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第42章:繋げる心

【SIDE:井上翔太】


 俺には父親の記憶は一切ない。

 生まれてからずっと母さんとの二人暮らし。

 父親と言う存在がどういうものなのかもよく分からない。

 けれど、俺は誰が俺の父親なのかは気になっていた。

 母さんが俺に教えてくれたのは俺の父親は立場があり、別の家族を持ち、俺は認知されていないと言う事実のみ。

 一度でもいい、どんな人か会ってみたい。

 父親と話をしてみたいんだ。

 相手がどう思うかは分からないけども、俺はそうしたい。

 

 

 

 

 冬美ちゃんと遊んで、レストランに戻り、そのまま家に帰るはずだった。

 けれど、母さんだけが家の前に降りて、俺は佐々木さんの家に招待されることになった。

 

「大事な話がしたいんだ」

 

 佐々木さんは俺にそう言って、母さんもそれを了承したらしい。

 彼の家は金持ちが多く暮らすエリア。

 同じ市でもこの辺りは一度も来た事がない。

 家の中もかなり広く、俺は素直に驚いていた。

 応接間の方に通されると、緊張しながらも椅子に座る。

 

「待たせてすまなかったね。冬美を寝かしつけてきた」

 

「いえ、かまいません」

 

「冬美がぬいぐるみを何個も翔太君に取ってもらったと喜んでいたよ。今日は抱いて眠るそうだ。あの子の面倒を見てくれて、ありがとう」

 

「俺も楽しかったですよ。妹みたいで可愛かったです」

 

 俺の言葉に彼は微笑で答える。

 俺は本題を尋ねるために彼に問う。

 

「……それで、俺に話があると言うのはどういうことでしょう?」

 

「以前に話をしていた件だ。葉月の話だよ、キミの父親が誰かと言う事だ」

 

「母さんから名前が聞けたんですか!?」

 

 俺は向かい合う佐々木さんに尋ねた。

 彼は何とも言えない表情を浮かべながら言うんだ。

 

「僕はキミに嘘をついてた。その事をまず謝らせて欲しい。すまない」

 

「えっと、佐々木さん。何のことですか……?」

 

「僕と葉月の関係だ。僕は葉月と友人だと言っていたが、それは違う。当時、彼女と交際していたのは僕なんだ。僕が彼女の恋人だった」

 

 佐々木さんが恋人だった相手?

 彼は神妙な面持ちで俺に真っすぐな視線を向ける。

 

「これから僕の知る限りの真実を話す。聞いてくれるかい」

 

「……はい」

 

「18年前の事だ。僕と葉月は互いに惹かれて、交際を始めた。約1年間ほどの交際で僕は結婚も考えていた。しかし、僕が別の病院に移ることになり、彼女にその話をしたら別れを切り出されてしまった」

 

 俺は黙り込んで彼の話を聞き続ける。

 母さんが何で彼と別れたのか。

 愛している相手と別れるには、理由として離れてしまう事は理解できる。

 

「僕は諦めたくはなかったが、仕方なく別れることにして彼女と離れた。それから数年後に僕はある私立病院の理事長の娘と結婚した。やがて、冬美が生まれて僕は家族を持った。順調に出世もし、僕は対外的にも認められて、去年、ようやく院長にまでなれた」

 

 医者としても人間としても、人生の成功者と言っていいだろう。

 いくら実家が大病院の家系だとはいえ、院長になるのは大変そうだ。

 

「3年前、不仲となった妻と離婚した。その後、僕は破局後も友人としての関係を続けていた葉月と1年ほど前から会う機会が増えてね。僕は再び彼女に対して……愛情を抱くようになったんだ」

 

「それで病院の方に母さんを誘ったんですね。俺の母さんの事が好きなんですか?」

 

「あぁ。愛しているよ。だが、葉月は自分の事は一切話さなかった。今、誰と暮らしているのか、結婚はしているのか。そういう自分に関する事は一切だ」

 

 母さんが黙りつづけていた理由。

 佐々木さんも俺と実際に出会うまで子供がいると知らなかったからな。

 

「今日、すべての真実を彼女から聞いた。なぜ、彼女が僕の元を去ったのか。その理由は……キミが僕の息子である、という事だそうだ」

 

「佐々木さんが俺の父親……?」

 

 話の流れ的に容易に想像はついてたが、本当なのか?

 俺は今、自分の会いたいと望んでいた父親と話をしているのか?

 

「……葉月は僕が院長になるために身を引いたと言った。あの頃、子供が出来て葉月と結婚していれば、今の立場はなかったかもしれない。それでも僕は、言い訳になるが、本当に葉月を愛して結婚したかった。地位よりも、葉月を、キミを選びたかった」

 

「母さんが黙っていた、それで俺の事は佐々木さんも知らなかったんですね」

 

「17年間、僕は翔太君の存在を知らないままに過ごしてきた。これは罪だ、ひとりのこの親としての最低限の責務も果たせず、存在すら知らずにいたなんて」

 

 母さんが言っていた通りだったんだ。

 相手には立場も別の家族もあり、俺は隠し子として認知されていない。

 佐々木さんは俺に頭を下げて謝罪をする。

 

「すまなかった、翔太君。僕がキミの父親なんだ。キミと出会うまで僕は自分の子供は冬美だけだと思っていた。自分の子供が別にいるなんて思いもしていなかった」

 

「……知らなかったことならば、仕方がないんじゃないですか?」

 

「知らないと言えば済む話ではない。僕はキミに対して、父親としての……」

 

 俺は父親と会えればいろいろと話がしたかった。

 憎んでもいない相手を責めるつもりはない。

 ただ、親子として認めてもらいたくて、話をしてみたかったんだ。

 

「頭をあげてください。前にも言いましたよね。俺は父親が誰であろうと責めるつもりはありません。佐々木さん、俺は母さんとの二人暮らしでも不幸せだとか、恨みを抱い事はないんですよ。父親がいない、確かに小学生くらいの時は多少は嫌な思い出はあります。周りの友人達には当たり前の用にいる存在でしたから」

 

「……翔太君」

 

「だけど、母さんは俺を大切に育ててくれました。母親として、自分の時間を削り遊んでくれたり、一生懸命に働いてくれたり。そんな生活に不満はないんですよ」

 

 母さんにも事情があったのだろう。

 彼から身を引き、自分ひとりで俺を生み育てると決めた覚悟。

 それがどんなにも大変で辛いことだったのか。

 俺には想像しかできないけども、精神的に本当にしんどいことだったはずだ。

 

「佐々木さんは母さんを愛していると言いました。結婚するつもりはあるんですか?」

 

「……僕は数年前から結婚したいと願っていた。先ほど、僕は彼女に正式にプロポーズをした。結婚して欲しい、と」

 

「そうなんですか。母さんは了承したんですか?」

 

「すぐに返事はもらえていない。キミの事もあるだろう。だからこそ、僕は葉月に頼んで、翔太君と話をする機会を作ってもらったんだ」

 

 なるほど、母さんが何も言わずに俺と佐々木さんを引き合わせたわけか。

 俺の父親だと、彼は勇気を持ってカミングアウトしてくれた。

 彼は彼なりに考えて、今、俺の目の前にいる。

 

「佐々木さん。俺に批判される事、覚悟してました?」

 

「僕には父親である資格がない。キミや葉月の事なんて思いもせず、別の家族を持ち、それなりに幸せな家庭を築いていた。責められて、憎まれて当然だろう」

 

「……当然、と言われても困るんですよね。俺も貴方を知らなかった。憎いと思った事はない、俺は俺で、本当に幸せな家庭で育ったと思っています」

 

 俺は彼にそっと手を差し出した。

 

「だけど、俺は父親である貴方の事をもっと知りたい、話したいと思っています。母さんと結婚したいと言うのなら、それに俺も賛成しますよ。彼女は幸せになるべきだ」

 

「……キミは優しいな。僕も翔太君の事を知りたいと思うよ。こんな僕でも父親だと認めてくれると言うのかい?」

 

「誰だって、最初があって当然なんです。こうして出会えた事に意味があると思いませんか、“父さん”。今さらだから、なんて言わずに、ここから始めたって遅くはないと俺は思いますよ」

 

 俺が生まれて初めて、誰かを父さんと呼んだ。

 人生において初めてだ。

 彼はしばらく言葉を詰まらせていたが、やがて「ありがとう」と俺に言った。

 それから俺達はいろいろな事を話をした。

 母さんのこと、お互いの話や、俺は琴乃と言う恋人がいること。

 些細なことでもいい、話をして少しでも理解しあえるようにする。

 まずはそこから始めて行こうと思ったんだ。

 

 

 

 

 夜も遅くなった頃に、俺は彼の車で家まで送ってもらった。

 

「父さん。今日は話ができて楽しかったです」

 

「僕もだよ、翔太君。キミに認めてもらえた事が嬉しい」

 

 未だに敬語口調なのは互いの距離だが、これは仕方ない。

 呼び方と関係だけは変わったのだ。

 他はゆっくりと変えていけばいい。

 俺達は……血の繋がりあった家族なのだから。

 

「冬美ちゃんとも話をさせてください。彼女も、異母とはいえ兄妹ですから」

 

「あぁ、ぜひそうしてあげてくれ。それでは、また。おやすみ」

 

「はい。おやすみなさい。また、ゆっくりと話をしましょう」

 

 彼の車が去るのを俺は眺めながらどこか不思議な気持ちだった。

 あの人が俺の父親だと言われて、すんなりと心で受け止める事ができた。

 それは自分ではある意味の驚きではあったんだ。

 長い時間がかかったが、俺と父さんの関係は何とかなった。

 あとは母さんの方だな。

 あの人は何気に俺の事をかなり気にしてくれている。

 プロポーズされたとき、内心はずっと思い抱いてた感情で即答したかったはずだ。

 俺は十分に幸せに生きている。

 ならばこそ、母さんには本当の意味で幸せになってもらいたい。

 俺は家に帰ると、母さんは眠りもせずに待っていた。

 彼女がテーブルに広げて眺めているのはアルバム。

 けれど、俺が見たことない色のアルバムで、それは母さんが隠し続けてきた父さんとの思い出の写真の数々をのせているものだった。

 

「おかえりなさい、翔太。信彦さんと話はできた?」

 

「話は全て聞いたよ、彼が俺の父さんだってこともね。母さん、話を聞いてくれる?」

 

 俺が母さんに出来ること。

 17年という時間に囚われた彼女の心を解放させられるのは俺だけなんだ――。

 

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