蝶子?20
お風呂には何かいろいろなボタンがあったけれど、触らなかったのよね。
好奇心に負けてお水とかが出てくると困るもの。
私、失敗しないですから。
はああ。やっと落ち着けるわ。
ゆったり湯船に浸かって足を伸ばす。
このまま眠ってしまいたいけれど、シアラがいないから溺れそうになったときに助けてもらえないのよね。
気をつけないと――って、そうだわ!
急いで湯船から出て、バスローブというやつを着て居間に戻る。
「おい、体くらい拭けよ」
「……いたのね」
「じゃあ、帰るよ」
「待って! ダメよ! もしいなかったらどうしようって焦ったんだから」
一人知らない場所で――世界で眠るなんて怖くてできないもの。
出口に向かいかけた相上を引き留めると、振り向いて面倒そうにため息を吐いた。
淑女の前でそんなにため息を吐くなんて失礼だってそろそろ注意するべきかしら。
「とりあえずちゃんと体を拭いて、髪も乾かせよ」
「髪……無理よ。あなたが乾かしてちょうだい」
「へいへい。わかりましたよ、女王様。こちらへどうぞ」
相上は言葉とは裏腹にだらだらと歩いて洗面室に入っていく。
それから鏡の前の椅子を引いてくれたから座ると、化粧水の瓶を取ってくれた。
意外と気が利くわね。
私が化粧水をコットンにひたしている間に、相上はドライヤーのスイッチを入れた。
うわあ。
蝶子がドライヤーをかけているところは何度か見たけれど、実際はこんな感じなのね。
シアラの風魔法と違って、もわってしてぶわってするわ。
何より、音がうるさいわね。
「――ところで、家に連絡はしているのか?」
「連絡?」
「外泊することだよ」
「してないわ」
「連絡くらいしろよ。それとも無断外泊はよくするのか?」
「無断の前に、学校行事以外で外泊したことはなかったと思うわ」
「いや、それならなおさらやばいだろ」
ドライヤーの音に負けないように大声で会話していたけれど、相上はスイッチを切って真面目な顔で告げてきた。
確かに、もし私が外泊をしようものなら――しかも無断外泊なんてすれば王宮にも連絡がいって、捜索隊が結成されて、王都が封鎖されてしまうくらいになるものね。
蝶子の場合はそれほど大騒ぎにはならないだろうけど。
「そうね。やり方がわからないから、あなたが連絡しておいてちょうだい」
「それは余計やばいだろ」
「大丈夫よ。あとは明日どうにかするから」
蝶子が。
相上はすっごく嫌そうな顔をしながらも、またドライヤーのスイッチを入れた。
意外と律儀なのね。
「それで、これからどうするつもりなんだ?」
「もちろん寝るわよ」
「そうじゃねえよ。……わざわざ彼女の連絡先を知りたかったんだから、復讐でもする気だったんじゃないのか?」
「別に、復讐なんてするつもりはなかったわ」
たぶん。
そういえば慰謝料ももらったのに、蝶子が咲良に連絡を取ろうとしたのは何のためだったのかしら。
何となく……とは思っていたみたいだけれど。
「そうなのか? それじゃ、他に何かあるのか?」
「ただ……どうしているか知りたかっただけよ。昔、咲良が住んでいた家に行ってみたけれど、他の家族が住んでいるみたいだったわ。あの浮気男が言うには、二股をかけていた相手も実は既婚者だったらしいけれど……。もう一度会ったからといって特に何かしたいわけでも、してあげたいわけでもないもの。せいぜい『ざまあみろ』って言うくらいかしら」
「言うのかよ」
「さあ? 私なら言うけど」
それよりも今の私のこの状況よ。
どうしてこんなことになったのかしら。
昨夜はベッドに入ってから殿下を振る作戦を考えていたのに。
「……あなた、すごく慣れているわね」
「何が?」
「髪を乾かすのが」
「それよりも服を脱がすほうが得意なんだけどな」
「なるほど」
「そこで素直に納得しないでくれ」
ボタンも素早く外してくれたし、ファスナーとやらも下してくれて、それなのに服が脱げることもなかったのに?
だから後は自分で脱ぐことができたのに。
そういえば、明日の服はどうすればいいのかしら。
「着替えがないわ」
「明日の朝、適当に届けさせとくよ」
「助かるわ。……ねえ、男性が女性の髪の毛にキスをするって、どういうつもりなのかわかる?」
「髪にキス? そんなことするやつは日本人じゃあまりいないだろうが、親愛の証というか、愛情表現じゃね? あとはその相手を口説きたいときとか?」
「口説く……。それって、誰にでもするものなの?」
「誰にでもはしないだろ。よっぽど……軽い男じゃない限り」
「そうなの?」
「俺はそう思うけどな」
殿下が軽い男性だとは思えないわ。……たぶん。
それともこの二年で変わってしまったなんてことはないわよね?
悶々と考えているうちに髪は乾いたみたいで、相上はドライヤーを置いて今度は何かを手に取って蝶子の髪になじませていく。
本当に手馴れている気がするんですけど。
じいっと鏡越しに相上の動きを見ていたら、目が合ってにやりと笑う。
それから髪をひと束すくいとってキスをした。
「あなたは軽い男性ってことね?」
「さあな」
鏡に向かって非難しても、相上は意地悪な笑みを浮かべたまま手を洗ってから洗面室を出ていった。
何なのかしら。
「私はこっちの部屋で寝るから、あなたはあっちの部屋で寝てよね」
「いや、もっと危機感を持てよ」
「だって、一人になったら怖いじゃない。だからちゃんと明日の朝、私の目が覚めるまでいなさいよ」
「魅力的なお誘いだな」
「不寝番が? あなたって変わっているのね。それじゃあ、おやすみなさい」
「……ああ、おやすみ」
当然広いほうの寝室に入って、鍵を掛けようとしたらない。
まあ、いいわ。
とりあえず、寝ればどうにかなるでしょう。
おやすみなさい。




