ジェネジオ7
先日、お嬢様が覚醒したのではないかと思ったのは残念ながら間違いだった。
うちわって、何だ。しかもキラキラうちわって。
お嬢様が意外に上手い絵を描いてくださったので、その形状はよく理解できた。
これは異国で見たことのある扇子のようなものだ。
確かに異国には美しい絵や装飾が施されたうちわも多くあった。
しかし、なぜ実在の人物の肖像画を描いて、しかもそれを本人に向かって振るんだ?
お嬢様はそれらしく生徒会の特質をおっしゃっていたが、やはり理解できない。
「もし注目されるのが嫌なら生徒会には入らないでしょうし、今のように総回診――じゃなくて、取り巻きの女の子たちを連れていないでしょう? 注意しているはずよ」
「ああ、あれな……。廊下ですれ違うときとか邪魔だったよなあ……」
貴族のお嬢様たちに何度「邪魔よ!」となじられたことか。
制服組は学園では肩身の狭い思いをずっとさせられていたんだよなあ。
それが今――いや、とにかくあのプライドの高い貴族のお嬢様方が〝キラキラうちわ〟なんてものを持つか?
「ですが、女子生徒のほうがそんなものを持って恥ずかしくはないんですかね?」
「いいえ! 欲しいに決まっているわ! むしろ私はファラーラ様のものが今欲しいもの! でも学園内に限られるなら諦めるしかないけれど、当時それがあれば私は……」
「……誰のがほしかったんだ?」
「それは秘密よ。一般生徒の私がお近づきになっていいような方ではなかったもの。だけどもし〝うちわ〟があれば……。ファラーラ様、一般生徒も購入は可能になるのでしょうか?」
「そうね……。値段設定を良心的にして、きっちりルールに身分の貴賤は問わないとすればいいかしら」
誰だ? シアラはいったい誰のことを言っているんだ?
何学年のときの話だ?
それに今、学園外でも許されたとして、お嬢様のうちわをどうするつもりなんだ?
目の前にいるじゃないか。
そのお嬢様はまた面倒なことを提案だけして、すべてを俺に丸投げしてくる。
しかも何だこれは。
この目の前で繰り広げられる三文芝居は何なんだ。
「…うっ……」
「ファラーラ様!」
「……大丈夫よ、シアラ。私は何ともないもの」
椅子に座ったままわけのわからないお嬢様の芝居を観ていたが、シアラはなかなかの演技だった。
学生時代から成績も優秀で、何をやらせてもそつなくこなしていたもんなあ。
なんて思っていたら、まさかのお嬢様の一人芝居だった。
って、ええ? いや、だが、ええ?
信じたのか?
今のをシアラは信じたのか?
「ジェネジオ、あなた先ほどからファラーラ様に失礼よ! ファラーラ様の今の演技のどこがダメだというの!? 私なんて本気で心配したのよ! ファラーラ様ならきっと名女優になれますわ!」
「……ありがとう、シアラ」
そうか。信じたのか。
シアラは学生時代、才女として学園で有名で、そのせいで貴族令嬢たちから嫌がらせをされることもあった。
それでもそんな素振りをまったく見せず、常に凛として微笑みを絶やすことのない姿は特待生たちの憧れだったのに。
それが、だ。
ひょっとしてお嬢様に関わると優秀な人間ほど馬鹿になる呪いでもあるのかもしれない。
そんなことを考えてしまう自分がおかしくて、思わず笑ってしまう。
「お嬢様、結論から申し上げますと、先ほどの質問は私ではなく医師にするべきです」
「あら、それくらいは私だってわかっていたわ。ただ説明の仕方が難しいから、あなたにお願いしたかったの。ついでにあなたが病名を知っていればいいなと思ったのよ」
どうして急に何かの病気について知りたくなったのかは知らないが、お嬢様が必死なのはわかった。
あんな演技ででも俺に伝えようとしたのだからな。
力になれたらいいのだが、それなら適任者は別にいる。
確かに今はお留守にされているようだが――。
「というわけで、ジェネジオなら顔が広いでしょうから、色々な医師に今の説明をして病名と予防策を調べてほしいの」
「……今の説明をどうしろと?」
「同じように演じてくれればいいのよ。倒れる前には言葉が不明瞭になっていたことも伝えてね」
すっかり油断していた俺は、衝撃の言葉に激しく動揺してしまった。
すまない、シアラ。
俺には馬鹿になる呪いは効かなかったようだ。
いっそのこと呪われてしまえば、俺は自負していた経歴に傷をつけることもなかったのに。
「私、ジェネジオ・テノンは今まで多くのお客様から無理難題を申しつけられてまいりましたが――そのほとんどがお嬢様でございますが、これは酷い。あまりに酷い。まさかこの私の経歴に〝不可能〟の文字を刻まなければならないとは……」
仕方ない。
ここはお嬢様をからかって留飲を下げてやる。
「お嬢様、今回の依頼はお受けすることができません」
「ええ? ジェネジオ・テノンなのに?」
「私の名誉にかかわる問題ですから。ただし、そのお詫びといたしまして、先ほどの症状の病名と予防策を突き止めるために最適の協力者を無料で情報提供いたしましょう」
「仕方ないわね。それで許してあげるわ。それで、その協力者の名前は?」
「その方は治癒師として名高いのですが、魔力を使わず治療するための研究にも力を入れている医師でいらっしゃいます」
「へえ~。治癒魔法に頼るだけではないのね。それで、その方のお名前は?」
「はい。チェーリオ・ファッジン卿です」
「チェーリオ・ファ……って、お兄様じゃない!」
おいおい、マジで気付いていなかったのかよ。
研究に没頭しているらしい兄君に遠慮しているのかと思ったが。
そうだな。
お嬢様に〝遠慮〟なんてものがあるわけがない。
チェーリオ様は確か、今はご友人のブルーノ・フェスタ様の別邸にいらっしゃったよな。
にしても、ブルーノ・フェスタ、ねえ……。
この方もまたお嬢様と関わることで呪いにかかるのだろうか。
王太子殿下が王妃様の箱庭から出たことといい、今後は何かと面白くなりそうだ。




