チェーリオ1
ファラーラが生まれた時、その産声はまさに福音であり、美しき音色は皆の心を虜にし、天から舞い降りてきた天使のごとき容貌で皆の心を癒し、本物の幸福というものがどういったものか皆に知らしめたのだ。
――というのは、アル兄さんがよく言っていることだが、本当にその通りだと思う。
ファラーラが生まれてからは、天使のようなファラーラを中心に家族で集まることが増え、家族の結束は強くなった。
それまでは年の近い男三兄弟、思春期真っ只中なために、それほど兄弟仲がいいとは言えない――いや、正直に言えば仲は悪いほうだったのだ。
アル兄さんは頭が固く(今もだが)、ベル兄さんは考えるより先に体が動くので(今もだが)、よくケンカをしていた。
しかもなぜかいつも私まで巻き込まれる。
内容は驚くほどつまらないことなのだが、思春期特有のわけのわからない苛々を家族にぶつけていたのだろう。
そしてアル兄さんに口で勝てるわけのないベル兄さんが先に手を出し、最終的には取っ組み合いのケンカになるのだ。
そうなると誰も止められない。
もちろん父さんがいれば止めたのだろうが、この頃は陛下の補佐的業務が忙しく、王宮から帰ってくることはめったになかった。
母さんも社交に忙しく(おそらく父さんたちのための根回しだったのだろう)屋敷を留守がちにしていたので、兄弟ゲンカの場に居合わせることはなかった。
というより、両親がいないからこそ始まるケンカであり、当時の家庭教師や世話係はかなり苦労しただろう。
もし、あのまま成長していれば兄弟仲は今頃どうなっていたかはわからない。
今でも仲が悪かったとはさすがに思わないが、お互いの距離感はあったはずだ。
それが今では時間がある限りは顔を合わせるようにしている。
ファラーラと一緒に時間を過ごすのも当然だが、いないところでも情報交換をするのだ。まあ、お互いのファラーラ自慢とも言うが。
とはいえ、初めて両親から弟か妹ができると聞かされたときには微妙な気持ちになった。
今さらというか、恥ずかしいような、それでいて私にとってはようやく子分ができると嬉しくもあったのだ。
兄さんたちは表には出さなかったが反発していたように思う。
ところが、生まれてきた赤ん坊を見た瞬間「え? 天使かな?」と思ったのは今でも覚えている。
ベル兄さんなんて実際に父さんに「大変だ、父上。間違えて天使が来てしまった!」と言っていたくらいだからな。
それを聞いたアル兄さんが「馬鹿だな、ベルトロ。間違いではなく、わざわざ我が家に天使が舞い降りてくださったんだ」と大真面目に言っていたくらいだ。
するとベル兄さんはムッとして何か言いかけたけれど、天使が――ファラーラが泣きだしてしまったために、皆であやすことに必死になった。
その日以来、兄弟ゲンカが始まると必ずファラーラが泣きだすのだ。
声が聞こえない場所であるにもかかわらず。
それなのにファラーラの泣き声はよく聞こえるのだから不思議だった。
使用人の誰かが拡声魔法でも使っていたのかと思うくらいだ。
どちらにしろ、私たち三人の険悪な空気を離れた部屋にいても察知したかのように泣き出すファラーラのためにお互い譲歩を覚えた。
しかも仲良くしていると、ファラーラも機嫌よく幸せそうに笑う。
ファラーラの笑顔のために兄弟仲はすっかりよくなり、父さんも早く屋敷に帰ることができるようになり、さらには貧困に喘ぐ民がずいぶん減ったとのことだった。
やはりファラーラは天使だ。
そんなファラーラも五歳になった頃には少々生意気なことを口にするようになっていたが、それがまた可愛いくて仕方なかった。
そしてある日、ファラーラは屋敷に訪問していたアル兄さんの婚約者に対して癇癪を起したのだ。
私とベル兄さんが急ぎ居間から連れ出したが、ファラーラは「あの人が嫌い」「お兄様と結婚してほしくない」などと言っていて、宥めるのに苦労したんだよな。
だがそれもまた、ただの可愛い嫉妬だと思っていた。
ところが翌日、ファラーラの非礼を改めてお詫びするために彼女の屋敷に訪れたアル兄さんと母さんは、庭の東屋で使用人と逢引きする婚約者の姿を目にすることになったらしい。
一緒に目撃した彼女の母親がショックのあまり騒ぎ立てたために屋敷中に知れ渡り、そこから社交界にも広がったが、一応は穏便に婚約解消となった。
彼女の言い分としては「アルバーノ様とご一緒だと堅苦しくて息が詰まりそうなの。それで癒しがほしくて……」だったそうだ。
主張はわからないでもないが、物事には順序というものがあるし、弁解にも何にもならない。
しかしアル兄さんはあまり気にした様子もなく、彼女とは縁がなかったのだろう、といったことを長々しく語っていた。
アル兄さんという人物を知らなかったら、ただの未練がましい言い訳にしか聞こえなかったかもしれない。
ああ、それにあの事件もあったな。
友人の多いベル兄さんはよく屋敷に大勢招いていたが、そのうちの一人をファラーラが嫌いだと言い出したのだ。
しかも「気持ち悪いから嫌い」と。
まさか私たちの大切なファラーラに何かしたのかと一瞬疑いもしたが、彼は学生時代から品行方正で有名な人物だったので制裁を加えることなく、次からは招待しないことにした。
その後、彼が使っていた部屋の調度品が失くなっていることに気付いたのはメイドで、それ以外にも以前招待した狩猟小屋の銀器等が失われていたらしい。
まさかと思いつつも質屋を調べると、我が家の調度品等が数点見つかり、そこから簡単に彼へと足がついた。
どうやら彼は賭博で多大な借金を抱えており、ベル兄さんは金も直接貸していたようだ。
それからというもの、アル兄さんもベル兄さんもファラーラの言うことは単なる我が儘ではなく、天使のお告げとして受け取るようになった。
以前、学院の女生徒が言っていたことが今ならわかる。
〝可愛いは正義〟だ。
父さんもファラーラには甘く、もちろん私もファラーラの願いなら何でも叶えてやりたいと思っている。
母さんだけが、このままではファラーラは傲慢な娘になると奮闘しているが、四対一ではなかなか難しいだろう。
ただ最近になって持ち上がってきたファラーラの婚約話――王太子殿下との婚約には、たとえファラーラが願っていても大反対だった。
政治的なことにファラーラを巻き込むなんてもってのほかだ。
それなのに父さんは同じように反対していた兄さんたちを遠ざけてから、婚約話を進めたんだ。
これはまずいと思うが、兄さんたちのことは父さんがどうにかするだろう。
しかも、殿下は乗り気ではないそうなので(ファラーラの何が不満なのか膝を詰めて話をさせていただきたいところだが)、形だけのもので時期がくれば解消になるかもしれない。というより、しなければならない。
そのことについては兄さんたちと話し合おう。
とにかく今はファラーラにお願いされたことのほうが重要だ。
新しい薬の開発は叶わなかったが、別の良案を思いついたのできっと喜んでくれるに違いない。
協力してくれていているブルーノの手紙からもそろそろ王都へ戻る頃合いだろう。
ファラーラには結果を出すまで会えないのは残念だが、近くにいれば何かあってもすぐに駆けつけられる。
ファラーラはまた可愛くなっているに違いない。
だから王都に戻れば何かと忙しくなるはずだ。
私たちの大切なファラーラを守るために、まず必要なのは牽制だろうか。
ああ、早くファラーラに会いたいなあ。
※これはチェーリオの主観であり、ファラーラはただ我が儘を言っただけで、予言などの力はありません(笑)




