蝶子10
「そこまで言うなら、もう咲良の弱みは見つけたんでしょうね?」
「さあ、どうかな……。弱みと取るかどうかは人それぞれだろ?」
「それって、わからないことを誤魔化しているんじゃないの?」
「……俺はまだあんたの依頼を受けるとは言ってねえ。それにまんじゅうが怖い場合もあるだろ?」
「はあ!? 何言ってるの?」
「本気でわからねえなら気にすんな。あんたの依頼は受けねえから」
何なの、この上から目線。
こんな寂れた事務所に仕事の依頼にきたお客様に対して、お茶も出さずに偉そうに何様なの?
だけどこのまま引き下がるのは腹が立つわ。
「……咲良の弱みと思えるものが、実は強みになったりするわけ? それを調べるのがあなたの仕事でしょう?」
「お、わかってるじゃーん。じゃあ、俺が依頼を受けるとして、そのあとはどうするつもりなんだ? お手軽に復讐? それとも脅迫?」
「脅迫は犯罪よ。私は犯罪に手を染めるつもりはないわ」
「へえ? 真面目なんだな」
「真面目ではなく当然よ」
「だがイジメも犯罪だろ?」
「なっ――!?」
今までへらへらしていた相上は急に厳しい顔つきになって問いかけてきた。
その声も脅すようで、背筋に冷たいものが走る。
「さ、咲良と知り合いか何かなの?」
「いいや、全然。今回のことがなければ知りもしなかったよ。ただ言っただろ? 依頼人の――依頼人になりそうなやつのことは調べるって。あんたのことは簡単だが調べさせてもらったよ。そのうえで、学生時代に女王様として気に入らない相手をイジメていたってわかったんだよ」
「で、でも私は暴力を振るったりなんてしていないわ。ちょっと無視したりしただけで」
「ちょっと無視しただけ? 学園の女王様が? それがどういうことかは自分でもわかってただろ?」
「それは……」
「学生の世界なんて家と学校しかないんだ。まるで存在しないかのように無視される日々がどんなものかわかるか? 先生は助けてくれない。親には恥ずかしくて申し訳なくて言えない。そんな状況に追い込んでおいて、ちょっと無視しただけ? そんな軽いもんじゃねえんだよ。しかもな、あんたのような人間が無視するって決めたら、それは他のやつらにとって免罪符になるんだよ。あいつはイジメてもいいやつだってな。そうしたらどうなる? あんたは無視しただけのつもりかもしれねえ。だけどイジメてもいいやつってレッテルを貼られた子は、あんたの知らないところでもっと酷いことをされていたとか思わねえか?」
「そ、そんなの知らないわよ! 咲良は陰で他の子たちと私を笑っていたのよ? それに、学生時代のことを今さら言われても困るわ」
何? どうして私は初対面のこんなやつにいきなり説教されているの?
確かに私の学生時代は我が儘放題で、気に入らない子は無視したりしていたけど……。
咲良はまったく効いてなかったし、大人になってから仕返しとばかりに婚約者を奪われたんだから、お互い様じゃない。
だけど、咲良以外の子たちは……覚えていないわ。
「私……大学に進学してからはイジメなんてしていないし、咲良のことがあってからは誰も別に気に入らないことなんてなかったから……」
「で? あんたのイジメはそれで終わったかもしれない。だが、その咲良って子が社会人になってからも恨みを持っていたように、あんたは他に何人の恨みを買ってるんだろうな?」
そこまで言われて私は初めて気付いた。
確かに咲良には友達がいて、私の見ていないところでは無視されることもなかったみたいだけれど、他の子はどうだったんだろう?
相上の言うように、他の子にもイジメられていたの?
今も私のことを恨んでいるの?
そう考えるとすごく怖くなってきた。
恨みに思われていることも怖いけど、私が咲良の人生の一部を歪めてしまったように、他の子の人生も歪めてしまったかもしれない。
だけど今さらどうしようもないじゃない。
すんだことなんだもの。
あの女の子のように子供の頃に戻ってやり直すことだってできないんだから。
そもそもなぜこんな人にそんなことを指摘されないといけないの?
目の前で背もたれに腕を回してどっかり偉そうに座っている相上を見ていると腹が立ってきた。
「もう、あなたに――」
依頼するつもりはない。
そう言おうとしたところで着信音が響いた。
スマホ画面を見れば、雄大からの電話。
「気にせず出ればいいぞ」
言われなくても遠慮なんてする気はなくて、応答ボタンを押す。
それから耳にスマホを当てれば、雄大の切迫した声が聞こえてきた。
「姉さん? 何だよ、あの『相上探偵事務所に行きます』って。変なことに巻き込まれてないだろうな?」
「――ええ、大丈夫よ。一応行き先を告げておこうと思っただけ」
「なら、いいけど。とにかく今そっちに向かっているから、事務所からは出るなよ? あんま治安のいいところでもないみたいだからな」
「どうして知ってるの?」
「調べたんだよ。他にも同じ名前の事務所があったけど、どうせ姉さんのことだからネットで評判のいいやつにしたんだろ? とにかく、もうすぐ着くから待っとけよ」
「雄大――」
言うだけ言って雄大は電話を切ってしまった。
雄大の背後では駅のホームらしき雑音が聞こえたから乗り換え途中なんだわ。
私のメッセージを見てすぐに家から出てきたのかもしれない。
「――迎えに来てくれるなんて、いい弟じゃん」
「聞こえたの?」
「でかい声だったからな。駅の雑踏の中だと、ついでかい声で話してしまうよなあ」
そう言いながら相上はいきなり立ち上がった。
思わずびくりとした私を見てくっくと笑う。
ほんと、むかつくわ。
相上は雑然とした室内を縫うように歩いて、あることにも気づかなかった小さな冷蔵庫を開けた。
それからペットボトルを取り出した後、ごそごそしていたと思ったら紙コップを手に戻ってくる。
「今さらお茶?」
「たいていは家族を粗雑に扱われてると腹が立つだろ? しかも姉さんを心配してわざわざ迎えに来るくらいなんだから、一応はもてなしとかないとな」
「こんなのは取り繕っただけだって、私が言うかもよ? もっと酷いことされたとか?」
「ガキかよ」
ぼそっと呟いたけど、しっかり聞こえたわよ。
ホントにホントにホントにむかつくわ。
お父様に言って、こんな事務所……それこそ子供ね。
「子供って想像力が豊かだっていうが、あれは無知なだけだよなあ?」
「……え?」
「知らないから大人には想像もできなかったことを言ったりやらかしたりする。自分以外を知らないから、自分以外の相手にも家族がいるって想像できない。もし自分が同じ目に遭ったらどんなにつらいか、痛いか想像できない。それが大人になるにつれ知識と経験で自分以外の人間についても考えるようになる――いわゆる思いやりってやつだな。だけどそれだってわからないやつはいつまでたってもわからない。要するに子供のままってことだ」
「何が言いたいの?」
「さあな」
「ちょっと――」
さっきからホントに何なの?
文句を言いかけたけれど、階段を上がってくる音が聞こえてすぐにノックの音が事務所内に響いた。
「どうぞ~」
相上が間抜けな声で応答すれば、ドアを開けて入ってきたのは雄大。
その額には汗が滲んでいて、駅から走ってきたんだなっていうのがわかった。
生意気な弟だけど、傲慢な姉のことを心配してくれてたんだわ。
それで何となく、ホントに何となくだけど、相上の言いたいことがわかった気がした。




