第2章:意外な接点
【SIDE:井上翔太】
俺の住む家は築15年のマンションの一室だ。
8階建てマンションの3階、エレベーターを待つより、階段の方が若干早い。
俺達は階段をのぼりながらそれぞれの事を話し合っていた。
「先輩ってお母さんとふたりぐらしなんですよね?」
「そうだよ。親父という存在は記憶にもない。亡くなったって話は聞いてないから、どっかにまだ生きているんだろうが」
どこかで生きてると思われる父親に会いたいとか思った事もない。
物ごころついた頃から母さんとのふたりぐらしだ。
他の家とは違う、そういう事は感じているが、父親という存在を知らない以上、それにどれだけの存在価値があるのかも分からない。
「まぁ、今時、片親ってのは珍しくないからな。琴乃ちゃんは?」
「私は両親いますよ。お父さんとは普通の関係ですね。嫌いってわけでもありませんから」
「そうなんだ。おっと、ついたよ、ここが俺の家だ」
互いの家族環境を何となく察した俺達は家に着いた。
「先に言っておくけど、汚い部屋だから。一応、リビングはマシだけどね」
まずはそう断っておかねばいけない。
女の子を家に上げる日など来ると想像したこともなかったからな。
俺はドアを開けて思わぬ光景を目にする。
「ただいま……って、なんじゃこりゃ!?」
いきなり俺を出迎えたのは、綺麗に掃除された部屋だった。
おかしい、今朝まではこんなに綺麗ではなかった。
普段ならゴミが散らかっている汚い部屋なのだ。
なぜならば、うちの母は掃除をあまりしない、というか苦手な方だ。
俺は適度に片付けてるが、それを越す勢いで散らかすのが母なのである。
「あ、ありえない。あの汚い部屋を散らかすことしかできない母さんが部屋を整理していたなんて……ぐぼぉ!?」
俺の顔面を直撃するのはスリッパだった。
それを投げた張本人、俺の母さんは睨みつけながら言う。
「そこ、失礼なことを言わない。非番で気が向いたから朝から掃除していただけよ」
「そうだったのか。ごめんなさい。母さん、えっと、その……」
親に彼女を紹介するって難しいぞ。
俺が何と言うか悩んでいると彼女の方から自己紹介する。
「今日から井上先輩の恋人になった藤原琴乃ですっ」
「……あら?えっ、琴乃ちゃん!?」
何だ……母さんがびっくりしているぞ?
彼女は琴乃ちゃんの姿を見るや、びっくりした顔で迫る。
「久しぶりねぇ、琴乃ちゃん。高校生になったんだ?」
「はい、おば様。お久しぶりですね」
……はい?
軽く抱き合うふたり、懐かしそうに笑い合う。
どうやらふたりは顔見知りらしい。
呆然とする俺をよそにふたりは話を始めてしまう。
「翔太の恋人ってことは……ふたりは付き合い始めたわけ?うわぁ、ホントに?」
「えぇ。今日から付き合い始めることになったんです。まずは報告したくて」
「そうなんだ。嬉しいわ、琴乃ちゃんがそういう気になってくれて。翔太って全然、女の子と縁がなくて。彼女の一人くらいいつになったら連れて来るんだって心配していたのよ。その相手が琴乃ちゃんだったなんて……」
おーい、勝手に話を進めるな。
俺を置いてけぼりにしないでくれ。
俺は放置され気味の寂しさを感じながら彼女達に、「ふたりは知り合いなわけ?」と尋ねてみることにした。
すると、母さんは「はぁ?バカじゃないの?」的な視線を俺に向ける。
「何言ってるのよ、琴乃ちゃんよ?」
「いや、俺の方こそ何言ってるの?だが?」
「おば様。実は先輩は事情をあまり分かっていない様子です」
「そうなの?バカだと思っていたけどホントにバカなのね」
何で俺をここまでバカにされなければならないのだ。
場所を変えてリビングに連れていき、椅子に座りながら話を続ける。
母さんは紅茶を淹れながら俺に説明する。
「翔太、琴乃ちゃんのことを忘れたの?」
「忘れたも何も、今日、初対面なんですが?」
「そんなわけないでしょ。はぁ、この鈍男は……」
何かえらい言われようですな。
「昔、会ったことあったっけ?」
初対面だと彼女は俺に言ったはずでは?
「本気で覚えてないのね。記憶力ないわねー、だからテストで毎回赤点ギリギリなのよ」
「うるさいなぁ。そんなことはいいから説明してくれ」
「翔太、子供の頃に預けてもらっていたの覚えてない?」
母さんに言われて俺はある出来事を思い出す。
あれは子供の頃の話である。
俺は一時期、母の親友に預けられていたことがある。
あれは確か俺がまだ小学1年か2年の夏休みの事だったろうか。
母さんは看護師に復帰をしたてで忙しく、ひと夏の間を彼女の親友、藤原のおばさんの家族と共に過ごした記憶はある。
「藤原のおばさんって理沙(りさ)の事を呼んでたの。忘れた?」
「あーっ!?初日から“おばさん”ではなく“おねーさん”と呼びなさいと子供心に恐怖感を植えつけられた、あの人か!?」
「……そういうところ、理沙らしいわね」
「すみません、母は歳をめっちゃ気にする人なので」
母の親友である藤原のおばさん、もとい、理沙さん。
皆が俺を受け入れてくれてひと夏とはいえ、楽しい思い出になった。
「もしかして、あの時の?」
「そうよ。翔太を預かってくれていたのが、琴乃ちゃんの母親。だから、貴方達は小さな頃によく遊んでいたじゃない。忘れちゃうなんてひどいわねぇ?」
「……昔のことですから。それに先輩の記憶力ってダメそうですし」
ひどい言われようだ!?
覚えていなかったのは俺の責任だが、その失望感からなのか、諦めに似た彼女の呆れた表情に傷付くっての。
それともやっぱり、怒ってるのですか、琴乃ちゃん!?
すっかりと忘れていたのは俺が悪いのだが……。
『約束してよ。また会えるって』
そっか、琴乃ちゃんってあの時の女の子だったのか。
時々、夢に出てきては罪悪感を思い出してしまう少女。
楽しい思い出だったからこその後味の悪さみたいなものだろうか。
“記憶”では『琴乃ちゃん』と彼女の名前を呼んでいたことすら覚えていない。
子供の頃の話だ、小学生の頃のクラスメイトの名前を言えと言われても覚えていないのと同じことで、仕方ないことなのかもしれない。
「私は年に何度か理沙に会うついでに琴乃ちゃんにもあってるけど、翔太は本当に10年ぶりくらいの再会かしら?一緒の高校に通っていたのね」
「はい。私も最近、偶然に知ったんですよ」
琴乃ちゃんは紅茶を飲みながら俺を見つめる。
昔の彼女の事を思い出す。
いつも笑顔がたえない子で、元気いっぱいの少女だった。
本当に懐かしい記憶だ……って、ちょっと待て。
「それじゃ、俺と初対面って言ったのは嘘ってこと?」
俺が琴乃ちゃんに問いかけると彼女は頷きながら、
「どうせ、先輩は私の事なんて覚えていないでしょうから」
どこか寂しげな表情を見せて言うから俺にはチクチクと罪悪感が……。
「ホント、私の息子ながらダメなやつ。しっかりしなさいよ」
「うっさいよ、母さん。その、琴乃ちゃん。全然覚えてなくて、ごめんな?」
「気にしないでください。少しは思い出してもらえましたか?」
言われてみればどことなく面影が残ってる。
あれから10年、記憶の中の少女は本物の美少女へと変わっていた。
「そうか、あれから10年も経つんだな」
彼女と過ごしたひと夏の間は多くの想い出を作った。
今、また俺の前に現れて、しかも恋人になったなんて。
何だか信じられないと言うか、夢みたいと言うか。
「でも、これからはまた一緒ですね」
彼女の笑みに俺は許された気がした。
その後は母さんが夕飯でも食べていきなさいと勧めて(ほとんど強引に)、彼女は家に連絡してみると席をはずす。
母さんは夕食の準備を始めながら俺に言うんだ。
「……翔太が琴乃ちゃんを彼女として連れて来る日が来るなんてね。私としては嬉しい限りよ。いい子なんだから大事にしなさいよ。浮気とかしたら、私が彼女の代わりに翔太をぶん殴るわよ?」
「暴力反対!?それなりに努力するけどさ。ホントに今日会ったばかりなんで混乱してるんだよ」
「まぁ、あれから私も忙しくて、全然、翔太を理沙のところへ連れていってあげなかったからね。ちゃんと会わせてあげなかった私も悪いか。それにしても、琴乃ちゃんもずいぶん明るい子になったわねぇ。高校デビューってやつかしら」
そう言って、母さんはフライパンを取り出して油を入れる。
彼女の言葉に俺は「?」と疑問を浮かべる。
「明るくなったって?」
「琴乃ちゃんって昔はものすごく大人しい子だったのよ。覚えてない?」
「……いや、アレを大人しいと言うとどれが大人しいか分かんないけど。俺の覚えている限り、小さな頃の琴乃ちゃんは明るく元気な子だったぞ。俺もよく振り回されていたくらいだからな」
俺よりも体力もあって、いつも後ろを追いかけるのが大変だったのは覚えてる。
『遅いよ~っ。そんなんじゃおいて行っちゃうからね!』
大人しいとか、そんな言葉の似合う子ではなかったのは確かだ。
「……ふーん?私の前と子供の前じゃ違うものかしら。それにしても、琴乃ちゃんが翔太を好きになるなんて……。あとで理沙に電話して報告しておいてあげる。きっと、理沙もまた翔太に会いたいって言うに違いないわ」
「また機会があれば挨拶にでも行くよ」
俺は母さんにそう言うと、部屋に戻って来た琴乃ちゃんに話しかける。
その日の夕食は懐かしい過去の話をしながら3人で盛り上がった。




