レジーナ
「ファラーラ様、最近お変わりになったわよね」
「しっ! レジーナ様、ここではダメよ。誰かに聞かれたら、すぐ噂になってしまうわ」
入学早々ファラーラ様が職員室に一般生と向かわれるのを見つめながら私が呟くと、ミーラ様は人差し指を鼻に当てられて内緒話のように話を続けられた。
だけど、みんな気付いていることだと思うわ。
気付いていないのは、学園の一般生徒くらいよ。
ミーラ様はファラーラ様といつも一緒にいらっしゃるちょっと面白い方。
噂好きで何でもご存じで、知らないことがあるとすぐに知ろうとなさっていて、騒ぎのある場所には駆ける勢いで向かっていくのよね。
私は田舎育ちで学園に通うために王都で暮らすことになっただけだから、ファラーラ様とミーラ様とお友達になれて本当に幸運だったわ。
小さい頃は体があまり丈夫ではなくて、田舎といってもいつもお屋敷の中で過ごしていたから世間知らずなのは自覚していたわ。
慣れるために入学より早めに王都に向かうときだって、お兄様から言われたのよね。
『お前はぼんやりしているから、王都では苦労することになるぞ。だから入学したら、いや、入学前から女の子同士のやり取りをよく観察して一番強そうな子と仲良くなるんだ』
『一番強そうな子って、どうやってわかるの? 仲良くなんてどうすればなれるの?』
『それはな、見ていればわかる』
『そんな……』
『人間は動物と一緒だ。生存本能が働く。あとはずっとそばにいればいい。うろうろしておけばそのうち仲間と認識される』
そのときはよくわからなかったけれど、王都で催されたお茶会に緊張しながら出席したときによくわかったのよね。
そもそも田舎者の私があのお茶会に招待されたのは、私の婚約者であるヤコポ様のルイージ子爵家で催されたから。
今までに二度お会いしたことのあるヤコポ様のことはあまり好きではなかったので、お兄様がヤコポ様を頼るようにおっしゃらなくて安堵したのは内緒。
たぶんお兄様も何となく察していらっしゃるんだと思うわ。
どうしてこの不釣り合いの婚約が成立したのかは、おそらく大人の事情。
だから三歳年上のヤコポ様が私のことを蔑んでいらっしゃるのは気付いていたもの。
『おい、お前。絶対に俺と婚約していることは誰にも言うなよ? ここでおとなしくしていろ。恥ずかしいから人前に出てくるんじゃないぞ。この田舎者が!』
付き添いの叔母様とはぐれて、会場の隅で小さくなっていた私に、ヤコポ様は冷たく言い放たれた。
そのお顔もとても怖くて、頷くことしかできなかったのよね。
喉もからからで声も出せなかったんだけど、そこに天使が舞い降りたのよ。
『ちょっと、そこのあなた。黒い服のあなたよ』
『ぼ、僕ですか?』
『この爽やかなお天気に陰気くさい服を着ているのがあなた以外どこにいるの? 早く冷たい飲み物を持ってきてちょうだい。あと、そこの日陰に椅子を用意して。早く!』
『は、はい!』
あの横柄なヤコポ様がこれほど低姿勢で俊敏に動かれたのだから、やっぱり天使からのご命令には逆らえないのね。
そう思っていたら、天使は私に気付いて上から下から眺めまわして、ぷっと噴き出して笑われた。
『あなた、そのドレスとても変よ。色がまず地味で今の季節には合わないし、その割にレースがうるさいくらい過剰に縫い付けられているしで、太って見えるわ』
『そ、そうですか?』
『それに、たとえガーデンパーティーとはいえ、その帽子はつばが大きすぎて不格好よ。それではまるで庭作業をしている下女のようだわ』
『はい……』
『それとね、いつまでもそんな場所に突っ立っていては日に焼けるわよ。淑女はどれだけ色白かが勝負なんだから。ほら、早くこちらにいらっしゃい』
『え……』
そう言って天使はご自分が立っていらっしゃる日陰へと手招きしてくださった。
お傍に近寄るだけでも畏れ多いのにと動けずにいると、そこへヤコポ様が戻っていらっしゃったのよね。
『お待たせいたしました、ファラーラ嬢!』
『本当に遅いわよ! か弱い淑女をいつまで立たせておくつもり? しかも椅子が一脚しかないじゃない! あなた馬鹿なの!? 人数も数えられないなんて! それに冷たい飲み物をと言ったのに、あなたがグラスを持っていては温まってしまうじゃない! ちゃんとトレイに載せて持ってきなさいよ。それも二つね!』
『も、申し訳ございません!』
あのヤコポ様が謝罪されたわ。
給仕担当らしい使用人もだけど。
使用人は持っていた椅子を日陰に置くと、すぐに引き返してしまった。
『何をしているの? あなたも早く行きなさいよ!』
『はい!』
天使のお名前はまさかのファラーラ様だった。
そのお名前は私でも知っていたわ。
今をときめくファッジン公爵家のご令嬢のファラーラ様。こんなに可愛らしい方だったなんてと、驚きつつ自己紹介を頑張ったのよね。
『あ、あの、ファラーラ様……?』
『何かしら?』
『わ、私、あの、タレンギ領の領主の娘、レジーナ・タレンギと申します。ありがとうございます』
『はあ? 何のお礼? ああ、私の傍に近寄らせてあげているから? それはね、あなたみたいな地味な子と一緒にいれば目立たないと思っただけよ。でも今のでまた注目を浴びてしまったわ。はあぁ。人気者はつらいわ~』
こんなしがない地方領主の娘の私のために、ファラーラ様は声を荒げてくださったんだわ。
ヤコポ様から責められているのをきっと見かねて声をかけてくださったのね。
なんてお優しい方なのかしら。
ちょっときつい意地悪な言い方だけど、私のファッションの悪いところを指摘までしてくださって。
お兄様がおっしゃっていた〝一番強そうな子〟が誰か、確かにすぐにわかったわ。
想像していたのは猛獣のような人だったけれど、ファラーラ様は子猫のように可愛らしくて、ずっと見ていたいくらい。
だから生存本能で仲間になりたいんじゃないわ。
私はファラーラ様と仲良くなりたいの。
そうしてファラーラ様のお傍をうろうろしているうちに、ミーラ様と仲良くなって、いつの間にか田舎者と馬鹿にされることもなくなったのよね。
お会いするたびにファラーラ様にドレスのダメ出しをされたおかげでもあると思うわ。
我が家は幸い裕福だから、教えていただいた仕立物屋さんでドレスを誂えたりするようになったから。
ヤコポ様はあれから何度か話しかけてきたりしたけれど、適当にお相手しているだけ。
いつか婚約解消できればいいな。
だって、私はずっとファラーラ様のお傍にいたいもの。
「――私、王都にやってきて、ファラーラ様とお会いできて、ミーラ様とこうして仲良くなれて本当に幸せだわ」
「ど、どうしたの急に?」
「先ほど、ファラーラ様はお変わりになったって言ったけれど、根本は何も変わっていないと思うの。ただ……」
「ただ?」
「恋をされたことで、お言葉がお優しくなったのよ。やっぱり恋をすると人は変わるって本当なのね」
「……そうなのかしらね」
「ええ」
だって私も変われたもの。
今までのような弱虫ではダメだって。強くなりたいって。
今度は私がファラーラ様をお守りできるよう頑張るわ!




