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蝶子8

 

「――どうして、別れること前提なの!? いいじゃない、不労所得も王子様も手に入れれば!」



 なんだってこうもどかしいのかしら。

 あんなハイスペック美少年に愛されて、家族にも溺愛されて、お金も地位もあって可愛くて、これ以上何を望んでいるの?

 確かに自由がなくなるのは惜しいけれど、要領よくすればどうとでもなるのに。


 もやもやして、思わず枕を壁に向かって投げつける。

 するとドアがノックされて雄大が顔を出した。



「姉さん、さっきからうるさいよ。独り言はせめて聞こえないように言ってくれ。気持ち悪いから」

「うるさいわね!」

「そのヒステリーをどうにかしないと、そりゃまともな男は寄りつかないよ」



 腹が立って枕元のぬいぐるみを投げつけたら、ぶつかる前にドアを閉められてしまった。

 ほんと、あの子は昔からむかつくわ。

 要領よくて塾なんてさぼっているのに成績良くて、進学校に入ったと思ったら、東大じゃなくてUCナントカってアメリカの大学に進むんだから嫌みよね。

 しかもあっちの大学、夏休みが長すぎない? クリスマス休暇も長いし。


 お父様もお母様も雄大ばっかり可愛がって、家名さえ汚さなければ私のことは放ったらかし。

 誠実さんと婚約したときが一番喜んで褒めてくださったかしら。

 

 だけど婚約破棄することに反対されなかったのはよかったわ。

 娘が怪我をさせられたことに腹を立てるくらいの愛情はあるってことよね。

 入院しているときにはほとんど会いにきてくれなかったけど。


 ちらりと時計を見ればそろそろ起きる時間。

 スマホのアラームを切って、ベッドから起き上がる。

 面倒くさいけど、今日は約束があるのよね。


 キャンセルしようかとも思ったけれど、ここ最近一歩も家から出ていないのもまずいわよね。

 無理やり体を動かしてぬいぐるみを拾ってベッドに投げる。


 はあ、何もやる気が起きないわ。

 でもネット配信の映画やドラマも飽きたし、少しくらいは外の空気を吸わないと。

 のろのろと支度をして、お化粧を五日ぶりくらいにして服を着替えて準備完了。

 以前のような気合いは入っていないけれど、それなりのきちんと感は出せているわよね。



「――ちょっと雄大、どうせ暇でしょ? 駅まで送って」

「はあ? 歩いて行けばいいだろ?」

「送って」

「……どうしてこう、姉って生き物は横暴なんだよ。可愛い妹が欲しかった」

「可愛い妹なんて幻想よ」



 あの子も可愛いけれど、三人のお兄様のことは便利な存在くらいにしか思っていないものね。

 便利な弟と何も変わらないわ。


 雄大の車――両親から大学入学祝いに買ってもらったイタリア車の助手席に座るとまた腹が立ってくる。

 大学入学祝いって、アメリカに進学したのに車なんて必要ないでしょうに。

 しかもお父様はあっちで乗る車まで買ってあげたのよね。

 私には車は必要ないって買ってもくれないのに。まあ、免許を持ってないんだけど。



「どこに行くんだ?」

「関係ないでしょ?」

「駅まで送るんだから教えてくれたっていいだろ? でもその恰好じゃあ、男に会いにいくわけじゃないな」

「うるさいわね! 女が着飾るのは男のためだって思わないでよね!」

「全員が全員そうだとは思ってないよ。ただ姉さんはそうだろ?」

「はああ!?」



 むかつく。何なの、弟のくせに。

 だけど否定できない自分がもっと苛立つわ。



「じゃあね」

「礼くらい言えよな」

「――ありがと!」



 勢いよくドアを閉めて振り返りもせずに改札に向かう。

 どうしてあんな子になったのかしら。

 昔は素直で可愛かったのに、あんな……正論しか言わないようになるなんて。


 私だって本当はわかっているわ。

 ただ、今さら変わることなんてできないわよ。

 私はずっと我が儘女王様で生きてきたんだもの。

 まだ私もあの女の子のように小さかったらやり直せた?


 ううん。きっと無理ね。

 雄大が生まれたときに両親の愛情を奪われたと思った私は捻くれちゃって、そこから修正がきかなくなったんだもの。

 あの女の子の年の頃にはすっかり意地っ張りで我が儘になって。

 小さい頃の雄大は素直に慕ってくれて、それなりに仲良くすることもできたけれど、本当は両親に今でもわだかまりがある。

 まあ、利用するだけしているんだから文句は言えないけれどね。


 ぼうっと電車内で立って考え事をしていたら、あっという間に目的の駅に到着した。

 初めて利用する駅で人の流れに任せて改札に向かってしまって反対側に来てしまったことに気付く。

 人の多さにイライラしながらも反対側の改札を出ると、今度は人の少なさに驚いてしまった。

 それに街並みも何ていうか、寂れていない?


 不安になってスマホを取り出して、場所が間違っていないことを確認する。

 雄大についてきてもらえばよかった?

 どうせ暇していたんだし。


 いいえ。今度こそはお父様に――家族に頼らずに動こうって決めたのよ。

 そう思い直してスマホが示す場所へと足を向け、駅から歩いて五分表示に騙されて十五分歩いたところでようやく目的の場所を見つけた。

 本当にここで間違いないの?


 かなり古びたビルで、関藤さんの事務所が入った都心のビルとは大違い。

 だけど二階に看板が出ているからあそこよね?

 正確には看板ではなくて、窓に日に褪せたテープで事務所名が貼られているだけだけど。

 でもネットでの評判はよかったんだから大丈夫なはず。


 お父様の利用している興信所は当てにならないから自分で見つけた探偵事務所。

 今どき探偵事務所って名前もどうかと思うけど、この雑居ビルには似合っているものね。

 うん。雄大には関係ないって言ったけれど、一応何かあったときのために知らせておいたほうがいいわね。


 スマホで雄大に『相上探偵事務所に行きます』とだけ打つ。

 既読はつかなかったけれど、いつか気付くわよね。

 予約時間もぴったり。さあ、行くわよ!




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― 新着の感想 ―
「あいうえ事務所」なんて、いっちゃんダメなやつ (五十音順で先に見つかりやすいようにして、新規客をねらう典型やん)
[一言] 今更変われないって……還暦過ぎの人みたいな事を仰るw 蝶子さんくらいならまだまだ変わるくらい容易い事だよ。
[一言] 蝶子さんの不憫さにちょっと涙が出て・・ でも、30歳前なら海外にも留学はしやすいのよと、自分が大人になってから感じた事を言ってみる。 アメリカの大学なんてどうやって入るのか知らなかったけど。…
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