蝶子6
「やっぱり、納得しなかったのね……」
「はい。相手の弁護士もなかなかのやり手だと噂を聞いております。負けることはありませんが、同様に向こうも勝てるとは思っていないでしょう。おそらく狙いは慰謝料の減額ではないかと思います」
「減額? 咲良の実家も裕福なのに? 騒ぎを大きくするよりさっさとお金を払ってしまったほうがいいのにね」
あら? あららら?
私はまた蝶子の夢を見ているのね。
しかも蝶子を通してではなく、俯瞰して見ているなんて。
それで、ええっと……どういうこと?
咲良が諦めずに戦いを挑んできたってことでいいのかしら。
馬鹿ね。蝶子が負けるわけがないじゃない。
「すみません、こんな報告でわざわざお越しいただいて……」
「いいえ、いいのよ。仕事も辞めて暇だったから」
「……もうお仕事はされないのですか?」
「ええ。お父様のお知り合いの紹介で入った会社だったけれど、大して面白い仕事でもなかったし、もう仕事はいいかなと思って。お父様もお母様も家でのんびりしていればいいとおっしゃってくださっているから」
「そうですか。ご理解のあるご両親でよかったですね」
「まあね。誠実さんとの婚約破棄のことも、怒られるかと思ったけれど『暴力男と別れて正解だ』って。きっと誠実さんのご両親から謝罪されたのも大きいわね。あちらは息子が傷害罪で訴えられるより示談にしたほうがいいってすぐにご判断されたみたいだもの。それも全て、関藤さんのおかげよ。ありがとう」
「いいえ、当然のことですよ」
ほら、あの浮気男のほうはちゃんとセキトウが話をつけたようよ。
ずいぶん自信家のようだし、セキトウに任せておけば咲良のことも大丈夫よね?
蝶子は秘書の仕事も辞めたのなら、これからはのんびり旅行にでも行くのかしら。
そういえば、学生時代は数人の取り巻きさんたちと二回ほど行っていたけれど、働きだしてからはスケジュールが合わないとかって断られていたような?
あら、寝ているはずなのに涙が……。
「関藤さんはお若いのにこんな都心のビルに事務所を構えていらっしゃって、本当にすごいのね」
「いえいえ、実は私自身は大したことはないんですよ。ここは私がまだ修習生の頃からお世話になった先生の事務所だったのですが、先生が引退するにあたり引き継いだので、私の力とは言えません。幸いにして顧客も引き継ぐことができ、どうにかやっていけるだけで……。もちろん、これから先生に恥じぬよう精進していくつもりですがね」
「でも、その先生も関藤さんだから引き継いでもらうことにしたんだと思うわ」
「蝶子さんにそうおっしゃっていただけると勇気が持てますね」
「まあ、そんな……」
「本当ですよ。蝶子さんと一緒にいると何でもできる気がするんです。ですからその、よろしければこれから食事に行きませんか? おいしいフレンチの店が近くにあるんですよ」
あら? あららら?
セキトウって、使用人じゃないの?
蝶子もまんざらでもない顔――というより嬉しそうな顔をしているし、いいのかしら。
どういうわけか瞬きすると、場面が変わって二人はテーブルをはさんで食事をしていたわ。
何を言っているのか詳しくはわからないけれど、セキトウは将来の展望だか夢を語っているみたい。
いつかは事務所を大きくしてあのビルのワンフロアを借りたいとか、まずは秘書を雇うべきなんだが、忙しくて人選もままならないとか。
私には退屈な話だったけれど、蝶子は目を輝かせて聞いている。
そういえば、今まで蝶子の周囲にこんな熱いタイプはいなかったものね。
学生時代の恋人も、あの不誠実な婚約者も、将来は親の会社を継ぐことが決まっていて、努力している人たちを見下していたようなところがあったから。
「蝶子さん、私ばかり語ってしまってすみません。だがあなたといると、夢だと思っていたことが実現できるんじゃないかと思えてくるんです。だからどうか、今回の件が終わってもこうして会ってくれませんか?」
「……ええ、いいわ」
なんてこと! これはまさかの展開!
本当にいいの?
運転手付きの車は無理なのに?
だけどまあ、蝶子が幸せになれるなら、それでいいと思うわ。
私は不労所得で悠々自適の生活を送るけれどね。
もちろん御者付きの馬車よ。
食事を終えるとセキトウは蝶子をタクシーに乗せてお別れ。
なかなかスマートね。
って、あら?
なぜ私は蝶子ではなく、まだセキトウを見ているの?
セキトウは蝶子のタクシーが見えなくなると歩き出して……最寄り駅に到着。
そ、そうね。
あの場所では車で通うより電車のほうが便利だものね。
まあ、せっかくだからセキトウがどんなところに住んでいるのか見てあげるわ。
へえ? なかなかのマンションじゃない?
一軒家でないのは残念だけれど、これから頑張るらしいものね。
私なら嫌だけど。
そんなことを考えているうちに、セキトウはとある玄関扉の前で立ち止まって呼び鈴を鳴らした。
んん? お友達のお宅訪問? こんな時間に?
不思議に思って見ていると、玄関扉が開いてエプロンをつけた女性が出てきた。
あら、使用人がいるのね。
「おかえりなさい、あなた。ご飯は食べてきたのよね?」
「ああ、顧客とね。ちょっとめんどくさい人だけど、成功報酬のことを考えたら頑張らないといけないからなあ~」
「あまり無理をしないでね。いくら父の事務所だったからって、あなたはあなたのペースでやってくれていいんだから」
「優しい奥さんがいてくれて、俺は幸せだよ。だけど、この子のためにも頑張らないとな」
そう言ってセキトウは小さな玄関から狭い居間に移動すると、女性のお腹に手を置いた。
そこで女性のお腹が大きいことに気付く。
嘘でしょ? 奥さんって、セキトウは結婚しているの?
はあああああ!?




