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第22章:崩れる信頼

【SIDE:井上翔太】


「――な、何をしているんですか?ふたりとも」

 

 麻由美に身体を触れさせた状態の俺を、琴乃ちゃんは見て驚きの声を上げた。

 間違いなく誤解されている。

 俺が逆の立場ならきっと変な誤解をしているだろうから。

 そうではなくとも、自分以外の相手と親しくする光景など不愉快以外の何ものでもない。

 

「こっちゃん?え?何でここに?」

 

「……マユ、ひどいよ。私の先輩に変なことしないでっ」

 

「ち、違うってば!?私、何もしてないし」

 

 慌てて麻由美が身体を離して誤解を解こうとする。

 けれど、悲しみの表情を浮かべる琴乃ちゃんには通じない。

 ふたりが険悪になる必要なんてないのに。

 

「先輩もひどいですっ。私、確かに今日は喧嘩していましたけど……」

 

「違う、違うんだ。琴乃ちゃん」

 

「何が違うって言うんですか?私の知らない所でこんな風に、誰もいないところで抱きついたりして、そんなの……嘘だって、どうして言えるんですか」

 

 怒らせた事に対する後悔と罪悪感。

 俺の軽率な行動が彼女を傷つけている。

 それを痛いほどに感じたから俺は謝る事しかできない。

 

「誤解なんだ、琴乃ちゃん。俺達の話を聞いてくれ」

 

「聞きたくないですっ。私、先輩の事を信じていたのにっ」

 

「だから、それが誤解なんだってば!」

 

 琴乃ちゃんに話だけでも聞いてもらおうと俺は何とかしようとする。

 重苦しい雰囲気に俺達はそれぞれ追い詰められていた。

 こんなはずじゃなかった。

 俺が過去を知りたいと思ったのは琴乃ちゃんを傷つけないようにと思った事なのに。

 

「……琴乃ちゃん、話を聞いてくれ」

 

「嫌ですっ。聞きたくありません。私は、先輩が好きなのに、こんなのって……」

 

 彼女は俺達に拒絶の意思を見せる。

 その反応に俺たちは互いに顔を見合わせて小声で言う。

 

「……もしかして、こっちゃん。私と翔太クンが出来てると勘違いしていない?」

 

「そうだろうな。しかも、彼女の中ではきっと裏切ったのはお前の方だぞ。琴乃ちゃんの目がそう言ってる」

 

「嘘~っ。私が寝取った側!?こっちゃんの彼氏を奪う真似するはずないじゃんっ」

 

 そもそも、俺と麻由美は再会してからまだ数日しか経っていない。

 動揺している彼女に俺が出来る事と言えば必死に説得するだけだ。

 

「俺の話を聞いてくれ……って、琴乃ちゃん!?」

 

 俺達の前から逃げようとする彼女。

 俺は逃がしてはいけないと追いかけようとする。

 

「待ってくれ、琴乃ちゃんっ!?」

 

「待ちません。先輩が、先輩がそんな人だったなんて……マユも、先輩も嫌いです」

 

「違うって!?それも違うけど、前に木がっ……危ない!」

 

「……え?きゃっ!?」

 

 俺の声に気づいた彼女は慌てて止まろうとするけど間に合わず。

 思いっきり大木と正面衝突して彼女は地面に転げた。

 木にぶつかったと言うよりは木の根っこに引っかかったようだ。

 

「こ、琴乃ちゃん、大丈夫か!?」

 

「うぅ、ひっく……」

 

 涙目で腕を押さえる彼女。

 ドジっ子だ、と普段なら笑い話にしたいがこの場合はそうはいかない。

 幸いにも怪我はないが、何とも運と間が悪い。

 

「痛いです……ぅっ……」

 

「ほ、ホントにごめん」

 

 俺は転んで立ち上がれない彼女に近づく。

 何とか話を出来る状況に俺は強引に持ち込んだ。

 

「琴乃ちゃん。俺は本当に麻由美に何もしていない。キミに内緒でふたりで会っていたのは事実だ。けれど、それは意味があるんだよ」

 

「何があるって言うんですか?先輩、私、拗ねていました。先輩が私の事を“まだ”思い出してくれてないのにマユの事は覚えていた事を寂しいって思いました。でも、だからと言って先輩が嫌いになったわけじゃないんです」

 

「……え?」

 

 今、彼女はまだ思い出していないと言ったか?

 どういうことだ?

 確かに俺は思い出せていない、けれど、小さい事だけど彼女の事は覚えているはずなのに。

 ……それすらも違うと言うのか?

 彼女は俺が触れようとすると身を引いて逃げようとする。

 

「だからって、こんなに早くマユに気持ちを変えてしまうなんて。ひどいです」

 

「変えてないって。俺は今でも琴乃ちゃんの事が好きだし」

 

「……だったら、何でこんな真似をしているのか説明してくださいっ!」

 

 そりゃ、そうだよな。

 俺がしている事を責められるのは仕方ない。

 彼女に隠れて過去を探ろうとした。

 それ自体は悪い事ではないが、こう言う真似は避けるべきだった。

 最初から彼女に言うべきだったのだ。

 俺は琴乃ちゃんの悲しい想いをさせたくなくて、いいや、これは言い訳だ。

 過去を覚えていない俺の罪悪感が自然と彼女からの追求を避けてしまっただけなんだ。

 

「分かった。説明するよ」

 

 俺は彼女に向き合って全てを話すことにした。

 

「……うぇーん、その前に気まずい修羅場の場面に私がいる理由を教えてよ」

 

 俺達の横で琴乃ちゃんに睨まれて困り果てる麻由美。

 すまん、麻由美には余計な迷惑をかけているがもうしばらく付き合ってくれ。

 

「琴乃ちゃん。俺はさ、ただ過去を知りたかっただけなんだ。琴乃ちゃんとの思い出を、ちゃんとした形で思い出したかったんだ。俺、本当に琴乃ちゃんが好きだよ。初めて出会ってから2週間、いろんなキミを見てきて、好きだって思ってる」

 

 俺の場合は好きになったのが過去じゃない。

 過去の記憶じゃなくて今のこの子を好きになった。

 

「だけど、琴乃ちゃんは昔から俺を好いてくれているだろ。何ていうか、焦っていた。琴乃ちゃんの想いに俺がついていけていない気がして。過去を思い出せたら、思い出話も出来てもっと近づけると思ったんだ」

 

「……翔太先輩?」

 

 俺は彼女にゆっくりと近づいてその手を取り、身体を起こしてやる。

 今度は逃げる事もなく俺の手を握る彼女。

 

「俺、琴乃ちゃんが悲しい顔をするのが嫌だからずるをしていた。麻由美に出会って、彼女経由で過去を思い出せば、琴乃ちゃんは傷付かないって。ダメなんだよ、そんなことをしちゃいけなかった。俺が琴乃ちゃんに向き合わないとダメなのに」

 

「先輩……。私の事をそう言う風に考えてくれていたんですか?」

 

「恋人になる時、ここから始めようって最初に言っただろ。キミには悪い事をしていると罪悪感がある。過去を思い出せない、その事にとらわれてちゃ本末転倒。意味ないのにな。そんなことにも気付けなかった」

 

 俺が今、大事にしなければいけないのは過去の思い出ではない。

 それも大事だけど、もっと大事なのは琴乃ちゃんだ。

 彼女を傷つけるような事をしてまで思い出す必要はないのだから。

 

「ごめん、本当にごめんな。俺はただ、琴乃ちゃんに想いを追いつかせたかっただけだ」

 

「先輩が私を想ってくれていて嬉しいです。私、マユが羨ましかっただけで、拗ねたりして、先輩を困らせて……」

 

 俺は彼女を優しく抱きしめる。

 朱色の空、照らす夕焼けに俺達は染まりながら抱擁しあう。

 

「約束するよ。俺は琴乃ちゃんを裏切らない。だから、琴乃ちゃんも俺を信じて欲しい。俺って、情けないけどさ。いつか、絶対に思い出してみせるから。もう少しだけ時間をくれないか?」

 

「私も、先輩を信じていいんですよね?私はいつも自分に自信がなくて、先輩が他の相手に振り向いてしまうんじゃないか。そう思ったら、悲しくて……」

 

 その心配、しなくていいよ。

 残念ながら俺はそこまでモテる人間でもない。

 俺達はそれぞれ、不安になってしまったのだ。

 新しい変化が俺達を変えてしまうのではないかって。

 俺達は顔を見合わせて距離を詰めあう。

 

「先輩……好きです。大好きです。お願いだから、私を好きでいてください。他の女の子に振り向かないでください。そういうのは私も嫉妬しちゃいます。私、先輩にもっと好きになってもらえるように頑張りますから」

 

「そんな事をしなくても、十分、俺にとっては魅力的なんだよ」

 

 俺の言葉に微笑みを浮かべる彼女。

 この子の笑顔を守りたい。

 俺はそう感じさせられながら、その唇を重ね合わせる。

 

「んぅっ……」

 

 キスを続けながら俺の脳裏によぎるある一つの光景。

 

『初めてのキスをファーストキスって言うんだって』

 

『ふぁーすときす?そう言うんだ?』

 

『うん。だからね、これが俺達のファーストキスだよ』

 

 子供同士のキス、これまでの思い出の中でも鮮明に思い出せた。

 

「……琴乃ちゃん。俺、少しだけ思い出せたかもしれない」

 

「何をですか……?」

 

「俺達が初めてキスをした場所。それって、あの教会じゃないか?」

 

 俺の一言に彼女は驚いて涙を浮かべた瞳を見せる。

 だけど、気になるのは……あの時の相手は本当に琴乃ちゃんだったのか……?

 

「……はい。そうです。やっと、思い出してくれましたね。些細な事でも、“本当の私”を思い出してくれてよかった。翔太先輩」

 

 本当の琴乃ちゃん。

 その台詞の本当の意味を知るのはこれからもっと後の事だ。

 だが、今の俺達は幸せな気持ちでいっぱいだった。

 もう一度、キスをして互いの想いを確認し合う。

 

「……おーい、おふたりさん。ラブシーンはいいけど、私がいるの忘れてませんか?……って、聞いてないし。修羅場に巻き込まれ、生キスシーン見せられる私って不幸すぎ。早く帰りたいよぉ~っ、しくしく」

 

 そう言って嘆く麻由美、後で思いっきり彼女に怒られたのはまた別の話。

 ふたりの関係をこれからもっと深めあう事ができる。

 そう思っていたんだけど、現実はそう甘くはなかったんだ――。

 

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