蝶子16
「――というわけで、依頼にあった全員が今はそれぞれ幸せに見える生活をしている」
「……見える?」
「そりゃ、本当に幸せかどうかは本人にしかわからねえだろ。ひとまずは結婚したり、仕事したり、それなりに問題なく暮らしているってことだ」
「……わかったわ。ありがとう」
メールで調査が終了したとの連絡を受けて事務所にやってきたけれど、相上は先日のことなんて何もなかったような態度。
言葉遣いこそ悪いけれどすごく事務的で突き放した感じ。
そもそもこの調査書だって普通の郵便物のように偽装して送るって言われたのを、私が無理に直接聞きたいからといってやってきたのよね。
私、何を期待していたんだろう。
そもそも期待って何?
馬鹿馬鹿しくて笑いだしそうになるけれど、もう一つだけ気になることがあるから。
「その、咲良はあれからどうしているか知ってる?」
「それは依頼にねえな」
「教えてくれてもいいじゃない」
「自分で調べればいいじゃねえか。連絡の取り方くらいわかるだろ?」
「じゃあ、依頼料を払えば教えてくれるわけ?」
「仕事ならな」
連絡先を私が直接知らないことくらいわかっているはずよね。
要するに、関藤さんか誠実さんに訊ねるしかないってことだわ。
学生時代の友達に――知り合いに訊けばわかるかもしれないけれど、そもそも知り合いと連絡を取れるかどうかわからないもの。
相上はそういうことを全部お見通しのはずなのに。
「……いいわ。それじゃあ、こっちで勝手に調べるから」
「そうしてくれ。あとこれ、請求書な。この口座に振り込んでくれ。この辺は治安が悪いんだから、わざわざ持ってこなくていいぞ」
「わかっているわよ!」
差し出された請求書を引ったくるように受け取って席を立つ。
相手の礼儀がなっていないからって、自分まで無礼でいいってわけじゃないのだってわかっているけど、我慢できないんだもの。
本当に腹立つわ。
絶対にもう頼ったりなんてしない。
お金を振り込んで、もうこれで縁を切っておしまい。
そんなの当たり前のこと。
「毎度あり~」
「さようなら!」
最後まで本当に腹が立つやつね!
今日は送ってくれないのかとか、考えてる自分に一番腹が立つけど!
来るときと同じようにしっかりバッグを抱えて、小走りに駅まで向かう。
視線は感じた気がしたけれど、無視していればほら、もう駅よ。
そのまま改札には入らず、連絡通路で駅の反対側に出る。
そこは再開発されましたって感じの街並みが広がっていて、人通りも多い。
ほっとしつつタクシー乗り場に向かって客待ちしていた車両に乗り込んだ。
「お客さん、その駅でしたら電車のほうが早いですよ」
「かまわないわ」
「わかりました」
今は乗り換えで歩くより、渋滞でも座ってゆっくりしたい。
目的地は自宅ではなく、咲良の実家。
昔、一度だけ遊びに行ったことがあるのよね。
どんな家に住んでいるかの偵察のようなもので、あのときの私は格下だと判断したのよ。
もちろん父親の仕事が大手企業の部長だって確認はしていたけど、実家が資産家なんて場合もあるからって。
本当に浅ましい考えだわ。
(とはいえ、いくら今日が日曜だからって咲良はいない可能性のほうが大きいわよね。もう結婚しているだろうし)
実家に行っていきなり連絡先を教えてほしいなんて怪しすぎるし、特に何かするわけじゃないけど。
ほんと、何となく……何しているんだろう、私。
ぼんやり車窓から外の景色を眺めていたら、道行く人たちみんなが目的もって人生を進んでいるように見えた。
それなのに私は、このまま親の薦める相手とお見合いして結婚して、なんて未来くらいしか思いつかない。
少し前までのわくわく感は、今まで出会った人たちとは違うタイプの二人――関藤さんや相上が私の凝り固まった未来のビジョンを変えてくれそうだったから。
それも他力本願だったことに気付いて、だからといってやっぱり自分には何もなくて、胸にぽっかり穴が開いたみたいに気持ちがスウスウする。
あのわけのわからない夢――ファラーラのように子どもの頃からやり直せていたら違ったのかな。
それともあの子のように不労所得で悠々自適生活を目指す?
幸い一等地にビルはあるし、ある程度の資産もあるから、あの子みたいに贅沢を目指さなければ十分暮らせるはずだけど。
これからずっと一人で?
雄大の子どもたちに変わり者の伯母さんとして扱われて?
目的の駅についてお金を払った私は、昔と大して変わっていない景色にほっとした。
ここから少し歩く住宅街に咲良の実家はあるけれど、ちゃんとたどり着けるかな。
方向感覚にはわりと自信があるけれど、たった一度きりだったから不安。
それでも記憶にある小さな公園を見つけてからは、どんどん思い出してきた。
この公園の奥の住宅の向こうはバス通りで、その通りを渡ってポストの近くの横道に入って……あった、ここだわ!
レンガ造りの門構えと建物とが今一つあっていなくて、印象的だったのよね。
あのとき、咲良の気まずそうな表情を見て満足したことまではっきり思い出したけれど、今はただ情けない気分。
本当に自分勝手で傲慢な子どもだったんだわ、私。
だからといって、咲良がしたことを許せるわけではないけど。
学生時代の私も酷かったかもしれないけれど、ここ最近の咲良のしたことはちょっと異常だもの。
人の婚約者を寝取って、振って、慰謝料の支払いまで渋って、関藤さんとのありもしない仲を勘繰って脅そうとしたんだから。
思い出したらくだらない感傷も消えて、腹が立ってきた。
このままご両親に咲良のやったことをばらしてしまおうかとまで思ったけれど、表札を目にして怒りも萎む。
「え、誰?」
外観は何も変わっていないのに、表札の名前が違う。
咲良が住んでいないことは予想できたけれど、まさかご家族も引っ越してしまったなんて。
連絡先を知る手段の一つ――もちろん使うつもりはなかったけれど、それでもその手段がなくなってしまったことで、私は焦ってしまったみたい。
別に、咲良と今さら連絡を取りたいわけでもなかったのに。
たとえ話がしたくても他に方法はあったのに。
気が付けば来た道を戻りながら、誠実さんに電話をしていた。
皆様、いつもありがとうございます。
色々と立て込んでおりますので、次の更新はちょっとだけ遅れるかもしれません。
よろしければ書籍版の番外編や特典SSをお勧め( ´艸`)
それでは、引き続きよろしくお願いします。




