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第33章:キス、時々、嵐《後編》

【SIDE:井上翔太】


 ……。

 小学2年の夏、俺はいつだって琴乃ちゃんと一緒だった。

 遊びに連れていく彼女、明るくて元気な彼女に翻弄される毎日。

 それが楽しくて、俺もいつも彼女の後ろを追っていた。

 

「翔ちゃんっ。ねぇ、見て。大きなセミを捕まえたの」

 

 相変わらず、彼女は虫を素手でつかんで遊んでいた。

 ミーンと鳴くセミが可哀想で俺は逃がしてあげるように言う。

 

「えーっ。せっかく捕まえたのに?でも、いいや。翔ちゃんがそう言うなら、逃がしてあげる。セミも短い命で夏を楽しまなきゃいけないものね」

 

 セミを空へと放り投げて逃がす彼女。

 

「そうだ。“鈴音”と“麻由美”を連れて幽霊屋敷に行かない?」

 

「幽霊屋敷って何?」

 

「向こうの方にある大きなお屋敷。ずっと前から荒れていて、皆から幽霊屋敷って言われているの。ほら、探検に行くよ」

 

 琴乃ちゃんに連れられた俺は途中で麻由美と鈴音を誘い、問題の幽霊屋敷に行く事に。

 古びたお屋敷、それはどう見ても怖い。

 

「こ、ここなんだ?」

 

 思いっきり雰囲気が出ていて俺は足がすくむ。

 

「ちゃんと懐中電灯も持ってきたから行くよ」

 

「……やめておいた方がいいよ、お姉ちゃん」

 

 鈴音が声を震わせて琴乃ちゃんを止める。

 けれど、彼女は「行くと決めたら行くのっ」と俺達に有無を言わせない。

 

「琴乃ちゃんって怖いものはないの?」

 

「ん?そうねぇ、怖いのは幽霊とか虫とかは問題ないよ。本当に怖いのは……」

 

「怖いのは?」

 

「私のお母さん。すぐに怒るから怖いの。お母さん以外は怖くない」

 

 苦笑いをする琴乃ちゃんに俺は「理沙おばさんか」と思わず納得してしまっていた。

 あの人ならばしょうがない、ホントに怒ると鬼ように怖い。

 

「鈴音は怖いものあるか?」

 

「私は……暗い所が嫌い。虫も、大嫌い……」

 

「鈴音は怖がりだもの。虫とかホントに嫌いよね?」

 

「だ、だって、あんなに気持ち悪い恰好してるんだもん。誰だって怖いよ」

 

 鈴音がそう言って怖がるのに琴乃ちゃんは平気な顔をしていた。

 姉妹でもこれだけ差があるんだな。

 

「ほら、翔太クンっ。鈴音もこっちゃんも早く行こうよ~っ」

 

 麻由美は麻由美で乗り気になって鈴音の背中を押して屋敷内に入る。

 薄暗くてほこりっぽい屋敷、そこで何が待ち受けていたのか。

 その時の俺達はまだ知る由もなかった。

 

 

 

 

 ……。

 ハッと意識を取り戻した俺は気がつけば夕焼けの空の下にいた。

 隣を歩いていた琴乃ちゃんは少し疲れた様子だ。

 

「先輩?次は最後です。観覧車ですよ?」

 

「あ、あぁ……」

 

 どうやら、その前のジェットコースター(本日3回目)で意識を失っていたらしい。

 まったく持って遊園地とは怖い所である。

 

「琴乃ちゃんに怖い物はないのか?」

 

「はい?私ですか?……ありますよ、怖い物くらい」

 

「そうなのか?」

 

 俺の記憶では琴乃ちゃんにはそういうもの、なさそうだったが。

 

「えぇ。昔は暗いところも大嫌いだったんです。でも、いつからか大丈夫になったんですよね。それでも、今でも嫌いなモノはあります」

 

「……例えば?」

 

「“虫”です。虫だけは今でも全然ダメなんですよ。気持ち悪くて触れません」

 

 俺はその言葉にどこか引っかかりを感じていた。

 琴乃ちゃんは虫が嫌い?

 むしろ、得意だったような気が……俺の記憶違いか?

 

「ほら、そんなことより、並びましょう。この観覧車で今日のデートも最後なんですから。最後はちゃんと楽しみましょう」

 

「あぁ、そうだな。さすがに観覧車は重力を断ち切られる事もない」

 

「……観覧車でそんなプレイがあったら、ある意味、怖すぎますよね」

 

 俺はそれ以上、深くは考えずに目の前の現実を楽しむ。

 後にして思えば、色々と考えておくべきだったのかもしれない。

 現実の目で見てきた琴乃ちゃんと、過去の記憶の琴乃ちゃん。

 少しずつずれていく、矛盾を持った記憶。

 

「……違う、何か違う?」

 

 違和感を抱きつつも、俺にはそれを否定できる明確な確信があるわけではない。

 俺達の番がやってきて観覧車に乗りこむ。

 徐々に上へと上がって行く観覧車。

 

「あっ、すみません。電話です」

 

 彼女は携帯電話にかかってきた電話に出る。

 

「お母さん?どうしたの?……え?」

 

 どうやら電話相手は理沙おばさんのようだ。

 

「あ、うん……分かった。翔太先輩、うちの母が代わって欲しいと言ってます」

 

「理沙おばさんが?」

 

 俺が電話を代わると理沙おばさんがいつもの明るい声で言う。

 

『デート中にごめんね、翔ちゃん。今日は帰りはうちによってご飯を食べて行ってと言うお誘いなの。翔ちゃんが琴乃をホテルでも連れ込む予定があるなら別だけど』

 

「……本日はそのような予定はありませんから」

 

『そうなの?全然、全く娘の身体に興味なし?それはそれでどうと思うわ』

 

「琴乃ちゃんの意思を俺は尊重してるので。とにかく話は分かりました」

 

 俺は理沙おばさんに変な突っ込みをされたくないので電話を切る。

 今日は俺も家に母さんがいるのでその旨を伝えておく。

 

「ここから眺めるのって綺麗ですよね」

 

「そうだな。俺は遊園地は平和なアトラクションが好きだ」

 

「くすっ。先輩、今日は楽しめましたか?」

 

「まぁね。何だかんだで楽しかったのは事実だ」

 

 それは遊園地のアトラクションもあるが、琴乃ちゃんと一緒だったのが楽しかった。

 やっぱり、彼女とのデートって最高です。

 

「……遊園地って知らない事ばかりで驚いたよ」

 

 本当に小さな頃に来た以来だったので、ジェットコースターとかあんなにすごいとは思わなかったのだ。

 

「今日はありがとう、琴乃ちゃん」

 

「無理をさせてしまったんじゃないかって、思いました」

 

「大変ではあったけど、楽しかったよ」

 

 狭い室内、観覧車って特別な感じがする。

 

「……先輩、私のこと、好きですか?」

 

 それはちょうど観覧車が頂上付近にたどり着いた頃のこと。

 琴乃ちゃんは俺に尋ねると真っすぐに可愛い瞳をこちらに向ける。

 

「大好きだよ」

 

 ふたりっきりなので恥ずかしさなどもなく言い切る。

 

「私も大好きですよ。ずっと昔から好きです」

 

「琴乃ちゃん……?」

 

 いつもと違う雰囲気の琴乃ちゃん。

 それは彼女なりの覚悟があったのかもしれない。

 

「先輩。私は先輩にずっと嘘をついてきたんです」

 

「嘘……?それはどういう嘘なんだ?」

 

「それは……それ、は……」

 

 彼女は言葉を詰まらせる。

 今にも泣きそうな顔をしながら俺に何かを言おうとする。

 

「無理しなくていいよ、琴乃ちゃん」

 

「ダメなんです。本当はもうずっと前に会った時から言わなくちゃいけなかったのに。私はずるくて言えませんでした。このまま先も私は先輩をだまし続ける事が辛くて、嫌われてもいいから真実を言った方がいいって……」

 

 彼女が嘘をついている。

 それは一体、何なのか?

 けれど、俺は涙を流しそうになる彼女を抱きしめてしまった。

 

「例え、キミが何の嘘をついていても嫌いになる事はない。それは安心してもいいから。それだけは俺を信じていて欲しい」

 

「翔太、先輩っ」

 

「無理して言わなくていいよ。琴乃ちゃんが話せるようになったら言って欲しい。その時は俺も話をちゃんと聞くから」

 

 彼女の覚悟を押しつぶすような気がしたけれども、こんなにも震えている彼女に無理をさせて言わせることじゃな気がした。

 ふたりで観覧車から眺めた赤く染まる空。

 

「先輩……ごめんなさい……」

 

 俺たちはキスをかわす、観覧車が下へとつくまでの間……。

 琴乃ちゃんを守りたい、どんな嘘でも受け止めるつもりでいた。

 だけど、彼女のついた嘘が俺達の関係そのものに影響していたなんて思わなかった――。

 

 

 

 

 理沙おばさんの誘いで俺はデートの帰りに彼女の家に寄る事になった

 一応は恋人の母親と言う事で対応にはいささか困る。

 琴乃ちゃんは家に向かうにつれて無言になっていく。

 何かがあるのかな、と思いながらもそれを聞けずにいた。

 俺達が玄関の前に立ち、扉を開いたその時――。

 

「あっ、おかえりなさい」

 

 明るい声で出迎えてくれたのはひとりの美少女。

 俺は一目で分かってしまった。

 目の前にいた女の子が“誰”なのか。

 淡いブラウンの髪が印象的な彼女は俺に満面の笑みを見せる。

 

「――久しぶりだね、“翔ちゃん”。10年ぶりかな、ずっと会いたかったよ」

 

「まさか……鈴音、なのか?」

 

「そうだよ。鈴音でーす。ホントに久しぶりだよね」

 

 明るい笑顔で微笑む鈴音。

 もうひとりの幼馴染、鈴音との再会は“琴乃ちゃん”との“別れ”を意味していた。

 

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