お忍び1
「――それが嘘なのよ!」
久しぶりに見た生々しい夢に、思わず叫んで起きてしまったけれど、怒りが収まらない。
何なの、今の夢は?
蝶子は私のようにやり直しはできないの?
どういうこと?
私はただ蝶子という架空の人物の夢を見ているだけ?
それともこれが蝶子の見ているただの夢?
わからない。
わからないけれど、許せない。
何なの、あの男。
「名は体を表していないじゃない! どこが誠実よ!」
「――ファラーラ様、いかがなさいましたか?」
「どうもしないけど、腹が立つのよ!」
「も、申し訳ございません!」
しまったわ。
苛立ちのあまりシアラに八つ当たりしてしまった。
だけど、仕方ないわよね。
あの浮気男が無罪放免されるどころか、蝶子の傍にいてのうのうと婚約者って名乗っているのよ?
蝶子がやり直しできていないことは誤算だけれど、記憶を取り戻せばまだ何とかなるのかしら。
それともこのまま私のことまで忘れてしまう?
いいえ、それはどうでもいいわ。
とにかく、あの元婚約者が浮気男だってことは思い出してくれないと納得できない。
二度寝をすれば続きが見られるかしら?
だって、咲良がどうなったのかも知りたいもの。
「ファラーラ様、本日のお召し物はいかがいたしましょうか?」
「……本日のお召し物?」
「はい。本日は殿下とお出かけされるのですよね?」
「ああ……」
それもあったわ。面倒くさい。
だけど今のところ婚約者としてやらなければならないのよね。
殿下に世間の毒を染みこませる計画を!
貴重な私のお休みを先週に続いて付き合ってあげるんだから、殿下には感謝してほしいわね。
しかもお忍びなんて面倒くさいことをするんだから。
「今日は一番地味なドレスにしてちょうだい。帽子もよくあるようなデザインね」
「かしこまりました」
行き先は街中を馬車で抜けて郊外にあるテノン商会の別荘。
湖畔にあって静かな場所だから、ジェネジオと殿下もゆっくり話ができると思うわ。
そう思っていたのに。
「殿下……今日はお忍びだって申しましたよね? なのになぜそのようなお姿なのですか?」
「……変かな?」
「変、ではありません。目立つのです」
自分を見下ろしてから首をこてんと傾げて訊いてくる殿下の破壊力は凄まじいわ。
さすが美少年。
だけどこれから行うのはお忍びのお出かけであって、アイドルコンサートに出演するわけじゃないのよ。
ええ、私もキラキラうちわを持って応援したいとか思ってはダメ。
「あと、護衛騎士はお立場上仕方ありませんが、近衛の制服だと王族の方だとバレバレではありませんか……」
我が家まではいい。
殿下が婚約者である私に会いに来たってだけだから。
って、本当は困るけれど。
頻繁にお会いすればそれだけこの婚約が本物に思われてしまうもの。
本物だけど。
「とにかく、殿下にはお兄様の昔の服をご用意いたします。近衛騎士も我が家の騎士たちの練習着か何かを用意させますから……シアラ、急いで手配して」
「かしこまりました」
はあ。もうジェネジオが迎えにくるわね。
だけどまあ、少しくらい時間をおいてから出発するほうがいいでしょう。
殿下たちの準備が整うまではお化粧品の話でもしておきましょう。




