悪夢の再来1
――気持ち悪い。
咳き込みながら目が覚めて、どうやら今まで幸せな夢を見ていたことに気づいた。
子どもの頃に戻って、やり直しの人生を歩むなんて。
そんな夢みたいなこと、起こるはずがないのに。――いえ、だから夢だったのよね。
気分の悪さから解放されるために眠っていたのに、目が覚めて現状にうんざりしながら寝返りを打てば、まったく手を付けていない食事が視界に入った。
提供される食事はあり得ないくらい口に合わなくて、何度も苦情を言ったのに何も変わらない。
仕方なく嫌々口にしてはいたけれど、日に日に酷くなっている気がするわ。
だって、吐き気が治らないもの。
喉も渇いたけれど、お水もない。
それなのに誰も来ないなんて、どういうこと?
そもそも、この地下牢に投獄されて何日経ったの? 今が昼か夜かもわからないなんて。
私はそんなに悪いことをした? だって、あの女が……。
いえ、ドレスに火をつけるだなんて、どうかしていたわよね。
それも殿下の結婚式でなんて。
だけど、どうして誰も私を止めてくれなかったのかしら。
殿下の結婚式という大切な儀式に、お兄様たちが出席されていなかったのはなぜ?
もう立ち上がる気力もなくて、横になってぼんやりするだけ。
視界に映る髪の毛はパサパサになっていて、シアラが見たらきっと嘆くわね、なんてどうでもいいことを考える。
シアラは今、どうしているかしら。
あんなに酷く当たっていたのに、ずっと笑顔で仕えてくれて……。
なぜ私はあそこまでいつも苛々していたのかしら。
殿下が私のことを見てくれなかったから?
いいえ。別に、殿下が誰を好きでいようと、私にはどうでもよかったわ。
ただ私は、将来の王妃として特別な存在になりたかっただけ。
殿下の気持ちなんて、関係なかった。
関係ないといえば、ちょっとした苛立ちを通りすがりの女生徒にぶつけたこともあったわね。
あれもどうしてあそこまで腹が立ったのか、今ではさっぱりわからない。
スカートに火をつけるなんて、この前と同じだわ。
あの後、さすがにやりすぎだと、教師たちから懲罰として魔法を封じられてしまったのよね。
あのときには教師でさえも許せなくて、かなり反発したけれど……。
あら? あの懲罰はいつ解除されたのかしら?
何だか頭がぼんやりして思い出せないわ……。
過去のことを思い出そうとすると、こめかみあたりがずきんと痛み始める。
しかも吐き気がまた襲ってきて、苦しさに目を閉じた。
すると、幻聴まで聞こえてきたみたい。
遠くで爆発する音が響き、建物が揺れる。――って、この揺れまで幻?
どうにか体を起こしたとき、真っ暗な闇に一筋の光が差した。
ようやく次の食事の時間?
この地下牢には看守もいなくて、無言で食事を運んでくるだけの使用人が出入りするだけだもの。
みっともなく体を横にしているところを見せたくなくて、硬いベッドの上で石壁に背を預けて座る。
振り乱れた髪も手櫛で整えて――。
「――ファラーラ!」
「……お、お兄様?」
「ファラーラ! ああ、こんな場所にいたんだね!?」
「チェーリオお兄様!」
鉄格子の向こうに見えたのは、光魔法で松明のようにした杖を持つチェーリオお兄様。
お父様の葬儀以来久しぶりにお会いしたお兄様は、あのとき以上にやつれていらっしゃった。
私はどこからか力が湧いてきて鉄格子に駆け寄り、手を伸ばす。
その手はカサカサで汚れてしまっているのに、お兄様はかまわず握って唇を寄せた。
「お兄様、私の手は汚れていますから」
「そんなこと、かまうものか! それよりも、体調が悪いんだね? こんな不衛生な場所でろくなものしか食べられず……」
「お兄様?」
「しっ! 黙って。今、治癒してあげるから」
治癒? 弱ってはいるけれど、私は治癒がいるほどではないと思うわ。
それとも必要なのかしら?
不思議に思いながらも、お兄様に身を任せていると、重たかった体がすうっと楽になった。
「私……やっぱり病気だったの?」
「いや……。ああ、そうだな。すまない、ファラーラ」
「なぜお兄様が謝罪なさるの? こうなったのも、自業自得で――」
「そうじゃない!」
「お兄様?」
「そうじゃないんだ……。ああ、ファラーラ! もっと早く私たちが気づいていれば……!」
鉄格子越しにお兄様が私を抱きしめる。
いったい何を言いたいのか、チェーリオお兄様のお話はいつもわからないことばかりだけれど、今は特に理解できない。
それでも、お兄様のおかげで体は軽くなったわ。
ふうっと大きく息を吐き出したとき、地下まで揺れるような大きな音が響いた。
「何? 祝砲か何かなの?」
まるで大砲を撃っているような大きな音が聞こえる。
騒がしいのは歓声かしら。
だけど、エヴェラルド殿下の結婚式は終わったはずで、祝砲をあげるほどの出来事は……王太子妃懐妊とか?
その考えに至ると、体の奥に澱が溜まっていくようで気分がまた悪くなる。
ただ、以前の頭が沸騰するような怒りはなくて、虚しさが胸に広がっていくだけ。
「あれは……おそらく、ベルトロ兄さんだ」
「――は? ベルトロお兄様?」
ベルトロお兄様なら、この騒ぎも仕方ない気がするわ。
騎士団でも敵う相手はいないってくらいお強い方だし、団員には慕われているって聞いたから、きっとみんなが帰還を歓迎しているのね。
「ベルトロ兄さんだけじゃない。アルバーノ兄さんも……」
「アルバーノお兄様? 外遊から戻っていらっしゃったの?」
お二人ともお父様の葬儀にも間に合わなかったくらい遠くにいらっしゃったのに。
ようやく帰ってきてくださったのね。
それならきっと、この息苦しい地下牢から出してくださるわ。
「チェーリオお兄様。もうお聞きになっているでしょうけれど、私は殿下の結婚式でとんでもないことを――サラ・トルヴィーニ伯爵令嬢のドレスに火をつけてしまったの。それは危険なことだし、罪に問われるのも仕方ないと思うわ。だけど、この牢から出していただければ……確か、王宮には幽閉塔があるでしょう? せめてそちらで暮らせるようにと――」
「ファラーラは何も悪くない!」
「……え?」
チェーリオお兄様が大きな声を出すのは珍しくて、私は目を丸くした。
しかも、私の言葉を遮るなんて、よほどのことではないかしら。
驚いて見上げると、お兄様は苦々しげな表情で続ける。
「いや、確かにファラーラが殿下の結婚式で危険な行為に及んだことは間違いない。それは言い訳のしようもないが……。だが、ファラーラは陥れられたんだよ」
「陥れられた?」
「ああ。あれも……あの食事もおそらく毒が盛られているだろう」
「……は?」
毒? 毒って、暗殺とかに使われる?
それでずっと体調が悪かったの?
食事が口に合わず、吐き気が酷くて、体力もどんどん落ちていたのは、毒のせいだった?
「先ほどの治癒魔法は、体から毒を抜くためのものだ。ずっと研究していたことだが、ようやく完成したんだ」
「それは……おめでとうございます?」
どうしよう。
やっぱり頭が上手く働かないわ。
そんな私を、チェーリオお兄様は憐れむような悲しそうな顔で見下ろす。
何かしら。どこかでこの表情を見たことがあるような……?
「ああ、確か教師だわ」
「教師?」
「ええ。私は学生時代にも、女生徒のスカートに火魔法で悪戯を仕掛けたことがあったのです。さすがにやりすぎだったと今では思うわ。とにかく、そのときに懲罰として魔法を禁じられて……。確かあの教師は、チェーリオお兄様のご学友ではなかったかしら?」
「ブルーノだな。あいつがもっと早く……」
「早く何? あの先生が何かおっしゃったの?」
「……あの一件で、ファラーラの学院での態度を教えてくれたんだ。そして、さすがにやりすぎだと――おかしいと気づいたらしい。それでいろいろと探ってくれた。ファラーラに……暗示などがかけられた形跡はないようだが、家でおかしなことはないか、とね」
「まあ、失礼ね」
お兄様のご学友だか何だか知らないけれど、私のことをおかしいなんて失礼だわ。
そうよ。あの先生は私が課題を提出しないと、必ず呼び出してきたのよ。もちろん無視したけれど。
「いや、とにかくその話は後だ。今はここから出ないと。ファラーラ、少し離れていてくれ」
「え、ええ……」
すぐに出していただけるのは嬉しいけれど、それって牢破りとかいうものでは?
罪を重ねることになるけれど、いいのかしら? いいのでしょうね。
だって、私はファラーラ・ファッジンだもの。
そして、チェーリオお兄様はこの国一番の治癒師で、ベルトロお兄様は辺境警備騎士団長、アルバーノお兄様は……とにかく偉い人なのよ。
皆様、続きをお読みくださり、ありがとうございます!
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お待ちくださっていた方がいらっしゃることがわかり、すごく嬉しいです!(ビビりながらも投稿してよかった…!)
これから不定期更新にはなりますが、少しずつ謎を解き明かせていければと思います。
また、主婦と生活社のPASH!ブックス様より『悪夢から目覚めた傲慢令嬢はやり直しを模索中Re1』も発売中ですので、そちらでの謎解きも楽しんでくだされば泣いて喜びます!
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どうぞよろしくお願いいたします。




