成長1
「もちろん、ここまで話が進んでいてやめるなんてできないのは当然だけど、本当はこれでいいのか、逃げるだけなんじゃないかって悩んでいたんだ」
「逃げる? 私からですか?」
「いや、現状からだよ」
「現状……?」
って、要するに私と婚約していることではないの?
他には課題が多すぎて学院が嫌になったとか?
だけどトラバッス王国の学院に編入されるなら、また勉強はしないといけないものね。
ただの放浪でないもの。
それともトラバッス王国の学院は課題が少ないのかしら。
それは要確認だわ。
「今までの僕は――それこそ物心ついてからの僕は王太子として、常に模範的な行動をとるべきだと教えられてきた。もちろんそれは僕のように恵まれた立場の者の義務ではある。だけど、ずっと何かが足りない気がしていたんだ」
「何かが足りない?」
嫌だわ。義務とか私の一番嫌いな言葉なのに、まだ何が足りないのかしら。
成績は十分なはずだし、人望もあって、財産もある。
敢えて言うなら面白みがない?
いえ、殿下が自分に足りないのは〝お笑い〟だなんて思われるはずがないわよね。
むしろそれなら面白いのだけれど、違ったときにお互い大けがしそうだから口にするのはやめておきましょう。
他に必要なのはひょっとして、愛?
家族愛には恵まれていらっしゃらないみたいだものね。
それでサラ・トルヴィーニの愛を必要とするようになったのでは?
本来そのことに気付くのは五年後だったのに、私が余計なことをしたばかりに早く気付いてしまわれた?
「その……足りないものが何かはおわかりになったのですか?」
「うん。ようやくね」
「お訊きしても?」
「うん、もちろん。ファラーラが僕に気付かせてくれたんだから」
サラ・トルヴィーニとの愛を?
聞きたくないけれど、好奇心の勝ち。
「先日、サラが主催したお茶会に出席して……」
はい、きた。
涙ながらに(知らないけど)別れを惜しむサラ・トルヴィーニを見て、気付かれたんですね。
愛、とやらを。ふん。
「リベリオもいて、サラもいて……サラ主催は初めてだけれど、ほとんど伯爵夫人が采配されていたからね。今までのお茶会と特に変わったことはなかったんだ」
「そうですか……」
まあ、初めての主催なんてそんなものよね。
私も女子会は頑張ったけれど、ほとんどがお母様の秘書と鍛え抜かれた使用人の力だもの。
それで、何でもないようなことが、かけがえのないものだったと思ったのかしら。
「それなのに今回、すごく退屈だったんだ」
「……お茶会がですか?」
「うん」
「殿下の壮行会も兼ねていらっしゃったのに?」
「申し訳ないけどね」
「それは……」
やっぱり私がいなかったから?
サラ・トルヴィーニでは殿下を笑わせるのに力不足だったのね。
これは愉快痛快!
いえ、ちょっと待って。
私だって別に殿下を笑わせたいわけではないのよ。
楽しんでもらえたら……って、だからそうではなくて。
「みんな、僕のことを王太子としてしか見ていないんだ。それは当たり前なんだけど、そのことに気付いたとき急に僕は何なんだろうって、ちょっと虚しくなって……。それでずっとモヤモヤしていて、ファラーラに八つ当たりしてしまった。ごめんね」
「いえ、八つ当たりなど……」
それは私の得意技だから、お気になさらなくていいです。
お気持ちは十分わかりますから。
それよりも、そこは私がいなかったからというのが定番ではないの?
八つ当たりでしたか。そうでしたか。
「だけど今日、ファラーラとこうして会って話ができて、色々すっきりしたよ。意地を張らずに僕から会いに行けばよかったのにと、後悔もしているけどね」
「すっきりなされて、よかったですね」
だから、足りないものって何?
私の存在とか、夢見がちなことは思わないから早く教えてくださらないかしら。
「ありがとう、ファラーラ。僕には僕が足りないことがわかったんだ」
とんちですか?
それとも哲学的なこと?
申し訳ないのですが、私は精神主義より物質主義なので意味がわかりません。
「ファラーラに我が儘だって言われて、初めてのことに嬉しくなったなんておかしいよね? だけどそれで、僕には今まで自分というものがなかったと気付けたんだ。我が儘は悪いことだって思い込んでいたけれど、ファラーラの我が儘が聞けないと寂しく感じたりして……。これもまた我が儘かな?」
「えっと……私はできるだけ我が儘を抑えようと努力してますので何とも……」
ちょっと待って。
私の中で〝我が儘〟の概念がゲシュタルト崩壊しているわ。
我が儘。我のまま。ありのまま。素顔を見せるって本音のこと?
これはデジャヴ?
いえ、さっき考えたことね。
要するに、振り出しに戻る?




