親子2
「ベルトロお兄様が帰っていらっしゃるのですか? こんな時期に?」
「ええ。どうやら無理やり長期休暇を取ったらしいわ。殿下との婚約は周囲にも協力してもらってできるだけ耳に入れないようにしていたのだけれど、やっぱり発表してしまっては知られてしまうのも時間の問題だったものね。三日ほど前に手紙が届いたのよ。なぜ教えてくれなかったのかって」
むしろ王太子殿下の婚約という大ニュースを今までよく耳に入れずにいられましたね。
ええっと、お兄様の赴任地はどちらだったかしら……。
「先ほど隊長から『もうこれ以上ベルトロを留めることはできません』と謝罪の手紙が届いたのだけれど、謝罪するべきはこちらよね。ふた月あまりもの間、耐え抜いてくださったんだもの。あとできちんとお礼もしないと。きっと最後までベルトロを止めてくださっていたでしょうから、ご迷惑をおかけした隊の皆さんにも謝罪をしておくわ」
ベルトロお兄様ってそんな方だったかしら。
魔法騎士の中でも一二を争う実力者で、魔物退治などでも活躍していて、女性たちだけでなく男性にも人気が高いって認識だったのだけれど。
お母様のお話を聞いていると、まるで本当に馬鹿兄……いえ、でも妹の婚約を知らされていなかったのなら怒っても仕方ないわよね。……ね?
「これからどうやってあなたに伝えようか考えていたんだけれど、やめたの」
「やめた?」
「ええ、こんなに気持ちのいい朝なんだもの。悩むのも性に合わないし、なるようになるでしょう? あなたもこのふた月でずいぶんしっかりしたし、任せても大丈夫だと思うの」
「お母様、そのお言葉は嬉しいのですが、なるようにならなかったらどうすればいいのですか?」
「……国外逃亡しましょう。大丈夫よ。蓄えは十分あるから」
いったい何が起こるというのですか、お母様。
ちなみに私はお母様に似たのですね。よくわかりました。
「ファラーラ、私は反対したのよ? あなたがどれほど願おうと、王太子殿下との婚約は荷が重いと。だけど最終的にはお父様がお決めになったのだから、責任はお父様にあると思うの。ね、ファラーラ?」
「そう、ですね……」
うん。やっぱり私はお母様にそっくりだわ。
ええっと、それで私は何をしようと思っていたのかしら……?
あ、そうそう。
お父様の健康生活応援プロジェクトよ。
あら、今日のパンはいつもよりパリッとしていて美味しいわね。
バターの芳醇な香りもよくて……って、現実逃避していると、玄関あたりから何やら騒がしい声が聞こえてきた。
何かしら?
まあ何かあれば執事がお母様に伝えるでしょう。
玄関から目の前の朝食に意識を戻す。
そしてあまり好きではないけど大きくなるために毎朝飲んでいる牛乳を口に含んだ瞬間、朝食室の扉が勢いよく開かれた。
それからすぐに入ってきた人物を目にして、思わず牛乳を噴き出しそうになってしまったわ。
それを我慢したから鼻に入ったじゃない!
「ファラーラ! 会いたかったよ!」
「ひっ、っやああああ!」
「どうした? 私だよ?」
「……ベルトロお兄様?」
部屋に入ってきたのは盗賊か何かだと思ったけれど、確かにベルトロお兄様の声がするわ。
だけど髪の毛はぼさぼさで、無精ひげがあって、衣服もところどころ擦り切れて埃まみれで、いつもの精悍な姿とは大違い。
「そうだよ。もう半年も会っていなかったからわからなかったのかな? さあ、おチビちゃん、この兄の胸に飛び込んでおいで!」
「いや! 絶対無理! 近寄らないで!」
「ファラーラ……どうしたんだ? まさか殿下に何か吹き込まれたのか?」
「あなたがむさ苦しい姿だからよ。ベルトロ、私への帰宅の挨拶もまずは身なりを整えてからでいいわ」
「母上、大変失礼いたしました。ベルトロ、ただいま戻りました。それでは、しばらく失礼いたします。ファラーラ、あとでたっぷり遊んであげるからな」
「嫌です」
「ははは! そうか、殿下のせいだな」
え、全然違うんですけど。
鼻は牛乳のせいでツンとして痛くてわからないけど、お母様の表情から察するにベルトロお兄様は臭うのね。
そちらに意識を奪われているのか、お母様もお兄様のお言葉をもう否定なさらない。
おかしいわ。
ベルトロお兄様ってこんなにむさ苦しいというか暑苦しかったかしら。
確かに以前から私には優しくて甘かったけれど。
そうだわ。
悪夢の中でもお兄様はこうして私の婚約の話を聞いて急いで帰ってきてくださったのよ。
だけど、そのときの私はまだ寝ていて、起きるまでの間にお兄様は身だしなみを整えていてくださったんだわ。
だからお昼前に目覚めた私はベルトロお兄様がお部屋に入ってきたときには嬉しくて飛びついたのよ。
うん。間違いない。
それからは学園も休んでたっぷり甘えて遊んでもらったのよね。
その間に殿下の話題が出ることもなくて、お兄様は休暇を終えて赴任地に戻られたんだわ。
「……お兄様、長旅でお疲れでしょう? 私は待てますから、少しお部屋で休まれてはどうですか?」
「ファラーラ……なんて優しいことを言ってくれるんだ……」
「いいから、早く湯を浴びてきてちょうだい。話はそれからよ」
お母様、そのお話とやらはお説教のことですね。
いつもはお優しいお母様の笑顔が引きつっているもの。
「そうですね。では、ファラーラ、母上、またあとで」
お兄様が背中を向けた瞬間、お母様がさっとナプキンを鼻に当てられた。
そんなに臭いですか。
私は牛乳が鼻に入ってよかったのかもしれないけれど、痛いのはつらいわ。
とにかく、お兄様がいる間は殿下の話題は禁句にしたほうがいいわね。
だけどエルダたちには会いたいから学園には行きたい。
そうだわ。友達ができたことは素直に言えばいいのよ。
きっとお兄様も喜んでくださるわ。
ちょっと驚いたけれど、大好きなベルトロお兄様が帰ってきてくださったんだもの。
たくさんお話をして甘えようっと。
それにせっかくだから、どうして男の人は浮気をするのかも訊かないとね。




