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第41章:彼の母として

【SIDE:井上葉月】


 佐々木信彦、私が唯一愛した男の人。

 今は病院の院長をしているけれども、私が交際していた時はまだ新人の医者だった。

 別れて17年が経っても、年に数回は会っていた。

 彼が結婚して子供が出来たりして、私と会う回数も徐々に減りつつあった。

 私たちの子供の翔太のことは絶対に伝える事は出来なかった。

 あの日、私が決めた事だから彼が幸せならばそれでいいと思ったの。

 彼の負担にならないように、とそれだけを考えてた。

 嘘だ、私はずっと翔太が生まれてから彼に嫌われるのが怖かった。

 お互いのために、と言い訳をしながら距離を取り続ける。

 それなのに、去年くらいから彼と会う頻度が高くなった。

 私はそれを別に嫌と思わないし、望んではいる事だけども、彼も結婚している身だ。

 相手の奥さんに下手な勘違いはされたくない。

 私と翔太、彼に夕食を招待された。

 その理由がよく分からずにいたの。

 何回か食事に連れて行ってもらったことのあるホテルの最上階にあるレストラン。

 食事を終えた私たちは二人っきりになって話をしていた。

 翔太と冬美ちゃんはしばらく席をはずしてもらっている。

 

「どういうつもりなの、信彦さん?」

 

「……ん?ここの料理は気に入らなかったか?」

 

「そういうわけじゃない。翔太を連れて食事になんて。貴方の考えている事が分からない。貴方は結婚しているんでしょう」

 

 彼が何を考えて行動しているのか本気で分からない。

 こんなことしても、意味なんてないのに。

 

「言ってなかったが、妻とは3年前にすでに離婚している。今は冬美と二人で暮らしているんだよ」

 

「えっ!?そんなの私は聞いていないわ」

 

 彼の口から聞かされた思いもよらない一言に私は動揺する。

 信彦さんがすでに離婚していたなんて病院でも噂を聞いてない。

 

「3年も前だから、今さら噂にはならないって」

 

「何で黙っていたの?」

 

「キミも息子がいるのはずっと黙っていたじゃないか」

 

「それは、その……そうだけど」

 

 お互いに秘密を隠し続けてた。

 というより、こんな風に自分たちの事を話すのは久しぶりだもの。

 

「……黙っていたのは悪気があってのことじゃない。キミの態度を確かめたかった。あの17年前の日に、別れてからも友人として接してきたが、諦めきれなくてな。葉月と再婚を含めて距離を詰めたかったのが僕の本音だ」

 

「さ、再婚!?私と……?」

 

「そのつもりで、キミを今の病院に呼び寄せたんだ。キミは来てくれた、その事に僕は勝手に期待していたんだ」

 

 今回の事にそんな期待がなかったとは言えない。

 わざわざ彼が誘ってくれたことに期待したのは事実。

 彼が結婚しているので考えないようにしていたのに、まさか離婚していたなんて……。

 

「キミだけなら僕が望めばついてきてくれると思っていた。しかし、翔太君がいると言われて、僕は驚いたよ。そして、17年前の事にも納得が言った。キミがなぜ、僕の前から去る事を選んだのか」

 

「……」

 

 私は黙り込んでしまう。

 翔太が彼との子供だと言う事を伝える事はできない。

 彼は落ち着いてコーヒーを飲みながら、

 

「長い付き合いだと言うのに、僕は何も知らなかった。あの時、既にキミが身籠っていたなんて。その後、僕も病院を離れてしまったから全然知らなかった」

 

「……やめましょう、信彦さん。そんな話はしたくない」

 

「正直に話してくれ。翔太君は僕と葉月の子供で間違いがないんだな?」

 

 私の沈黙に彼は肯定と受け取ったらしい。

 翔太を一人で育ててきた事だけは知られたくなかった。

 

「そうか。葉月はなぜ僕に相談しなかった?僕が信用できなかったからか」

 

「違う、そんなことじゃないの」

 

「ならば、どうして?確かにあの頃はまだ新人で生活も苦しかったが、それでも一人の子供の父親としての責任は果たすつもりだった。葉月との関係だって、あの時に告げた結婚の意思を持ったものだった」

 

 そう、彼は悪くない。

 結婚の話も出ていたし、私はただそれに頷けばよかった。

 できなかったのは彼の未来と私の弱さを考えてしまったせいだ。

 信彦さんは真剣な様子で私を見つめている。

 もう誤魔化せない、嘘は重ねられない。

 

「そうよ。あの子は貴方との子供、私達が交際してた時に出来た子供なの」

 

「……僕に相談しなかった理由は?真面目なキミのことだ。何かあったんだろう?」

 

「子供が出来た時に色々と考えたわ。どうするのが一番いいのか。貴方に相談しようとした、けれども、信彦さんは他病院へ行くことが決まり、順調に出世していく事も分かっていた。私と結婚すれば、その道に影響が出るのは目に見えていたわ」

 

 今でこそ院長と言う立場だけども、そう簡単になれたものじゃない。

 いくら自分の一族の病院だとしても、彼は周りを認めさせるのに時間はかかった。

 彼の努力が報われた成果、それが今の彼の立場なの。

 

「私は貴方に嫌われたくなかった。だから、逃げて話せなかった。子供を嫌われたらどうしようって本気で悩んで、何も言えなかった。だから、私たちが身を引くしかないって」

 

 レストランだと言うのに、私は人目も気にせずに彼に想いをぶつける。

 

「結婚のことも、立場作りのための結婚だと以前に貴方から聞いた。それを聞いた時に私は間違いじゃなかったって思えたの。私みたいなただの看護師じゃなくて、立場のある人と結婚するのが貴方にとって正しい道なんだって」

 

「……今の立場に上り詰める前に子供が出来たと分かっていれば、確かに影響があったかもしれない。だが、キミは僕の考えを勘違いしている。僕は誰かの幸せを踏みつけてまで出世して、偉くなりたかったわけじゃない」

 

 それは17年前に夢を語っていた彼の今――。

 

「キミとの幸せを考えた事がなかったと本気で思うのか?あの時に告白した想いは遊びでもなければ、適当でもない。キミだからこそ、僕の傍にいて欲しかった。キミ一人に負担を押し付けるつもりなんてなかったんだ」

 

「……私は、今も自分のした事は間違いじゃないって信じてる。これでよかったのよ。貴方はちゃんと夢を叶えることができたもの。無駄じゃなかったって思えるわ」

 

「その夢のためにキミと翔太君を犠牲にした僕の立場はどうなる?彼の出生を今まで知らず、何も知らないでたことは?」

 

「翔太はある程度受け入れてくれている。お願い、あの子には貴方の事を話さないで」

 

「自分の子供が生まれた事も知らずにいた僕には父親の資格がないと?」

 

 そういうことじゃない。

 これ以上、翔太を巻き込んで動揺させたくないの。

 

「僕はキミの本当の気持ちを知らなかった。そこまで自分を追いこんでいた事も。今の僕には立場があり、冬美と言う子供もいる。違う未来を歩んでしまっている。そんな僕をキミたちは責めるかい?」

 

「責めるはずなどない。私が望んだ事だもの。翔太には辛い想いをさせたけども、私のしたことは間違いじゃない」

 

 私には信彦さんの未来が大事だった。

 彼の夢のために、それは言い訳だとしても私の覚悟でもあった。

 

「……17年だ。本当に長い時間だけども、過去は当然ながら取り戻す事なんてできやしない。だからこそ、すべてを“今さら”で終わらせるには早い。葉月、僕の今の気持ちを伝えよう。僕は今もキミを愛している」

 

「何で、そんなことを……?」

 

 私達が過ごしてきた時間、17年と言う“時の刻み”。

 

「結婚して欲しい。17年も時間は経ってしまったが、僕もキミと人生を歩みたい。今もその気持ちは変わらない。やり直したいんだ。翔太君の事も、責任を取りたい。葉月、キミをひとりにしておきたくない」

 

 ……この歳になってまだプロポーズされるとは思ってもいなくて。

 彼の言葉に嬉しさは感じても、私は即座に言葉は返せなかった。

 

「翔太は、いえ……少しだけ考えさせて」

 

 私はそう答えるに精一杯だった。

 

「いい答えを期待しているよ。僕も男だからさ。こんな年齢になってしまったが、まだ人生は長い。キミと一緒ならば楽しい人生を過ごせると確信している」

 

「……信彦さん。貴方は私を許してくれるの?」

 

「それは僕のセリフだろう。キミたちが僕を許し、認めてくれるか。それだけなんだ。僕も一人の子の親としての責任は果たしたい。彼の父親だと名乗る資格を与えて欲しいんだよ」

 

 すべての過去の過ちは私に原因がある。

 あの時、信彦さんに嫌われ、捨てられるのが嫌で決断したこと。

 今さら、翔太は認めてくれるだろうか。

 私の気持ちは揺れ動き、今、信彦さんの方に傾こうとしている。

 翔太はきっと私の幸せを認め、応援してくれるかもしれない。

 だけど、17年も苦しめてしまったことに対する罪悪感が消えるわけじゃない。

 私が信彦さんから離れたのは自分の意思。

 けれども、あの子には私のエゴで普通じゃない家庭を過ごさせてしまった。

 翔太は決して寂しいと口にした事はないが、小さな頃から私も留守がちで寂しくないわけがなかったはずなんだ。

 私自身、両親との仲が悪くて幼い頃からとても辛かった。

 それと同じ事を結果として彼にしてしまった事は、母親としては最低だと自覚している。

 ここで私だけが幸せを得てしまう現実はあまりにもあの子の気持ちを無視している。

 どうすればいいの、私は……。

 とても長い時間を経て再び動き出した運命の歯車は、私をどう導くのか――。

 

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