始業前1
「――護衛もなしに危険よ!」
あんなあからさまに怪しい場所に一人で足を踏み入れるなんて、私でも無謀だってわかるわ。
探偵事務所だなんて、セキトウの調査を依頼するつもりかしら。
もう放っておけばいいのに。
気持ちだけの問題で特に被害はなかったんだから。
まあ、私も実際にあんな屈辱を受けたら我慢できる自信はないけど。
そうよね。やられたら倍返しよね。
蝶子のことも気になるけど、そろそろ起きて準備をしないと。
今日からジェネジオがうちわのサンプルを持って受注を始めるのよね。
ジェネジオに任せておけば大丈夫とはわかっているけれど、やっぱり心配。
本当に売れるのかしら?
特に私のうちわ。
学園長との約束は本人が許可した生徒会メンバーに限るというのが本来のものだけれど、殿下と私は公人として特別許可が下りたらしいのよね。
まあ、人気があるというだけでうちわの種類が増えても困るから当然だけど。
私もジェネジオに乗せられてつい了承してしまったものの、非常にまずい気がするわ。
いくら不労所得のためとはいえ、まだ婚約段階なのに公人扱いされては後に引けなくなってしまうもの。
このまま流されて殿下と結婚なんて事態になったら……。
うん。やっぱり国外生活ね。
お母様がおっしゃっていたとおり、いざとなったら家族みんなで亡命しましょう。そうしましょう。
というわけで、今のうちにしっかり得るものは得ておかないと。
「おはよう、ファラーラ! 気持ちのいい朝だな!」
「そうですね、お兄様。お父様、お母様、おはようございます」
「おはよう、ファラーラ。ここで食事とは珍しいな」
「ファラーラは昨日もここで食べたのよ。最近はすっかり規則正しい生活になって、偉いわねえ。やっぱり殿――」
「お母様、そちらのジャムを取っていただけませんか?」
「あら。はい、どうぞ」
「ありがとうございます、お母様」
危ない、危ない。
できるだけ殿下のことはお兄様に忘れていただかないと。
「ところでベルトロ。今回このように急に休暇を取るなんて、隊の皆さんに迷惑をかけたんじゃないか? しかも取次もろくに通さず殿――」
「お父様、先ほどからそのパンをもう三つも食べていらっしゃいますが、そんなに美味しいのですか?」
「ああ。サクッとしていて美味しいよ」
「そうなんですね」
にっこり笑って牛乳を飲む。
話の途中で遮るなんてすごく失礼だけど、みんないつものことと許してくれるのよね。
まさかここで、今までの我が儘が役立つとは思わなかったわ。
それにしてもお父様が食べているパン、私も昨日食べたけれど、たぶんすごくカロリーが高いと思うのよね。
それにこの食卓……。
朝から豪華過ぎるというか、内容が濃くない?
私は部屋ではいつもフルーツ中心で牛乳だけ。
気分が良ければスコーンを一つくらい食べていたけれど、お父様は少し食べすぎではないかしら。
それとも朝食は一日の源だから、お父様にはこれくらいは必要なのかも。
お兄様は若いし鍛錬で消費できるのか、見ていて胸やけがしそうなほど食べていらっしゃるわ。
雰囲気からして朝の鍛錬も今日はもう終わったようね。
ずいぶんすっきりしたお顔をしていらっしゃるもの。
お母様は私と同じくらいしか食べていないみたい。
フルーツとお茶とヨーグルト。
私はヨーグルトは苦手なのよね。
だってあれ、腐っているのよ? だからチーズもダメ。
あの納豆っていうのも見ているだけで無理だったわ。
蝶子は好きだったみたいだけれど。
そういえば蝶子の世界ではヨーグルトとデコピンとかオシピンとかっていう栄養のある赤い果実を食べておけば大抵の病気予防になるって言われてなかったかしら?
そうね。あの赤い果実……お父様の健康のためにジェネジオに探させましょう。
今日はジェネジオと会えるはずだから、ちょうどよかったわ。
「――それでは、私はお先に失礼いたします」
「ファラーラ、もういいのかい?」
「もっと食べないと色々と大きくなれないぞ?」
「……朝からお兄様のようにそんなには食べられませんわ。それでは学園に行く準備がありますのでこれで」
お父様は少し食べすぎだと思いますし、お兄様は色々だなんて余計なお世話です。
男の人って本当にデリカシーがないんだから。
お母様とそう視線で会話して席を立ち、出口に向かいかけたところでふと振り向いた。
するとやっぱりお兄様も立ち上がろうとなさっていたみたい。
「……お兄様、絶対に学園にはついてこないでくださいね?」
「な、何を言っているんだ。昨日ちゃんと約束したじゃないか」
「ええ、約束しました。だから破ったら絶交ですからね!」
「わ、わかっているよ。私だって忙しいからな、色々と」
昨日、あれだけ拒否拒絶したんだから大丈夫よね?
お兄様が学園にいらっしゃったら絶対に面倒くさいことになるのは間違いないもの。
だけど久しぶりの王都だからお兄様がお忙しいのは間違いないわ。人気者だものね。
「それでは、失礼いたします」
もう一度お父様たちに頭を下げて、朝食室を出る。
いよいよ今日からうちわの販売が始まるのよね。
あんなにジェネジオには自信満々に言ったけれど、本当はちょっとだけ心配。
緊張するわ。
ああ、どうか私のうちわがちゃんと売れますように!




