王太子8
何を着ていけばいいんだろう。
やっぱりファラーラ嬢は王太子な僕が好きなようだから、王太子らしくするべきかな。
白と黒ではどっちがいいかな……。
確か、ファラーラ嬢は目立たないようにと言っていたから、黒にしよう。
だけど黒だと辛気くさくて気乗りしていないと勘違いされるかもしれない。
うーん。
そうだ。この濃紺にしよう。
式典用のものではなく非公式の場に出席するときのものだけど、王太子らしく見えるはずだ。
色々と悩んでファラーラ嬢を迎えに行ったのに、ダメだしされてしまった。
女性は服のことになると煩いとリベリオが言っていたが、本当のようだ。
しかし、何がダメなのかはっきり言ってくれて、しかも代替品を用意してくれるのだからありがたい。
それにしても、以前は僕の言うことなら何でも聞いていた――いや、何も聞いていなかったのに、本当に変わったと思う。
あの頃なら僕が裸でも何も言わなかったんじゃ――いや、それはさすがにないか。
とにかく、僕に何でも従っているようで、何も見ていなかったファラーラ嬢が、僕をしっかり見てくれている。
それに我が儘で幼い子供のようだった彼女が、まるで年上のように感じることもあるから驚きだ。
こんなに短期間で人は変われるものなのだろうか。
「ああ、王太子殿下。お待ちしておりました。お初にお目にかかります。私、ジェネジオ・テノンと申します。テノン商会で扱う商品の品質検査や製品開発などを主に担当しておりますが、直接お得意様に商品説明をさせていただくこともございます。どうぞごひいきに」
「――王族が特定の商会を贔屓にすることはできない」
「さようでございましたね」
ずいぶんおしゃべりな男だな。
それとも商人とはこういうものなのだろうか。
女性たちはよくしゃべるから、そんな女性たちを相手に商売をするとなると、これくらいおしゃべりではないといけないのかもしれない。
明るく誰とでも楽しそうに会話するリベリオだって、友達も多いし女生徒からの人気も高いよな……。
今まではファラーラ嬢と会話するのはかなり疲れるのであまり話さなかったが、これからはもっと色々と話をしてみよう。
そう思ったのに、ジェネジオ・テノンのおしゃべりが煩い。
別に僕は車窓からの景色を見てはしゃいだりなんてしていないぞ。
ただ珍しいものを見て疑問を口にしていただけなのに、なぜかジェネジオにはそんな気分にさせられる。
「この湖はとても透明度が高くて底が見えるので浅いように思えますが、浅瀬でも大人の背丈を超えるほどはありますから、落ちないように気をつけてくださいね」
「それぐらい知識として入っているよ」
「知識ねえ……」
まただ。
絶対に僕のことを馬鹿にしているよな。
だけどここで腹を立てるのは大人げない。
ファラーラ嬢とこの湖畔での散歩を楽しむんだ。
少しだけ離れて隣を歩くファラーラ嬢に目をやれば、彼女はまったく僕を見ていなかった。
それはまあ、当然だよな。
今は散歩を楽しんでいるんだから……って、ずっとボートを見ている?
ひょっとして乗りたいのかな?
「……ボートに乗ってみる?」
「え!?」
「さっきからずっと見ているから。よかったら一緒に乗ろうよ」
「わ、私がボートにですか?」
「うん」
「べ、別にそこまで乗りたいわけじゃありませんけれど、殿下がそこまでおっしゃるのなら、乗ってもかまいませんわ」
「うん。じゃあ、乗ろう」
問いかけてみれば、ファラーラ嬢はぱっと顔を輝かせた。
こんなに嬉しそうな顔をされたら、こっちまで嬉しくなってしまうよ。
それなのに、その答えは素直じゃない。
少し前ならイライラしただろうけど、今は可愛く思えてくる。
ジェネジオがボートを漕ごうかと提案してきたがもちろん断った。
僕自身は何度もボートには乗ったことがあるし、これ以上はジェネジオに頼る必要はないからね。
それなのに、ファラーラ嬢は先ほどの嬉しそうな様子が嘘のように静かになってしまった。
僕ではやっぱり不安なのかな。
ジェネジオと違って頼りないのは自覚があるけど、そんなにそちらを見なくてもいいのに。
僕まで気分が沈んでしまいそうになったとき、ファラーラ嬢はジェネジオではなく自分の侍女に手を振った。
なんだ。ジェネジオを見ていたわけじゃないのか。
それからファラーラ嬢は護衛騎士たちが乗ったボートを見て、楽しそうに微笑んだ。
「よかった」
「はい?」
「急に元気がなくなったから、どうしたのかと思ったよ。そんなに僕が漕ぎ手では不安なのかなって。だけどようやく笑顔に戻ったね」
「い、いいえ。その、ボートは初めて乗ったので、こんなに揺れるとは思っていなくて……」
ボートの揺れが不安にさせていたのか。
それなら慣れればもっと楽しめるし、王宮の人工池なら浅くて心配いらないから誘ってみた。
そういえば、今までどうしてファラーラ嬢とはボートに乗る機会がなかったんだろう。
先ほどの様子からも、きっと彼女なら乗りたいと言ったはずなのに。
彼女とは人工池には行かなかったんだろうかと、曖昧な記憶をたどっていると、あり得ない声が水音とともに聞こえてきた。
「エヴェラルド様~! こんなところでお会いするなんて、偶然ですわね~!」
嘘だろ。
どうしてサラがここに……リベリオか。
リベリオが今日のことを知れば絶対に何か仕掛けてくると思ったから、皆には黙っているようにと指示していたのに。
ファラーラ嬢を新たに知るためのデートがこれで台無しだよ。




