兄妹2
「さて、ファラーラの話をもっと聞いていたいが、しばらく待っていてくれるか? 私はちょっと王宮へ行ってくるから」
「え……っと、何のご用事で?」
「それはもちろん、殿下にこの婚約の撤回と謝罪をいただくために決まっているじゃないか」
「まっ、ままま待って! 待ってください! 殿下との婚約は私が望んだことなんです! 私の我が儘で!」
「たとえそうだとしても、殿下が浮気をなさったんだろう?」
「してません! 殿下は……殿下は、私のことをとても尊重してくださっています!」
うちわを購入してくださるくらいには。
って、そこは重要ではなくて!
お兄様に婚約の撤回をしていただくのはありがたい。ありがたいけれど、手段は選んでほしいというか、これから何をされるおつもりですか。
私の将来の目標は一人での国外悠々自適生活であって、家族みんなで国外逃亡生活ではないのよ。
立ち上がろうとするお兄様にがっしり抱きついて止める。
お兄様が落ち着かれるまで、決してこの手を離さないわ!
私はセミ! お兄様という大木に止まったセミなのよ。ミンミン。
「……お兄様、本当に違うんです。その、友達というのは、友達のお姉様のことで……そのお姉様の婚約者が浮気をしたことがわかって別れたそうなんです。それで、その仲裁に入っていただいた方が……素敵な方だと思って、お食事に誘われたので喜んでいたら、実はその方は結婚していたそうで……もう結婚なんてしないと……」
「そうか……。それを聞いて、ファラーラはそのお姉さんのために心を痛めているんだな。いつの間にこんなに優しい子になったんだ。人の心を思いやれるなんて」
そう言ってお兄様は私を抱きしめ返してくれた。
大きな誤解だけど、とりあえずは納得してくれたのでよかったわ。
「だがな、それとこれとは別だ」
ん?
「ファラーラがそんなに心を痛めるのはきっと殿下と婚約したことが理由だろう」
んん?
「殿下も将来浮気するかもしれない。もちろんそんなこと私が許すわけはないが、それでもファラーラの不安は消せない。だとすれば殿下を――いや、殿下との婚約の事実を消してしまえばいいんだよ」
今、殿下を消してしまおうと言いかけませんでしたか?
それは不穏ではありますが、もし穏便に婚約の事実を消してしまえるなら好都合です。
「お兄様、その、どうやって婚約をなかったことになさるおつもりですか?」
「それはもちろんきちんと殿下と話をさせていただいて、二度とファラーラに近づかないと念書を書いていただくんだよ」
はい。消えた。
婚約の事実ではなく、婚約を解消できるかも的希望が消えた。
悪魔な副隊長って、悪魔的に残念な副隊長ってことなのかも。
「何度も申しますが、この婚約は私の我が儘で成立したものなのです。それなのに――」
「わかっているよ、ファラーラ。だがたとえお前の我が儘でもこれだけは許してはいけなかったんだ。まったく、急に私たちの隊が辺境警備に当たることになった理由がこれでわかったよ。父上は愛しの娘よりも……いや、とにかく待っていてくれ。お前を不安から解放してやるからな!」
本当に何度も言わせないでほし……って、どうして!?
いつの間にかお兄様は私のミンミン戦法から逃れて立ち上がられているわ。
そして私は一人ソファに座らされているなんて!
「え? あっ、お兄様!」
気が付けばお兄様はすでに扉を開けて出ていかれてしまった。
お兄様も忍者か何かだったの?
まずい。これは本当にまずいわ。
「シアラ! シアラ!」
「はい、いかがなさいましたか? ……ベルトロ様は?」
「お兄様のことはいいの。とにかく急いで宝石類を全てまとめて荷造りしてちょうだい! それから少なくとも十日分の旅行の用意を。私はお母様にお会いしてくるから」
「か、かしこまりました!」
お兄様を止めることができなかったからには、夜逃げの用意をしなければ。
お父様とアルバーノお兄様への連絡はお母様にお任せして、チェーリオお兄様は……フェスタ先生にお任せすればいいわね。
とにかくお母様にお伝えして一緒に夜逃げの準備をしなければいけないわ。
「――お母様、大変です!」
「ベルトロが王宮に向かったそうね」
「ご存じだったんですか?」
お母様のお部屋に駆け込めば、お母様はのんびりお茶を飲んでいらっしゃった。
私の焦りにも動じた様子はなく、優しく微笑んでくださる。
その微笑みを見ると、私もなんだか落ち着いてきたわ。
「知っているというより、予想の範囲内よ。ベルトロが帰ってきたことはすでにお父様にお伝えしたから心配しなくても大丈夫。何か対策をしていると思うわ」
「何かって、どんなことですか?」
「さあ、それは私にはわからないわ。それでダメなら国外逃亡よ」
「では、のんびりしてはいられないのではないですか?」
「大丈夫よ、ファラーラ。何ヶ国かに屋敷を用意して、財産も移せるようにしてあるから。準備はばっちりよ」
「どんな準備ですか……」
おっしゃっていることは不穏なのに、お母様の穏やかな声を聞いていると安心してしまうんだから不思議だわ。
そうよね。
今さら心配してもお兄様は行ってしまわれたし、あとはなるようにしかならないわよね。
「……お母様、私もお茶をいただいていいですか?」
「もちろんよ」
お母様の向かいに腰を下ろすとまた優しい微笑みを向けてくれる。
以前の私はお母様のことを口うるさいと思っていたけれど、それもまた自分のことしか考えていなかったからね。
あの悪夢を思えば後悔ばかりだけれど、今は違うもの。
あと五年。
さらにはもっと先まで、後悔しない人生を送りましょうっと。




