王太子5
「あ、もうすぐ出口だね。結局、サラの見た影の正体もただの風に揺れたカーテンだったみたいだし、やっぱり何もなかったなあ」
そう言いながら校舎の出口に向かっていると、サラが急に足を止めた。
どうしたのかと振り向くと、サラはぎゅっと僕の腕を摑んだ。
「サラ?」
「……戻る前に、エヴェラルド様にお伝えしておきたいことがあるんです」
「うん、何?」
「実は、ファラーラ様のことなんですけど……」
「ファラーラ嬢? 彼女がどうかしたの?」
「あの方、一般生徒たちをイジメているらしくて……」
「ファラーラ嬢がイジメ? 一般生徒を?」
「一般生徒だけではないんです。知り合いの令嬢からも相談を受けて……実は私も食堂で会ったときに……。あ、でも私は大したことではないんですけどね。座席のことでちょっとあっただけで」
サラの告白にはかなり驚いて、返す言葉を失ってしまった。
まさか本当にリベリオの言う通り、ファラーラ嬢が隠れてイジメをしているとは思ってもいなかったから。
だとすれば、一緒に残ったあの一般生徒は前もって行かないと言うように命令されていたのだろうか。
そう考えるほうが、ずっと以前の彼女らしい。
だけど何かしっくりしないんだよなあ。
またモヤモヤしながら校舎から出ると、リベリオたちもすでに戻っていて、ずいぶん遅くなっていたことに気付いた。
「フェスタ先生が捜しに行ってくださるところだったけれど、無事でよかったよ。ファラーラ嬢なんてとても心配していたんだ」
リベリオの言葉にまた驚き、それから自分がサラと腕を組んだままであることに申し訳ない気持ちになってしまった。
ファラーラ嬢がどんな人物であれ、僕は彼女と婚約しているんだ。
不誠実なことをしてしまったと自省していると、ファラーラ嬢は今まで見たことのない恥ずかしそうな表情になった。
見間違いかな。いくら光魔法で照らしているとはいえ、あたりは暗いからな。
「殿下、ご無事で何よりでしたわ」
「え? いや、心配をかけて悪かったね」
「いいえ、私が勝手に心配していただけですから……。私、殿下のことを……ううん! も、もしかして殿下には……お慕いされている女性がいらっしゃるのですか?」
やっぱり何かの間違いだ。
彼女がこんなにいじらしいわけがない。
しかもこの質問って、まるで僕のことを好きだと言っているみたいじゃないか。
「いや……いないよ」
「も、申し訳ございません! こんな不躾な質問をしてしまって! ですが私……。私をこのまま婚約者でいさせてくださいますか!?」
「――ああ、もちろん」
「よかった……。嬉しい!」
俯いてしまった彼女はまるで赤くなった顔を隠すように両手を頬に当てている。
ひょっとして僕は悪魔か何かに悪戯をされているのかもしれない。
あまりの衝撃に僕だけじゃなくてリベリオもサラもフェスタ先生さえも呆然としてしまっていたようだ。
それでも気を取り直したらしいリベリオが従者たちに帰りの馬車を用意するようにと言いつけている。
そこに特待生の彼女がファラーラ嬢に声をかけた。
「――ファラ? ねえ、ファラ?」
「え? 何かしら?」
「ちょっとぼうっとしてたみたいだから。そろそろ帰ろうかって」
「ええ、そうね」
嘘だろ。
一般生徒の彼女が、まるで友人のようにファラーラ嬢に話しかけるなんて。
しかもそれに対してファラーラ嬢は怒っている様子もなく、他の二人の友人も気にしている様子はない。
サラの話では、ファラーラ嬢は一般生徒たちをイジメていると言っていた。
だがそのようにはまったく見えない。
先ほどの推測も間違っていたようだ。
ひょっとして彼女だけが特別なのだろうか。
わけがわからないうちにフェスタ先生は帰っていき、ファラーラ嬢はさらに驚くことを提案した。
「それではエルダ、寮まで送っていくわ」
「すぐそこだから大丈夫だよ。ありがとう、ファラ」
「ダメよ。近くても何があるのかわからないんだから。彼らは我が家の騎士でとっても頼もしいから安心できるわ」
ファラーラ嬢が護衛騎士を――使用人を褒めた。
目の前でファラーラ嬢と友人らしき女生徒三人が話している姿は普通の友人同士にしか見えない。
僕が嫌いだったファラーラ・ファッジンはどこに消えたんだ?
「……殿下、リベリオ様、いかがなさいました?」
幻を見ているようで僕はきっと変な顔をしていたのだろう。
ファラーラ嬢が訝しげに首を傾げている。
「いや……以前も紹介を受けたが……君は確かエルダ・モンタルド嬢だよね?」
「はい、プローディ先輩」
「その、特待生の?」
「はい、殿下。陛下の寛大な御心と施策のおかげで、私のような地方出身者もこうして学園に通うことができております。ありがとうございます」
「いや、それは……当然のことだよ。才能のある者が埋もれてしまうのは残念だからね」
思わず一般生徒――モンタルド君にリベリオと話しかければ、彼女は緊張しながらも答えてくれた。
いたって普通の子にしか思えない。
「まさかファラーラ様が一般の子と一緒にいるなんて思わなかったわ。制服まで着ているし、何かのアピールなのかしら? お誕生日からずいぶん変わられたと、皆様も驚いていらっしゃるのよ?」
「……トルヴィーニ先輩、エルダは私の大切な友人です。一般とかどうとか、そんなもので判断しないでくださいませんか?」
サラが試すように質問すれば、ファラーラ嬢はかすかに怒りを滲ませて答えている。
本気でモンタルド君のために怒っているらしい。
「また皆様方の噂も耳にはしております。確かに以前の私は我が儘が過ぎることもございました。ですが殿下との婚約を機に、改めようと努力しております。もちろんまだまだ至らぬ点は多々ございますが、どうか遠くから静かに見守っていただけませんか?」
ファラーラ嬢の言葉は本心なのだろうか。
にっこり笑うファラーラ嬢はとても可愛く見える。
おかしいな。こんなふうに笑う子だったかな?
ひょっとして今まで何も見ていなかったのは僕のほうなのかもしれない。
以前の傲慢だったファラーラ嬢を嫌うあまり、努力している今の彼女を認めようとしなかった。
傲慢なのは僕のほうだったんだ。
礼儀正しく挨拶をして馬車に乗り込むファラーラ嬢を見送りながら、僕はこれから改めて彼女と向き合おうと決心した。




