葛藤3
「ファラ、さっきの質問だけど、何かあったの? 先生のお給金のことなんて訊くからびっくりしちゃった」
「ええ、本当に……ファラーラ様、何か心配事でもあるのですか?」
「私にできることがあれば……できないことのほうが多いですが、それでもお話だけは伺うことはできますわ」
授業が終わって放課後。
エルダやミーラ様、レジーナ様が授業中の私の質問を聞いて、何かあったのかと心配してくれた。
本当にみんな優しいんだから。
「ありがとう、エルダ、ミーラ様、レジーナ様。驚かせてしまって、ごめんなさい。私、今まで何も考えずに好きに暮らしていたけれど、もっと社会のことを知らなければいけないと思って……」
私の悠々自適生活のために。
蝶子が見ていたテレビでも特集していたもの。
社会の仕組みを知らなければ、損することは多いって。
亡くなったおばあ様に宝石類の他に小さな土地も遺してもらったけれど、上納金の他にも小作人たちの面倒を見たり、意外と出費があって収益はそれほどではないのよね。
自然災害にも(管理人が)備えておかないといけないし、収入源はたくさんあったほうがいいわ。
「まあ、さすがファラーラ様ですわ! 庶民の生活のことまで知ろうとなさるなんて!」
「やっぱり殿下の婚約者として、学ばれようとなさっているのですね。尊敬いたします!」
「ありがとう、ファラ。私たちの生活のことまで心配してくれているんだね?」
うん? 全然違いますけど。
でもみんなの期待を裏切るのは申し訳ないから、ここは笑顔で誤魔化しましょう。
「買いかぶりすぎよ。私はそんなにできた人間ではないもの。私に何かできることもないしね。ただ知ることは大切なことだから」
「知ろうとしてくれるだけでも違うよ。嬉しいな」
「エルダ……」
無邪気な笑顔が邪気だらけの私には眩しすぎるわ。
このまま私は浄化されるかもしれない。
ああ、ミーラ様やレジーナ様、それにクラスの子たちまで私を褒めたたえてくれるなんて。
そうよ。もっと褒めたたえていいのよ。
おほほ――。
「ファラーラ・ファッジン。ちょっと職員室に来なさい」
「……フェスタ先生、今からですか? 私――」
「今すぐ、だ」
嫌だわ。
せっかくいい気分になりかけていたのに、フェスタ先生の登場で台無し。
エルダやミーラ様、レジーナ様ともっとお話したかったのに。
まあ、空を飛ぶことに何か進展があったのかもしれないし、仕方ないわね。
「それでは皆様、ごきげんよう。また明日ね」
「ファラ、昨日といい、今日といい、大丈夫なの?」
「本当に何かございましたら、おっしゃってくださいね?」
「ありがとう。でも大丈夫よ」
ほらあ。またみんなに心配かけてしまったじゃない。
フェスタ先生は呼び出すだけ呼び出して、さっさと行ってしまわれた。
ちょっと失礼じゃないかしら。
昨日の今日で、お爺ちゃんはもう飛べるようになったとか?
確かお爺ちゃんはこの国だけじゃなくて、世界でも一、二を争うくらいの実力ある魔導士だって聞いたことがあるわ。
それなら飛べても不思議じゃないかも。
なんて考えながら職員室に入ったら、なぜか先生方は私を見てぱっと目を逸らした。
それどころか、フェスタ先生に縋るような視線を向けていらっしゃる方もいるわ。
「先生、何か大変な事件でも起こったのですか? 職員室の雰囲気が変ですわ」
「事件はここではない、教室で起こったんだ」
「まあ、どちらの教室ですか?」
まさか名探偵ファラーラ・ファッジンの出番?
私を頼るなんて相当の難事件ね。
「ひょっとして、学院内で誰かが殺されたのですか?」
「私が担任をしているクラスで、先ほど教師生命を絶たれようとした先生がいらっしゃるんだ」
「まあ、それはお気の毒に。では、その場に居合わせた私に犯人についてお訊きになりたいのですね?」
「いや、君だよ。聞くまでもなく、犯人はファッジン君だ」
「私が? それは何かの間違いです。冤罪ですわ」
「ほう? では君はバッジオ先生に、この仕事ができなくなったらどうやって生活されるのか、と脅さなかったと?」
「脅し? それは違います。私は単純に質問しただけです。社会の仕組みを知るのは大切なことですから」
何てことでしょう。
私の純粋な知的探求心がそのように誤解されるなんて。
だからドヤ顔で否定したのに、フェスタ先生はすっかり聞き慣れた大きなため息を吐かれた。
「あのな、それは社会学の時間に質問しろ。バッジオ先生の専門は語学だ」
「ですが気になったことはすぐに答えを求めないと、後回しにして忘れるかもしれないじゃないですか」
「そもそも授業に集中していれば気になることもないだろう。相変わらず君は授業中にぼけっとしているが、ろくなことを考えていないことはよくわかった。とにかく、その考えは口に出さず、ノートにでも書いておきなさい」
「アイデアノートですね! では書けましたらフェスタ先生に――」
「私は見ない、聞かない、関わらない。全て学院長に相談しなさい」
「……先生はサルですか?」
「何だって?」
あ、しまった。
つい思い浮かんだことを口にしてしまったわ。
あれは〝見ざる聞かざる言わざる〟だったわね。
一瞬、怒られるかと思ったけれど、フェスタ先生はすぐに脱力したみたいに机に肘を置いて大きなため息を吐かれた。
「あとな、課題は答えを書き写すんじゃなくて、ちゃんと自分でやりなさい」
「な、なぜそれを……」
まさかの名探偵ブルーノ・フェスタなの?
それともエスパー・ブルーノ?
「君の解答ではあり得ない内容だからだ。まあ、もういい。このままバッジオ先生に誤解させたことを謝罪してから帰りなさい」
「……わかりました」
そんな投げやりな態度は失礼じゃないかしら。
でもこれ以上フェスタ先生の幸せが逃げるお手伝いをしても申し訳ないので、素直に従ってあげるわ。
確かに、授業に集中していなかった私も悪いものね。
反省ならサルだってできるんだから。ウッキッキ。
バッジオ先生のお席はどちらかしら。
あ、あちらね。
目が合ったと思ったのに、バッジオ先生は急に席を立たれて何かに追われるように行ってしまったわ。
お手洗いかしらね。
お待ちするのも失礼だし、謝罪はまたでいいわよね。
私、去る者は追わず主義ですから。




