蝶子?19
「ほら、早く入って寝ろ」
「だから一人じゃ無理なの!」
「おい!?」
さっきの使用人から受け取ったカードを扉の横にかざしてピッて音が鳴ったら、カチャってカギが開いた音がした。
すごいわ。これがカードキーというやつなのね。
相上は私の背中を押して部屋に入れると、カードを差し出してくる。
だからカードではなく、相上の腕を摑んで部屋へと引き入れた。
このまま一人になるなんて無理だもの。
「何を考えてるんだよ! これじゃ俺がお前を連れ込んだみたいだろ!?」
「あら、どう見ても私があなたを連れ込んだでしょう? あなたは私の従僕なんだから、ちゃんとお世話をしてくれないと困るわ」
「……お前、本当に薬とかやってないよな? マジでおかしいぞ?」
「おかしいのは私じゃなくて、この世界よ」
今まで蝶子として夢を見ることはあったけれど、実際に私の意思で蝶子になった夢を見るのは初めてだから勝手がわからないのよね。
本当に、この世界はどうなっているのかしら。
それにしても驚くあまりにせっかくの機会を逃してしまったことが悔やまれるわ。
「ああ、あの浮気男にもっと言ってやればよかった!」
「……そもそも、どうしてあいつと会っていたんだ?」
「蝶子が……咲良の連絡先を聞こうとしたのよ」
「やっぱり馬鹿だな、お前。それで、わかったのか?」
「連絡先を……ブロック? してたからわからなくなったって」
「本気で馬鹿だな」
はあって深いため息を吐きながら、相上はカードキーをテーブルに放った。
それからどさりとソファに座る。
女性を前にして断りもなく自分だけ座るなんて、やっぱり失礼ね。
「蝶子は馬鹿よ。それはよくわかっているの。それよりも私はお風呂に入りたいわ」
「はいはい。んじゃ、帰るわ」
「ちょっと! そうじゃなくて、お風呂の用意をしてちょうだい!」
「は?」
どうして驚くのかしら。
座ったのにすぐに立ち上がった相上は信じられないものでも見るように私を見てるわ。
従僕なんだから、ちゃんと私が心地よく過ごせるように気を配ってくれないと。
「ゆっくりしたいから湯船にはたっぷりお湯を入れてね」
この世界はボタン一つでお湯が沸き出すのも知っているけれど、ボタンはたくさんあるから。
相上は私を胡散臭そうに見てから、おそらく浴室に繋がる扉を開けていってしまった。
その間にちょっと探検。
客間としてはまあ悪くはないわね。
ちょっと狭いし、衣装部屋は小さくて、寝室は二部屋。
居間らしき場所に戻って窓の外を見ると、この部屋がすごく高い場所にあることがわかった。
きっと王宮の一番高い塔よりも高いわね。
レストランにいたときは蝶子の姿に気を取られて景色を見る余裕はなかったけれど、改めて見るとすごいわ。
「おい、あとは――」
「相上! 来てきて! すごいの!」
「何がだよ……」
居間に戻ってきた相上を手招きすると、とっても面倒そうにやってきた。
でもこれを見たら驚くわよ。
「ほら! すごく綺麗な景色でしょ!」
「……そうだな」
「感動が薄いわ! こんなにキラキラしているのに! それでいて、空にはお月様さえ見えなくて真っ暗……でもないわね。でも星が輝いていないわ。ぼんやりしていて変な感じ。まるで世界がひっくり返ったみたい!」
あ、本当に私の世界はひっくり返ったんだわ。
だけどこんなに綺麗な光景を見ることができたんだから、よしとしましょう。
相上も蝶子にとっても当たり前の光景なのかもだけど。
「ねえ、もう見慣れているのかもしれないけれど、でもすごく綺麗なんだから日常にしてしまうのはもったいないわよ」
「ずいぶんロマンチックなことを言うんだな」
「それは私も思ったわ。詩人になれるかもしれないわね。いい言葉すぎて、私も胸に刻んでいるところ」
「何だそれ」
元の世界に戻ったら、今まで当たり前だと思っていたことを新しい気持ちで見てみましょう。
って、相上が笑ったわ。
なぜかしら。
この笑顔に胸がきゅって苦しくなる。
わかったわ。
これがギャップ萌えってやつね。
普段のボサボサな姿と違って、身ぎれいにしているからかイケメンだもの。
「――って、あなた背が高い?」
「は? まあ、180はあるから高いほうだろうな」
「すごいわ! 身長差があまりないなんて!」
「いや、あるだろ」
いいえ。ないのよ。
だってもし蝶子でなく、今の私がファラーラだったら、ガラスに映った姿は大人と子どもくらいだったはずなのよ。
もちろん、私はまだこれからも伸びるわよ。成長期だもの。
それにしてもこれだけ身長があると、目線も違うのね。
まあ、この世界での蝶子目線は同じだけど。
「――風呂、たまったみたいだぞ」
「準備ができたの? それじゃあ、メイドを呼んでくれる?」
「は? メイド? 何のために?」
「服を脱ぐためよ」
「お前は完璧な馬鹿だな」
「仕方ないじゃない。こんな服は初めてなんだもの」
「……その前側にあるボタンを外して、スカートも脱げばいいだけだろ」
「ボタンなんて、自分で留めたことも外したこともないわ」
「わかった。じゃあ、俺が脱がしてやるよ」
「そうね。あなたしかいないのだから仕方ないわね。許してあげるわ」
「……なあ、本当に大丈夫か? やっぱり病院に行ったほうがよくないか? 外聞が悪くはならないようにちゃんと手を回してやるから」
「私は大丈夫よ。心配しなくても明日の朝になったら、いつもの蝶子に戻っているわ。……たぶん」
「たぶんかよ。……わかった。それじゃ、後でぎゃあぎゃあ言うなよ」
「それは保証できないわ」
「おい」
だって、朝起きた蝶子がどんな反応をするかなんてわからないもの。
蝶子はいつも自分で着替えていたものね。
体はたぶん一人でも洗えると思うし、髪の毛も大丈夫。……だと思うわ。
「はああ。もうどうでもいいか。ほら、バスルームに行くぞ」
そう言って相上はすたすたと先ほどの扉の向こうに行ってしまったから、急いで後を追う。
なかなか素敵なバスルームね。
相上は私に「これがメイク落とし」だの「化粧水」だのと説明を始めたけれど、それくらいは知っているわよ。
私を誰だと思っているのかしら。
今は蝶子になっているからって、馬鹿にしないでほしいわ。
巷で大人気の基礎化粧品開発を(ジェネジオに指示)した、ファラーラ・ファッジンよ。
おほほほほ! ……大丈夫かしら。




