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第5章:恋人の温もり《後編》

【SIDE:井上翔太】


 授業が終わってから俺は中庭で琴乃ちゃんを待っていた。

 恋人として付き合い始めてから2日目。

 今日は俺が理沙おばさんに挨拶に行く番である。

 

「理沙おばさんか」

 

 お世話になってた頃から悪い人ではないけれど、怖い人ではある。

 

「お待たせしました、先輩。掃除が長引いてしまって」

 

「いいよ。それじゃ、行こうか」

 

 琴乃ちゃんは今日も歩きらしいので、俺の自転車の後ろに乗せてあげる。

 

「自転車はまだ直らないのか?」

 

「今日ぐらいには直ってると思います。お母さんが勝手に乗って壊したんですよ」

 

「……そりゃ、大変だな。今はバスで通学しているんだ?」

 

「そうですね。さすがに家から歩くのは遠いですから」

 

 バス通学の方が楽だけどな。

 俺も雨の日はバスで通うこともある。

 

「先輩、少しだけ寄り道してもいいですか?」

 

「寄り道……?」

 

「向かってもらえれば分かります」

 

 彼女の案内するままに俺は自転車を走らせる。

 自転車の二人乗りをしていると背中の方に意識が集中する。

 俺の制服を掴む彼女の手。

 もうちょっと、ぎゅっとした感じで掴まってもらえると俺としては嬉しいのだが。

 男の野望など彼女は気にするはずもなく、話を続けて来る。

 

「昨日、夢を見たんです。先輩の夢でした」

 

「……どんな夢だったんだ?」

 

「先輩との思い出のことです。私も昔のこと、それほど覚えているわけじゃないんです。さすがに時間が経ってますから……」

 

 俺が小学2年生の時は、1歳年下の琴乃ちゃんは小学1年生。

 覚えていろと言う方が無理なような気もする。

 でも、昔の記憶って成長した時の記憶より印象的に覚えているものが多い。

 なんとなく、ではあるけれど、イベントとして脳が記憶している。

 俺の住むマンションの前を過ぎ去り、しばらく進むとあまり馴染みのない住宅地に入る。

 ここから先はあまり俺も来たことがない。

 それゆえに、自転車で数十分という距離ながら琴乃ちゃんに会う機会もなかった。

 

「夢で見た光景。久しぶりに私も行ってみたい場所があるんです。いいですか?」

 

「もちろん。俺もどんな場所か気になる」

 

 彼女が案内したのは彼女の家付近にある高台の公園だった。

 整備された森林公園で、俺達は自転車から降りて歩く。

 

「昔、よくふたりでここで遊んだよな?」

 

「ふたりで……。あ、はい。家から近いのでよく遊びに来てました。お母さんが子供は家より外で遊んできなさいって言ったんですよ。夏休みでしたから暑くて大変でした」

 

「そういや、そうだったか」

 

 小さな頃の俺はあまり外で遊ぶタイプではなかった。

 住んでるマンションにも歳の近い子はいなかったので、遊び相手がいなかったんだよな。

 だから、琴乃ちゃんと遊んだ時間は特別だったので記憶に残っている。

 しばらく進むと高台から街全体が見下ろせるようになっていた。

 

「展望台公園か。いい景色じゃないか」

 

「先輩が預けられてた時にはよくここに来ていたんです」

 

 琴乃ちゃんと遊んだ思い出の場所のひとつ。

 かくれんぼしたり、はしゃいで遊んだのはこの公園だった。

 見渡す限り、それほど記憶と変わらない。

 遊具があって、展望台がある普通の公園だ。

 

「懐かしいな。どことなく覚えているよ。昔はもっと大きなイメージがあったが」

 

「先輩も私も成長してますからね」

 

 大人になって視点が変わると見える世界が変わってくる。

 都市化した駅前周辺と比べて比較的に緑の残る森林公園。

 俺が適当に歩いていると目の前に大木が見えた。

 

「あの大木……そうだ、あれだ」

 

 俺は近づくとこの公園で一番大きな木の前に立った。

 そっとその木に触れて過去を懐かしむ。

 

「懐かしい木だ。よくこの木に上ったっけ」

 

「先輩。無茶して落ちそうでしたよね?」

 

「……実際、一回落ちて泣きそうになったけどな」

 

 女の子の前で泣くのは恥ずかしかったので必死にこらえた記憶がある。

 今となってはそれほど高い木ではないのだが、あの頃は上るのも大変だった。


 ……。

 

『待ってよ、琴乃ちゃん~っ!危ないって』

 

 彼女と公園で遊んでいた時、俺達はこの木を見つけた。

 巨木で子供がのった程度ではびくともしない。

 最初に上ろうとしたのは、琴乃ちゃんの方だった。

 

『これくらい簡単に上れるでしょっ。ほらっ!』

 

 彼女は木に手をかけて上り始める。

 器用に木のぼりした彼女は大きな枝の上に座った。

 

『翔ちゃんも早くきてよ。ここからすごっく眺めがいいよ』

 

『……無理だってば』

 

『男の子なら大丈夫。早く上っておいで』

 

 俺は仕方なく彼女を追うように木に登り始める。

 それまで木のぼりなど一度も経験がないので難しかった。

 何とか苦労してのぼった枝の上で俺は彼女の横に座る。

 

『少し高い木にのぼっただけなのに景色が違うね』

 

『ホントだ……すごいなぁ』

 

 そう彼女は楽しそうに笑って言った。

 巨木から見た光景は、ちょうど今の俺からの視界くらいだろうか。

 ……そう言えば、あの時は降りるのも苦労したっけ。

 

「あの頃の琴乃ちゃんってホントにすごかったよな。こんな木でも軽く上っちゃうし。ついていくのが大変だったよ」

 

「……」

 

 彼女は黙ってその木を見つめる。

 俺は「琴乃ちゃん?」と呼びかけるとハッとしたように、

 

「え?何ですか?すみません、ボーっとしてしまって」

 

「いや、この木を琴乃ちゃんは軽くのぼっていたなぁって」

 

「……そうですね。私、木をのぼるのは得意でしたから」

 

 なぜか俺から視線をそらすと彼女は思案顔をする。

 どうかしたのだろうか?

 

「あっ、誰かいますよ」

 

 だが、彼女は何事もなかったように話題を変えるように子供たちを指差す。

 小学生の兄妹だろうか、男の子と女の子が一緒に公園で遊んでいる。

 

「俺達もあれくらいの年だったんだろうな」

 

 小さな子供たちは備え付けられている遊具にのって遊んでいる。

 兄の方は滑り台に簡単にのぼれるが、妹の方は中々上れない。

 そりゃ、あの年頃の体格差なら仕方ないさ。

 子供の頃の1年って結構、体格に差がひらいているからな。

 妹の女の子が上り終えるまで待って、彼らは再び遊び始める。

 俺達も昔はあんな感じだったんだろうか?

 

「何かほのぼのしてるなぁ」

 

「……先輩。そろそろ時間ですから行きましょうか?」

 

 彼女が俺の手を自然にひいて公園から出ようとする。

 その小さな手の温もりに俺は心地よさを抱いていた。

 女の子と手を握った記憶もあんまりないので緊張する。

 積極的な性格で、俺の方が翻弄されることが多いのは今も昔も変わらない。

 ……だけど、何か気にかかることがあるんだ。

 過去の話をする時に彼女は時折寂しそうな顔をする。

 

 俺はまだ何か忘れてしまっていることでもあるのだろうか……?

 

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