第8章:ファーストキス、じゃない?
【SIDE:井上翔太】
琴乃ちゃんとのデート当日、俺は昨日から眠れずにいた。
初めて女の子と出かけると考えただけで……うまくいけばキスくらいはできるかもしれない、その後は……むふふっ。
いかん、変な方向に妄想してしまうのは男の性って奴だろうか。
そりゃ、お年頃の男が考えるというとアレがアレして、こうしてしまうものだ。
「……琴乃ちゃんと普通に遊ぼう」
俺は軽く自己嫌悪しながら冷静さを取り戻す。
今日のデートは街中でショッピングという普通のデートなのだ。
俺にとっては人生初デートなので浮かれる気分は仕方がない。
朝飯を食ってから俺は待ち合わせ場所へと向かう。
待ち合わせていたのは俺の住むマンションの前だ。
「……ホントは駅前とか、そう言う所で待ち合わせるものでは?」
いかにもデートというのなら、そうなのだろうが、今日行く予定の繁華街は駅側ではないので、俺の家からの方が近い。
まぁ、下手に琴乃ちゃんがナンパなどされて嫌な思いをするよりはマシだろう。
「琴乃ちゃん、可愛いからなぁ」
本当に俺の恋人になってくれたのが奇跡だろう。
普通なら縁もない、そういうレベルの相手なのだ。
「……今日のデートが終わったら告白しよう」
そして、俺の気持ちもひとつにかたまっていた。
最初は彼女の勢いに負けて付き合い始めた関係だ。
だが、昔の事や琴乃ちゃんを見ていて俺は自分が彼女が好きだと思うようになっていた。
恋している自分に気づけた時、俺は本当の意味で告白しようと決めたのだ。
「これで正真正銘の恋人同士か」
嘘も偽りもない、恋人になれると言う事は嬉しい。
これからもずっと関係を続けていきたい相手だ。
「さて、そろそろ来るはずだが……?」
腕時計を見ると約束の時間になり始めていた。
「先輩、お待たせしました」
彼女が到着したのは約束の時間、ちょうど。
「おはよう、琴乃ちゃん。いきなりデートに誘って大丈夫だった?」
昨日の今日だ、驚くのも無理はない。
「いえ、全然問題はないです。先輩から誘ってもらえて嬉しかったんですよ」
「そっか。それはよかった」
母さん、グッジョブ。
俺は内心、母に感謝しつつ琴乃ちゃんに微笑みかけた。
自転車に乗ってきていたので、俺のマンションにおいて歩いて繁華街へ向かう。
「……え?映画が見たい?」
琴乃ちゃんにどこか行きたい所があると尋ねたら、彼女はそう言った。
「はい。先輩と一緒に見たい映画があるんです。ダメですか?」
「オッケーだけど、何系の映画?」
俺が好きなのは派手なアクション満載のハリウッド映画だ。
琴乃ちゃんのイメージからすると、やはり恋愛モノかな?
「……ホラー映画です」
彼女は頬を赤らめて、小さな消え入るような声で呟いた。
「ホラー?怖い系の?」
「はい、そうです。先輩は苦手ですか?」
「いや、苦手というか……琴乃ちゃんは大丈夫なんだ?」
意外な趣味だ、としか言えない。
琴乃ちゃんの見た目的にホラーだと「怖い~っ」て感じがするのだが?
「平気ではないんですけど。何て言うんですか。怖いもの見たさっていうか」
「何となく分かる気がする」
怖いものが苦手な人ほど、怖いものが好き、みたいな?
そういや、CMでホラー映画の新作をすると見た気がする。
話題になっているホラー映画か……。
「先輩が苦手ならやめておきますけど」
「いや、いいですよ。全然、大丈夫です。任せてください」
「……震えてますけど?」
怖いものは苦手なんだーっ!!
と、大声で叫びたい気持ちを我慢しながら俺は精一杯の作り笑顔で、
「問題ないから行こうよ。琴乃ちゃん」
「はいっ。楽しみですね」
俺は全く楽しめそうにないのだが……。
俺に与えられた試練だと思って耐えるしかないのか。
男には好きな女の子の前で意地を張るのも大事なのだ。
映画の上映は昼からだったので、昼食を先に済ませてから映画館に入る。
話題の映画とあってか、ホラー映画というジャンルながらカップル連れも多い。
トイレも先に行ってきたので少しは耐えられるはず。
「井上先輩……顔色悪いですよ?」
俺の方を笑いを抑えながら琴乃ちゃんが尋ねて来る。
分かって言ってるのなら、彼女は意地悪さんだろう。
「べ、別に何でもないさ」
「そうですか。本格的なホラーらしいので、心臓が弱い方はやめた方がいいらしいです」
「ははっ。だから、変な心配しなくてもいいから。楽しもうじゃないか」
ホラー系の映画くらい見れるっての……ちゃんと見たことがないけどな。
自分から好んで見ないだけで、怖くなんてないんだぞ。
「先輩。怖くなったら私の手を握ってもいいですから」
そっと俺に耳打ちした琴乃ちゃんは何だか楽しそうな顔をしている。
くっ、年上の男としてのプライドがそんな真似をするはずが……。
上映開始から20分後、俺はさっそく琴乃ちゃんの手を握っていた。
「……あぅあぅ」
薄暗い映画館、スクリーンに広がる光景と抜群の効果音と音声に俺は驚かされていた。
映画の内容は洋館に閉じ込められた主人公たちが未曾有の恐怖に襲われると言うタイプのホラー映画だった、現在の画面は殺人シーンで目を覆いたくなる。
うぎゃーっ、超怖いっす、リアルに怖くて仕方がない。
これは夜中に見たらひとりでトイレに行けないレベルだ。
「ふふっ」
映画ではなく、震えながら琴乃ちゃんにすがる俺の姿を彼女は微笑していた。
男のプライド完全崩壊、でも、琴乃ちゃんが楽しんでいるのならそれでもいい。
「……先輩。ここからが本番なので頑張ってくださいね」
小声で俺に言う彼女、俺はその手を強く握り締めながら恐怖と闘う。
……それから先の事はあんまり思い出したくない。
映画館から出た後の琴乃ちゃんは大笑いをしていた。
「……先輩、ものすっごく可愛かったです」
終始、彼女にすがる情けない男を演じていた俺。
普通は立場逆じゃないか、ちくしょーっ!?
怖がる彼女を優しく落ち着かせる理想の男像からかけ離れていた。
「そ、それより、琴乃ちゃんは平気そうだったな?怖くなかったのか?」
映画は大迫力で恐怖倍増、俺としては今日は悪夢に悩まされそうな気配だ。
「怖かったですよ。でも、楽しかったです」
ホラー映画が好きっていうだけあって、恐怖を楽しめるとは……本当に意外な趣味だと言っておこう。
「それに怖がる先輩も、普段は見れませんからね」
「今度はちゃんとした恋愛映画でも見ようじゃないか」
「そうですね。次はぜひ、先輩と楽しめるものを見ましょう」
俺はずっと繋ぎっぱなしだった手に視線を向ける。
「……先輩が痛いくらいに繋いでくるので安心できましたよ」
「ごめん。痛かったか?」
俺が離そうとすると彼女は別の手を添えてやんわりと断る。
「いいえ。せっかくですから家まで繋いでいいですか?」
「あぁ……」
めっちゃ可愛いじゃんかよーっ。
俺の事まで気にしてくれるいい子だ、お兄さん、感動中……。
恋人ってこんなに楽しくていいものだったのか。
俺は恋人関係に充実感を抱き、感動していた。
俺のマンションについてからは家まで彼女を自転車に乗っておくる。
その途中で俺は彼女を展望台公園に誘った。
「今回のデート。とても楽しかったですよ」
俺はビビってばかりだったけどな、と自嘲したくなるが。
「俺も楽しかったよ。琴乃ちゃんの意外な一面も見れたし」
「……またデートに誘ってくださいね」
「もちろん。だって、俺達は……」
そこまで言って言葉を止めると、俺は自分の思いを口にすることにした。
「あのさ、琴乃ちゃん。俺、ちゃんと言っていなかったから言わせて欲しい」
「何ですか?」
「俺は琴乃ちゃんが好きだ。だから、ホントの意味で恋人になりたいんだ」
片思いではなく両想い、恋人としての始まりの瞬間。
俺の言葉に彼女はきょとんとしていたけど、やがて涙を浮かべていた。
「嬉しいです。先輩がそう言ってくれるなんて……。不安だったんですよ、私が勝手に付き合ってるだけで、先輩はそんな気もないんじゃないかって。好きと言ってもらえるの、夢じゃないんですよね?」
「きっかけはどうにしろ、今の俺の気持ちは本物だよ」
俺はゆっくりと彼女を抱きしめて、深呼吸しながらその瞳を見つめる。
この瞬間を待っていた、夢にまで見たファーストキス。
彼女は瞳を閉じて俺に唇を突き上げてきた。
キス、してもいんだよな?
俺は焦らないようにその唇に自分の唇を重ね合わせる。
小さく水音をたて、重なり合う唇同士、やがて唇を離した俺は感動の嵐が駆け抜けていた。
「……ファーストキス、だな」
俺が彼女に微笑むと意外な一言を切り出される。
「……え?私は……ファーストキスじゃありませんけど」
真っ赤な夕焼け空の下、俺は氷のように硬直してしまう。
キスが初めてではない……そ、それは、つまり、その?
「ファーストキスじゃありませんよ?」
彼女の素直な言葉にショックを受ける俺がいた。
いまどきの若い子ってそんなに進んでいたのか、というか、琴乃ちゃんって……俺以外に前に彼氏がいたとか?
キスが初めてなのは俺だけだったのか~っ!?




