油断大敵1
セキトウめ、まだチョロチョロしてるの?
それに蝶子もチョロいのよ!
もう恋なんてしないとかなんとか言ってたのに、どきどきしている場合じゃないわ。
確かに私は恋が何なのか知りたくはあったけれど、蝶子のはちょっと違うと思う。
冷たい人に少し優しくされたからときめくなんて違うもの。
あれは優しさでも何でもない。普通よ、普通。
そもそも蝶子は依頼主で探偵は商売なんだから、もっと愛想よくしてもらって当然なのよ。
何かの霊感商法みたいでいやだわ。
私は騙されないようにしないと……。
って、ちょっと待って。
私が殿下に恋をしているかも、って思ったのはいつか殿下に他に好きな人ができたらって思ったときにちくりと胸が痛んだ気がしたから。
それでこの気持ちはひょっとして……なんて思ったけれど。
そもそもそれさえが勘違いじゃないのかしら。
以前の殿下は私に冷たかった。私はあまり気にしていなかったけど。
言葉をちゃんと交わしたことなんてほとんどなくて、何かの行事に一緒に出席するときも目を合わせることさえなくて。
ただ私が殿下の腕にべったりくっついていただけ。
それが今、何かと私に気を配ってくれて、あのお兄様たちの相手を真面目にしてくださって、うちわを二枚も購入してくださったその優しさに私の心がバグを起こしてしまっている可能性大。
うん。やっぱりそうよ。
これは蝶子と同じ症状だわ。
この私が殿下に恋なんてするわけがなかったのよ。
確かに殿下は美少年で頭もよくて魔法の才能もあって、性格までよくて、誰にでも優しくて、お金持ちで、地位もあって、ちょっと真面目すぎて騙されやすそうで心配で、そういうところが可愛いなって思わないでもないけれど、好きになるなんてあり得ないわ。
だって以前の殿下は私に婚約破棄を突き付けて、サラ・トルヴィーニと結婚したのよ?
それから私を幽閉して――まあ、あれも私が悪かったというか、血迷っていたというか、どうしてさっさと国外悠々生活をしなかったのか、己の愚かさが憎いけれど、酷い目に遭ったんだから。
とはいえ、あの後はどうなったのかを覚えていないのよね。
幽閉される前――お父様が亡くなったあたりから意識が朦朧としていて、当時のお兄様たちは何をなさっていたのかも曖昧。
婚約破棄についてはお父様はご存じだったようだから、たぶんお兄様たちはまた遠くへの任務を仰せつかっていたと思うわ。
だからチェーリオお兄様はいらっしゃらなくて、お父様は……。
考えたくない、思い出したくないけど……お父様が倒れられてからすべてが狂ってしまった気がする。
うーん。
やっぱりお父様の健康第一ね。
恋だの愛だのと悩んでいる暇はなかったわ。
それじゃあ、こうしてはいられない。
お父様の朝食をチェックして、あとは……誰かにチェックさせましょう!
「申し訳ございません、ファラーラ様! お目覚めでしたのに、ご挨拶もせず――」
「いいのいいの。食事をするから用意して」
「かしこまりました」
寝室を出ると、私が起きたことに気付けなかったからと、シアラがすごく申し訳なさそうに謝罪してきた。
そもそもいつも気配で察するシアラがすごいのよ。
「お父様はまだいらっしゃるわよね?」
「はい。いつもこのお時間なら朝食をお召しになっていらっしゃるかと思います」
「そう」
よかった。間に合ったわ。
時間もあるし、上手くいけばお父様と食事についてお話できるかもしれない。
そう思って朝食室に入ったけど失敗したわ。
「おはよう、ファラーラ。早起きをするとよいことがあると聞いていたが、まさか天使に邂逅できるとは思わなかったよ。朝日を浴びたファラーラはまさに天使そのものだな。 ~中略~ 今日一日、いや、これからの人生がより豊かなものになるよ。本当に素晴らしい朝だな」
「おはようございます、お兄様。朝からお元気ですね」
私はどっと疲れてしまいましたが。
昨日はさすがにお兄様もお疲れだったのか、朝食室にはいらっしゃらなかったから油断したわ。
お父様も今朝はあまり召し上がってないみたい。
それはそれで心配ね。
席に着いてすぐに用意された牛乳をようやく口に入れると少しぬるくなってた。
うう。しかもお兄様が温かい視線を向けてくるから飲みにくい。
ここは我慢よ、ファラーラ。
私の忍耐力がお兄様の空腹を促したのか、お兄様は食事を続けることにしたみたい。
だけどお兄様はしばらくしてからテーブルの上の料理さっと見回した。
「そういえば、料理人が変わりましたか? 味が変わりましたよね?」
「あら、よく気が付いたわね。前の料理長は高齢で引退したの。それで新しい人を雇ったのよ」
「へえ? 盛り付けはよく似ているが、味が微妙に違うのはそういうわけだったんですね。久しぶりに帰宅したので、はじめは疲れのせいかと思いましたよ」
「私……まったく気付きませんでした」
「おや、そうなのかい? 私はすっかりこの味の虜だよ。疲れているのに食欲がわくんだよ」
「まったく気付かないとは、うっかり者のファラーラらしいな。それでお菓子の味が変わったら気付くのだろう? 母上、デザート担当の者は変わらないのでしょう?」
「ええ、そうよ」
「やっぱりな。ファラーラ、甘いお菓子ばかり食べていてはダメだぞ。もちろん勉強をすれば甘いものがほしくなるのはわかる。最近のファラーラは家庭学習もしっかりするようになったって聞いたぞ。それは立派なことだが、まずは規則正しい食事をとってからでないと――」
「私、申し訳ありませんが、まだしていない課題を思い出したので、お先に失礼します」
「ファラーラ、手伝おう――」
「自分でしなければ意味がありませんから!」
そう言って、私は中座することを謝罪して立ち上がると、部屋へと戻った。
まさかとは思うけれど、でも、気になる。
お母様が採用を許可されたってことは、おそらく何も問題ないはずなのよ。
だけど……うーん。
口が堅くて信用できる情報通の人。
仕方ないわ。
ジェネジオに質問ね。




