんなこと! 弁護士を立てて徹底的に争うから!」
「はい、それではお待ちしております」
関藤さんの名刺をくしゃくしゃに握りしめて立ち上がった咲良に、関藤さんはにっこり笑って答えた。
その笑顔には絶対の自信が浮かんでいて、頼もしく見える。
けど、何で私はその笑顔を見て胸がどきどきしているの?
そうだわ。きっとこれは勝利を確信できたせいね。
高い弁護士費用を支払っているんだから、これくらいの自信は持ってくれないとね。




