悪夢の再来2
お兄様が風魔法で鉄格子をスパッと切ってくださったときには驚いた。
土魔法にはかなり長けていると知ってはいたけれど、風魔法もこんなに操れるのね。
それなのに、私は火魔法だけとかちょっと悲しいわ。
「……そういえば、お兄様はどうやってここまでいらしたの? さすがに牢番くらいは入口にいたのではなくて?」
「彼らは今、それどころではないよ」
「それどころではない? 要するに、やっぱり牢破りしたってこと? だとすれば、お兄様方まで罪に問われるのではないかしら」
お兄様たちならいくらでも正攻法で私を牢から出すことができたはずだわ。
それなのに牢破りだなんて……。しかもこの騒ぎはベルトロお兄様が起こしているのよね?
国家反逆罪などになっては、後々私も困るわ。
お母様だって、これ以上の心配はかけられないし……。
いえ、待って。お兄様たちは私のせいで自宅軟禁状態になっていたのでは?
おかしいわね。記憶が混濁しているみたい。
上手く働かない頭であれこれ考えていると、チェーリオお兄様は私が残していたパンを紙に包み、スープを瓶へと移していた。
用意周到だわ。ひょっとして、本当に毒が盛られていたの?
それを知って、お兄様は強引に助けにきてくれたのかしら。
今は証拠集めをしているのかも。
今までいた牢屋の中で、いろいろと搔き集めているチェーリオお兄様を、私はぼうっと突っ立って見ていた。
その間も外は騒がしくて、地下牢の天井から細かな石がパラパラと落ちてくる。
ひょっとして、この建物は崩れてしまうのではないかしら。
「お兄様、早く出ないと……崩れてしまわないかしら?」
「ベルトロ兄さんはちゃんとこの建物は残してくれるよう配慮してくれているよ。私が合図するまではね」
「……この建物は?」
「さあ、これでよし。出ようか」
「え、ええ……」
意味深な言葉に、まさかとは思いつつ地上へと出て、久しぶりの陽光の眩しさに目を閉じた。
そして、おそるおそる目を開けた私は、その光景に唖然としてしまった。
だって、まさか、本当に、この建物以外の建物――王宮のあちらこちらが崩れているんだもの。
「チェーリオお兄様、これはいったい……」
「心配することはないよ、ファラーラ。ちゃんと退避勧告はしたし、そのための時間も置いた」
「え? あ、ええ。負傷者がいないのならいいのだけれど……」
「ああ! やっぱりファラーラは優しい子だね!」
「はい?」
「ずっとそうだったんだ。それなのに、聞こえてくる噂は酷いものばかり。おかしいと思いつつ、忙しさにかまけてなかなか会うことも叶わず……だから、あんな……くそっ!」
「チェーリオお兄様?」
状況をのみ込めず、ただ口から出てきた言葉に、チェーリオお兄様は感激されたように私を抱きしめられた。
ちょっと鬱陶しいわ。いえ、かなり鬱陶しいわ。
だけど今は抵抗するだけの力がない。言葉も出てこない。
それにしたって、チェーリオお兄様がこんなに怒っているのは初めて見たわ。
王宮が崩壊しそうになっているのに、まったく気にしていないみたい。
その原因がベルトロお兄様だからかしら。
私が地下牢に投獄されていたことで、それほどに怒ってくださるのね。
お兄様たちのことはいつも鬱陶しいと思って、遠ざけてしまって、悪いことをしたわ。
「ファラーラ、すまない」
「はい?」
「ブルーノに言われて調査を始め、突き止めたときにはすべてが遅かったんだ」
「お父様が亡くなったのは、私のせいで――」
「違う! そうじゃない! むしろ、ファラーラは一番の被害者だ!」
「私が?」
今までたくさんの人を我が儘で傷つけてきたのに?
あの女生徒だけじゃない。学院の生徒を退学に追いやったことも何度もあるわ。教師でさえ、気に入らないと左遷させたのよ。
そのたびに、お父様が悲しそうなお顔をされていたのに。
「私……わたしが、ずっと我が儘ばかり言って、お父様は心労のせいで……」
「ファラーラの我が儘は可愛いものだった。――昔は」
「ええ。でも、徐々に酷くなっていったのよ」
「それも、父さんの病も、食事のせいだ」
「……食事?」
「ああ。そりゃ、父さんの病のすべてが食事のせいとは言えないが……。生活習慣もあるし、心的負担もある。だが、我が家の――ファッジン公爵家の食事には、毒が盛られていたんだ」
「そんな……」
先ほどの私の食事のように、毒が盛られていたの?
すぐに亡くなるようなものでなくても、徐々に弱っていくような?
それでお父様は亡くなってしまったの?
だけど――。
「お母様はお元気でしょう? 私も投獄されるまでは、体調はよかったはずよ?」
地下牢に入ってから、どんどん体が弱っていったのは自覚がある。
でもそれは環境のせいだと思っていたし、食事が合わないせいだとも思っていた。
お母様も今はお父様や私のことでかなり憔悴しているでしょうけれど、お体に異変があったようには思えない。
「毒の種類が違ったんだ」
「種類?」
周囲の建物が崩壊する音や、避難している人たちの叫び声がうるさくて、チェーリオお兄様の言葉に集中できない。
だけど、陽の光を浴びたせいか、体がかなりすっきりしてきたような気がする。
頭も少しずつ働き出したわ。
「種類の違う毒を各人に飲ませることができるなんて……」
「ああ。犯人は我が家の料理人だった」
「そんな……」
予想はできたけれど、信じられなかった。
使用人についてはよく知らないけれど、料理人は確かお父様のお気に入りで、もう十年くらい雇っていたはずよ。
「父さんには少しずつ心臓に負担をかける毒を、ファラーラには……癇癪を起こす毒というべきか……」
「癇癪を起こす毒? そんなものがあるのですか?」
「もとは落ち込んだときなど、心の不調のための薬だ。だが、良薬も過ぎれば毒になる。どうやら王妃の配下である王宮の薬師が調合した薬――いや、毒だったようだ」
「私は長年、その毒を飲んでいたということですか? それで今まで、些細なことでも苛々してしまっていたのかしら?」
「その通りだ」
王宮の薬師が調合した薬――毒ということは、殿下も関わっていらっしゃったということ?
それほどに私の評判を落として、婚約をなかったことにしたかったの?
「……それなら、さっさと婚約破棄してくださればよかったのに」
「すべては王妃の――いや、サルトリオ公爵の策略だろう」
「サルトリオ公爵? 確か、サラ・トルヴィーニの外祖父でしょう?」
「ああ。表舞台から退いたとばかり思っていたが、野心はずっと持ち合わせていたようだ。ファラーラは公爵の野心に巻き込まれたんだ。ブルーノも、ファラーラに同情していたよ」
「お兄様のお友達の先生が?」
「あいつは……公爵のことを嫌っているからな。ファラーラが標的になっているようだと気づいて、いろいろと探ってくれたものの、今まで公爵の悪事の片鱗さえ掴むことはできなかった」
「それでは、ようやく掴めたのですか?」
「いや」
「違うのですか?」
サルトリオ公爵とやらの野心でここまで最悪の事態に陥れられたというのも驚きだけれど、証拠もないのにこれだけのことをして大丈夫なの?
チェーリオお兄様の後をついて歩きながら、混乱している王宮内を見回す。
誰も私とお兄様に目をとめることなく、逃げるのに必死のようだわ。
「証拠なんてどうでもいいんだ。ファラーラと父さんが長年の間、毒を盛られていた。その犯人である調理人は、王宮からの立派な推薦状があって雇われることになった。それもサルトリオ公爵の差し金だろう。長い時間をかけて、公爵は我が家の弱体化を狙っていたんだ。その標的が一番か弱いファラーラに向いてしまった。それだけで、兄さんたちの怒りに火をつけるには十分だ。もちろん僕もかなり怒っているよ。いや、怒っているなんて表現じゃ生ぬるいな」
「兄さんたち……ということは、アルバーノお兄様も冷静ではない……?」
今までアルバーノお兄様が怒ったところを見たことがないわ。
いつもにこにこされていて、話が長くて、しかも正論で詰めてくるから苦手だった。
「いや、これ以上ないほど冷静だよ」
「それでは、このような……ベルトロお兄様やチェーリオお兄様のことを止められなかったのですか?」
「止められはしないよ。私やベルトロ兄さんは、アルバーノ兄さんを全面的に支持しているんだから」
「支持?」
「退避勧告を出したのは、アルバーノ兄さんだ。今からこの国を潰すから、逃げるなら今の内だとね」
「この国を潰す……?」
おかしいわ。やっぱり私はまだ正常ではないのかもしれない。
チェーリオお兄様の言葉を聞き間違えてしまったみたいだもの。
「アルバーノ兄さんほど、魔力にも武力にも精通した人はいないからね。将来は魔法協会の会長にと、学生時代から望まれ、騎士団からは団長にと望まれていたくらいの人だ。それらを断り、一介の政務官として陛下に仕えていらっしゃったのに……。いつの間にか古代魔法まで復活させてしまった」
「古代魔法!?」
って、何それ。
そんなものがあるなんて、初耳なんですけど。
「とにかく、そんなアル兄さんを怒らせたんだ。この国を――王家を潰すために、まずは無関係な使用人たちを退避させ、王妃を含めたサルトリオ公爵派を王宮の大広間へと集めている。ね、冷静だろう?」
「そ、それはまあ……」
殿下はどうなったのかしら。
いえ、きっとサルトリオ公爵派とされているわよね。
サラ・トルヴィーニと結婚したんだもの。
じゃあ、国王陛下は?
「……その、皆さんを集められてどうされるのでしょう?」
「さあ、今後どうするかは、私にもわからない。今のアル兄さんを、サルトリオ公爵派の魔法使いたちは『魔王』と呼んでいたくらいだからね」
「魔王!?」
とんでもない発言に驚いてチェーリオお兄様を見れば、いつもと変わらない優しい笑みが返ってきた。
それもまた怖いわ。
そのとき、急に影が差して視線を上げれば、見たこともない大きな魔獣が降下してきた。
「ひっ――!」
こういうときは変に騒いではダメだったはず。
目を逸らさず、そっと後退して逃げるのよ。
だけど、チェーリオお兄様を置いてはいけないわよね?
だって、私を守ってくれる人がいなくなるもの。
「お、お兄様……」
「何だい、ファラーラ」
「う、後ろに……」
恐ろしい魔獣がいると言おうとして、私は呆気に取られて言葉を詰まらせた。
魔獣の背後から――おそらく、その背に乗っていたらしい人物が満面の笑みを浮かべて現れたから。
「ファラーラ! 元気そうでよかった!」
ああ、変わらない能天気な笑顔。
この状況で楽しそうなのはさすがだわ。
ベルトロお兄様、その空飛ぶ魔獣はいったい何ですか?
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