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第4章:恋人の温もり《前編》

【SIDE:井上翔太】


 人生=恋人いない歴の俺に初めて彼女ができました。

 という事実は思っていた以上に、俺にとって影響のある事だった。

 

「……恋人ねぇ?」

 

 朝、目が覚めた時にメールがさっそく来ていることに気づく。

 相手は俺の恋人になったばかりの女の子、琴乃ちゃんだ。

 

『おはようございます、先輩。今日のお昼に会えませんか?』

 

 さっそく昼食の誘いをされるとは……。

 何ていうか、嬉しくなるじゃないか。

 俺も男だから女の子と楽しく会話したりするってのは憧れだった。

 あいにくと相手には全く恵まれずにいたのだが。

 

「……夢じゃなかったんだな」

 

 俺は携帯メールを眺めながら独り言をつぶやく。

 俺に恋人ができた経緯を思い出す。

 あまりにも突然であっというまの出来事だった。

 

「しかも、相手はあの子だった、と。偶然にしちゃ出来過ぎだな」

 

 遠い昔の記憶、10年も前の想い出だ。

 思い出の少女といえば、ロマンティック度もあがるだろう。

 実際は本当に近くに住んでいながらこれまでその存在を忘れていた。

 

「母さんも言ってくれればよかったのに」

 

 同じ市内に住んでいるのならばまた会う事も容易にできた。

 その事を尋ねなかった俺も悪いが、母さんだって教えてくれる事はできたはずだ。

 

「……なんて愚痴っても仕方ないね」

 

 俺はさっさと制服に着替えながら、彼女の事を考える。

 会えなかった10年の間に彼女も俺も成長した。

 琴乃ちゃんは美少女になっていたし、俺だって少しは男らしくなった。

 過ぎ去ってしまった時間は取り戻せない。

 どうしても、取り戻せないのなら今を大事にしていこう。

 

「やべぇ、俺、マジで意識してるじゃんかよ」

 

 思いのほか、俺は琴乃ちゃんに惹かれていたようだ。

 好きとか言ってくれる相手、今までいなかったからなぁ……。

 女の子に言われて嬉しくない奴なんていないさ。

 俺は顔がにやけるのを止めながらさっさとリビングへ行くことにした。

 リビングではのんびりとテレビを眺めている母さんがいる。

 朝食は既に作ってくれているようだ。

 

「ん、おはよう。翔太」

 

「おはよう。今日は仕事じゃないのか?」

 

「夜勤よ。あんまり夜更かしせずに寝なさい。夕食はいつものとおりね」

 

「分かってるよ。看護師ってのも大変だな」

 

 看護師として病院勤めをしている母さんが夜勤でいないのも珍しくない。

 今までがそうだったように、これからも変わることがない生活のひとつだ。

 

「昨日、理沙と電話したんだけど、翔太に会いたいって言ってたわよ。琴乃ちゃんが翔太の事を好きだったのもびっくりしてた。理沙も想像外だったみたいよ。貴方達の組み合わせってのはね」

 

「……俺もびっくりしてる」

 

「ホントよね?10年よ、10年。片思いし続けてたなんて知らなかったわ。琴乃ちゃんとは年に何回かあってはいたけど、素振りすらみせてなかったし……。こんなことなら機会を見つけて何度か会わせてあげればよかったわ」

 

 母さんは「だからと言って、翔太に会いたいなんて言われても困るけどね」と失笑する。

 我が母ながら息子の存在価値を過小評価していないだろうか。

 かなり失礼な人である、怒らせると怖いので反論はしないでおく。

 俺は朝食のパンを食べ終えて、さっさと学校へ行くことにした。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

「いってらっしゃい。……翔太、女の子の扱いが下手のは仕方ないとしても、泣かせるようなことだけはしないでよ?」

 

「俺はそこまで粗暴でもない。ちょっとは息子を信用してくれ」

 

 一体、俺をどんな目で見ているのやら。

 こっちは泣かせるどころか、どう接しようか考えてドキドキしてるっての。

 

 

 

 

 学校に登校してクラスにつくと、友人の中山がげんなりとした様子で椅子に座っていた。

 肩を落として机へ視線を落とす彼。

 昨日の鬱陶しいくらいのご機嫌さは微塵もない。

 

「中山、どうした?」

 

 声をかけるかどうか、俺は判断に迷ったが一応かけてみることにする。

 彼はこちらに頭を上げると今にも泣きそうな顔をする。

 

「よぅ、井上。人生ってのは何が起きるか分からないから人生だよな」

 

「……そりゃ、昨日のお前のセリフだろう」

 

 出会いから10秒で告白されたりするのも人生だって。

 ホントに人生って分からないものだと俺も思ったさ。

 

「何だ?昨日は彼女と初デートを楽しんできたんじゃないのか?」

 

「うぉおおおおお、初デート!!!!!」

 

 いきなり声を荒げて彼はぐしゃっと髪をつかみながら頭を抱える。

 クラスメイトは何事かと彼に冷たい視線を向けた。

 

「ふっ、人生とは……悲しいものだ」

 

 一瞬で場の空気を変えたお前の存在は確かに悲しい。

 

「で、何があった?聞いてやるぞ?」

 

「さっそく、恋人にふられました。あっさりと」

 

「……ご愁傷様。何が原因だ?」

 

 見事に敗れた中山、まさか交際2日で終わる恋とは驚きだ。

 

「交際自体が嘘だったとかではない。騙しもなければどっきりでもなかった」

 

「それじゃ、何でふられたんだ?元彼でも現れたか?それとも……?」

 

「そういうんじゃない。昨日、繁華街を一緒に歩くと言う定番デートをしてみた。腕組んだりしてそりゃぁ、雰囲気も良かったんだよ。だが、ある一軒の店が俺の人生を変えてしまったんだ」

 

 何か複雑な理由でもあったのか?

 

「お店?どこに行ってきたっていうんだ?怪しい店か?そりゃ機嫌を損ねるな」

 

「そんなところ行くか。……ペットショップだ」

 

「ペットショップ?動物の?何でそこで喧嘩するんだ」

 

 なぜ事件が起きるのか俺には到底理解できないんだが?

 中山は遠い昔を見つめる顔をしながら、

 

「人には譲れないものってのがあるだろ。俺もそうだった。彼女はペットショップに入るやいなや、犬コーナーに近づいて楽しそうに見ていた。だが、俺は猫派だ。犬なんて存在そのものを受け入れられない」

 

「……はぁ?」

 

「お前には分からないのか?まぁいい、お前に言う事ではないな。ともかくだ、俺は猫派、彼女は犬派だったわけだ。俺達は恋人になって初めて意見が対立した。言い争いに発展してしまうくらいにな……その結果は……うぉおおお」

 

 うなだれて泣き崩れる中山、クラス中から哀れな視線を向けられる。

 よくわからないがお互いに譲れない|(?)犬派と猫派という言い争いが修復不可能な亀裂を生んだ。

 それで中山は落ち込んでるわけか。

 

「しょーもないな」

 

 喧嘩した理由はおいとくとしても、付き合って二日でそれとは嘆かわしい。

 俺はつまらないことで時間を割いた事を後悔しながら彼に言う。

 

「そんなお前に報告するのは酷かもしれないんだが……」

 

「しれないんだが?」

 

「実は昨日、俺に彼女ができたんだ。美少女の後輩に告白されてさぁ」

 

 中山にとどめとばかり言ってやると「ちくしょ~っ!」と彼の叫び声がクラスに響いた。

 

 

 

 

 昼休憩になった、これほど時間が待ち遠しかったのも久々だ。

 俺はさっさと片付けて食堂へ行く準備をする。

 

「そういや、お前の恋人ってどんな子なんだ?」

 

 何とか復活した中山は興味ありげに俺に言う。

 自分の失恋のショックを俺をからかう事で憂さ晴らしする事にしたらしい。

 

「どうせ、美少女って言っても冗談だろ?なぁに、お前の事だ。そこそこ普通の子でも可愛いって言ってそうだからな」

 

「何を勘違いしているか分からんが、めっちゃ失礼な奴だな」

 

 俺はともかく、女の子相手に失礼極まりない発言だ。

 

「気になるなら見せてやるよ。彼女、この部屋に寄っていくから」

 

 1年の教室は3階で、2階のこの教室へ降りて来ることになっている。

 しばらく待っていると教室にこちらをうかがうひとりの少女がやってくる。

 

「……お待たせしました、井上先輩っ」

 

 琴乃ちゃんは俺に気づくと彼女は安心したような表情を見せる。

 他クラスでしかも、学年が違えば緊張もするだろう。

 とびっきりの美少女の登場にクラスはざわっとした雰囲気になる。

 

「琴乃ちゃん。それじゃ、行こうか」

 

「ちょ、ちょっと待て!?い、井上、マジか。その子がお前の恋人だとぉっ!?」

 

「そうだ……昨日から付き合うことになった俺の恋人の琴乃ちゃんだ。ホントに可愛い子だろ?」

 

 俺がそう言うと琴乃ちゃんは頬を赤らめる。

 あー、思わず抱きしめたくなる可愛さですよ

 

「先輩にそう言ってもらえると嬉しいですね」

 

「……言った俺も照れくさいけどな。混む前に食堂へ行こうか」

 

 俺の後ろで唖然としている中山、面白いから放っておこう。

 

「井上の恋人が……そんなバカな……本物の美少女だと……嘘だ、そんなはずがない!?」

 

 彼の嘆きの叫びに耳を傾ける必要はない。

 

「何でアイツが、あんなに可愛い子と……な、なぜだぁーっ!?」

 

 くくっ、勝った。

 俺は内心ほくそ笑みながら、ショックで落ち込んだ中山を放置して歩きだす。

 

「あの、いいんですか?先輩の知り合いでは?」

 

「いいんだよ。あんなのは放っておいていいんだ」

 

 他にもクラスメイト達の羨ましそうな視線を感じる。

 美少女が恋人ってのはそれだけで価値があるな。

 俺は優越感にひたりながら彼女に笑いかける。

 

「……そういや聞いてなかったが、琴乃ちゃんは食堂派?それとも弁当派?」

 

「気分で違いますよ。私、自分でお弁当を作ってるので。今日は先輩と一緒に食堂で食事したいと思ってます。先輩と一緒に食事したいんです。昨日から楽しみにしてたんですよ」

 

 そう言ってもらえると、こっちまでたのしくなってくるじゃないか。

 俺たちが離れていた時間を埋め合わせるくらいに仲良くなれればいい、それが今の俺の偽りのない気持ちだ。

 琴乃ちゃんと恋人になって2日目。

 恋人がいるって素晴らしいことだと俺は実感していた。

 

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