チェーリオ11
「やはり……逃げ出すほど嫌だったということですよね……」
ファラーラが殿下を連れて逃げ出した後、プローディ殿がぽつりと呟かれた。
嫌かどうか以前の問題だが何も答えずにいると、ブルーノが立ち上がって長椅子へと移動した。
「プローディ君、ちょっとこちらに座りなさい。そこではお互い席が遠いからな」
ブルーノは自分の隣をぽんぽんと叩いてプローディ殿を呼んだ。
教師らしいじゃないか。
お前も手伝えとばかりにブルーノが目で伝えてきたので、私も反対側に座る。
プローディ殿の傷ができるだけ浅くすむように、慰めてさしあげなければ。
もちろん気の迷いなどと言うつもりはない。
プローディ殿の気持ちを肯定したうえで、誰しも一度は通る道だと諭すのだ。
「――僕は、ずっとファラーラ嬢のことが嫌いだったんです」
ははは。そうかそうか。
では選んでもらわなければならないな。
私か、ベル兄さんか、アル兄さん、誰と決闘する? 全員か?
「それなのに、あの笑顔は反則ですよ……」
ファラーラの笑顔は至宝であり、決して反則などではない。
何もわかっていなかったらしいプローディ殿には教育的指導を行いたいが、今現在ブルーノに全力で止められている。
さすが親友と言うべきか、私の心の機微を素早く察知して緊縛魔法で私の動きを封じるなど狡いぞ。
これではプローディ殿に何もできないではないか。
そもそもこのことを見越して、私まで誘い込んだのだな。
ブルーノの緊縛魔法はかなり近づかなければ私には効力がない。
それなのにプローディ殿はそんなことに気付いた様子もなく、自分の世界に浸っている。
本当にまだまだ甘いな。
甘いというより青臭いか。
「初めは何かの間違いだと思ったのです。あれほど毛嫌いしていた相手が気になるなど」
「そうだな。今でも間違いだったらよかったのにな」
「制服姿に驚いただけだと思いましたし、彼女の志を聞いて見直しただけなのだと」
「そうだな。突然変異したら誰だって気になるよな」
「それから……色々あって、次はどんなことをするのだろうと、いつの間にか目で追うようになっていたのです」
「そうだな。人は怖いもの見たさというものがあるからな」
おのれ、ブルーノめ!
私の動きだけでなく、言葉まで封じるとは!
覚えておけよ。後で隙をついて同じ緊縛魔法を発動させ、辱めを受けさせてやる!
それにファラーラのことを突然変異だの怖いもの見たさだのと、怪しげな言葉で例えるなど。
プローディ殿も、その〝色々〟を詳しく聞かせてくださるべきでしょう。
なぜ省略するのです。
そこからいかにファラーラが可愛いか、天使かを語ってくださるべきなのに。
「自分の中で決定的になったのは、二人がお忍びで――」
「プローディ君、自分の気持ちに向き合うことができたのだから、今度は前を向こう。人生はまだまだ始まったばかりだ。今はまだ複雑な心境かもしれないが、時間が経てば冷静――いや、時間が解決してくれるのを待つしかないんだ」
そうか。先ほど殿下から伺った社会見学がきっかけで、無駄な抵抗を諦め、ついにファラーラへの想いを自覚してしまったのだな。
それでもファラーラは届かぬ至高の存在。
ファラーラの兄である私に打ち明けることですっきりされたかったのかもしれない。
旅先で出会えなかったことが残念です。
無事に王都に戻っていらっしゃったのなら、旅先の事故で片づけられないではないですか。
プローディ殿が当初ファラーラへ抱いていた感情と、今現在困らせたことへの教育的指導をどうにかできないかと考えていたとき、ファラーラが戻ってくる気配がした。
瞬間、ブルーノの魔法が緩んだのでその隙を突いて拳を繰り出す。
しかし、ブルーノに阻まれてしまった。
「チェーリオ殿?」
「……持つべきものは友人、です」
「やはりそうですよね……。私は自分が楽になりたくて告白してしまい、エヴェラルドとファラーラ嬢に負担をかけてしまいました。ですがこれからは二人を支えられる存在になれるよう努力していきたいと思います」
「それは……いい考えだ、な……」
プローディ殿はベル兄の拳を望まれていたのだから、私だっていいだろう?
なのになぜブルーノは邪魔をするんだ。
というよりなぜ私はプローディ殿の背後でブルーノと手を握り合い力比べをしているんだ?
正確には私の拳を摑まれているのだが。
「――リベリオ、もう大丈夫か?」
ファラーラたちが戻ってきて扉を開けた瞬間、ブルーノは私の手を離してプローディ殿の肩に腕を回した。
私はさりげなく背もたれに腕を置く。
ブルーノは小声で「今まで通りの態度でいなさい。お互い、なかったことにできるから」とプローディ殿に囁きかけていた。
そこまで気を使わなければならないなど、教師とはやはり大変そうだな。
「ああ。気持ちの整理もついた。元々わかってはいたんだがな。ファラーラ嬢、混乱させて申し訳なかった」
「い、いえ。ちょっと驚きましたが、私は大丈夫です」
おい、ブルーノ。
ファラーラには笑顔を向けろ。
お前はちょっと目つきが悪いのだから、無表情だとファラーラが怖がるだろう。
後でブルーノとは改めて話し合わなければならないようだ。
「リベリオ様、学院に戻られたら気分転換に部活動を始められてはどうですか?」
「部活動?」
「はい。リベリオ様に入部していただければ、とても心強いですわ」
ファラーラはプローディ殿が落ち込んでいらっしゃるらしいことを察して励まそうとしているのか。
やはりファラーラは天使だ。
それなのになぜかブルーノは「悪魔だ……」と呟いている。
それを聞いてしまったファラーラは怯えているじゃないか。
ここは私が安心させて――って、おーい!
何ですか、殿下のその笑顔は。
ファラーラ、騙されてはダメだ。
その笑顔は学生時代のブルーノを彷彿とさせる。
殿下は環境にも負けることなくまっすぐにお育ちになっていると思っていたのに。
アル兄さんとベル兄さんが原因か。
いや、おそらくプローディ殿の告白が最大の要因のような気がするな。
ということは、全てファラーラが可愛いがために起こってしまったことだ。
そうか。ファラーラは天使であると同時に小悪魔でもあるのだな。
ブルーノはそれが言いたかったのだろう。
部活動とやらの説明を一生懸命するファラーラは可愛い。
私もその〝魔法ラブ〟に入部できないのだろうか。
学院長に頼めば許可してくれそうだが、そうなると実験が疎かになる可能性がある。
実験はブルーノのこの屋敷で行うのが一番外に漏れにくいだろうし、諦めるべきか。
ファラーラの訪問に殿下が付き添われることは納得いかないが、私の知らないファラーラを教えてくださると思えば我慢できる。
そうだ。我慢だ。
会えない時間が長ければ長いほど、会えたときの喜びはこの世のものとは思えないほど大きくなるはずだ。
ここは耐え忍ぶべきだろう。
あんなに頬を紅潮させたファラーラをずっと見ていると心臓に悪い。
「――それはもちろん、空を飛ぶのです!」
「振り出しに戻ったよ……」
ブルーノ、お前は先ほどからうるさいぞ。




