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第13章:Forget me not《前編》

【SIDE:井上翔太】


 ……。

 

「……あ、あの、翔お兄ちゃん」

 

 控えめな少女が俺の服の袖を掴んでいた。

 俺は「どうしたの?」と彼女に声をかける。

 普段から大人しい彼女、俺に話しかけて来るのは珍しい。

 

「翔お兄ちゃん、一緒に来て欲しいの」

 

「俺と一緒に?どこにいけばいいんだ?」

 

 俺よりも年下の彼女は俺の手を引いていく。

 

「来てくれたら、分かるから……」

 

 しばらく歩いていくと見えたのは教会だった。

 何度か来たことのある教会、いつもほとんどいないのに今日はたくさん人がいた。

 

「人がいっぱいいるけど、何かあるの?」

 

「あのね。結婚式があるんだって」

 

「結婚式?へぇ、そうなんだ」

 

 よく見れば中には花嫁姿の女の人がいて、彼女の周囲に皆が集まっているようだった。

 ふたりで綺麗だね、って話会っていた時だった。

 そっと花嫁と新郎が互いに見合ってキスを交わす。

 

「キスってあんなのなんだ?はじめて見た」

 

 話では聞いたことがある。

 キスっていうのは好きな人同士が唇を触れ合わせる行為だ、と。

 

「私も……見たのは初めて」

 

 ほんのりと顔を赤める少女。

 

「ああいうのって楽しそうだね」

 

「楽しい……?」

 

 彼女は何か考えるような顔をしている。

 そして、普段の彼女からは想像もできな一言を告げる。

 

「――翔お兄ちゃん。あのね……私とキスしてみない?」

 

 教会の鳴り響く鐘に消されそうな小声で彼女は言った。

 

 


  

 ……。

 

「うぐっ、痛い」

 

 俺はベッドから落ちて、目が覚めた。

 こう言う形での目覚めほど目覚めが悪い時はない。

 変に寝がえりでもうったのだろう。

 時計を見るとまだ朝の6時半過ぎ、いつもでも寝ている時間だ。

 

「……何か夢を見た気がする」

 

 いつものしょうもない夢じゃなくて、何か意味のあるような……。

 

「何だっけなぁ?」

 

 俺は起き上がりながら考えて見るが、夢なんて思いだせないのが普通なのだ。

 分からないものは仕方ない、と俺は諦めて私服に着替える。

 今日は休日、午前中だけ琴乃ちゃんに会うことにしている。

 午後からは彼女が都合が悪いので朝だけでも会う予定になっている。

 

「さぁて、少し早いが出かける準備だけでもするか」

 

 母さんが家を留守にして今日で3日目。

 今日の夜にはこちらに帰ってくるらしい。

 俺は食パンをトースターで焼いている間に身支度を整えておく。

 

「……むぅ、少し焦げすぎたか?」

 

 顔を洗ってから取り出した食パンは焦げ目がついている。

 まぁいい、真っ黒じゃない限りは食べられるだろ。

 俺は適当にジャムを塗って食べながら、アルバムを眺める。

 このアルバムは前回の捜索で見つかったのとは違う、小さなものだ。

 母さんがいないのでもう一度探して見たら見つかったものだ。

 主に俺の子供時代(推定7歳程度)の写真が飾られていた。

 琴乃ちゃんや謎の女の子の写真もある。

 それ以外にも数人の見知らぬ子がそこには写っていた。

 

「琴乃ちゃんの言ってた通りだな。確かに俺はあの教会に行ったことがあるらしい」

 

 その教会前での写真は琴乃ちゃんではなく、謎の女の子との写真が多い事に気づく。

 

「教会絡みなのか、この子は……?」

 

 だとしたら、あの神父様に聞いてみるのが一番だろう。

 琴乃ちゃんにはあんまりこの話はしてはいけない。

 それはこれまでに何度か話して思ったことのひとつだ。

 過去の事を気にしてはいけない、彼女は俺にそう言った。

 けれど、俺にはどうしても思い出せない過去がある。

 この少女が誰なのか、それが知りたいだけなんだ。

 

「琴乃ちゃんが嫌がる相手……誰なんだ?」

 

 きっと彼女は俺がこの少女の正体を知るのを望んでいない気がする。

 隠された意味が必ずあるはずだ。

 ……どんな意味があるのか、確かめたいだけなんだよ。

 

 

 

 

 琴乃ちゃんの家で、理沙おばさんと琴乃ちゃんのふたりと雑談をしていたら、あっという間に時間がきた。

 昼食を一緒に取ってから俺は帰ることにした。

 

「すみません、先輩。今日は時間がなくて」

 

「仕方がないよ。これから、家族で用事があるんだろ?」

 

「今の私は先輩と一緒にいる方が大事なんですけどね」

 

 彼女は苦笑しながら、「また明日、会いましょう」と俺を見送る。

 俺は彼女の家から出てのんびりと自転車を走らせる。

 実は俺にはもうひとつ、今日は自分なりに予定を立てているのだ。

 それは、教会の神父様に会うことだった。

 もう一度、ちゃんとあって話をしてみたい。

 俺の忘れてしまった記憶を少しでも思いだせるように。

 

「……あれ、神父様?」

 

 教会前についたが、神父様は何やら作業中だった。

 老人が持つには重い箱を持ちながら何かをしている。

 

「おや、井上君かい。今日は琴乃さんに会いにきたのかな?」

 

「えぇ、会ってきた所です。その帰りなんですけど……何をしているんですか?」

 

「教会の修理やら、草むしりなどだよ。ここの所しておらんかったからなぁ。おかげで教会もすっかり古びてしまって……。あと1ヵ月ほど先のことだが、この教会で結婚式を挙げる予定が入ってねぇ。久々に手入れをしようとしているんだ」

 

 なるほど、結婚式をするのにこの外面では都合が悪いわけだ。

 塗装がはげた門、古びた外観の建物にはツタが生い茂り、草は生え放題だ。

 せっかくの式を前に見栄えを良くしようとするのは当然だろう。

 いわゆる6月の花嫁って言うのでこの時期は結婚式が多いらしい。

 

「毎年、この時期だけ、こんな教会でも結婚式をあげたいと言ってくれる人がいる。10年前までは普通の時でも受けていたのだが、なにせ私も歳をとってね。今では6月くらいしか受け付けてはおらんのだ」

 

「そうなんですか。あっ、その、俺も手伝いましょうか?どうせ、今日は暇ですから」

 

「いいのかい?」

 

「えぇ、力仕事なら俺がしますよ。任せてください」

 

 俺がそう言うと「キミは優しい子だな」と神父様は嬉しそうに笑う。

 俺にとっても彼から話を聞きたいと思っていたので好都合だ。

 さっそく作業開始、まずは古びた門のサビを落として再塗装しなおす作業からだ。

 神父様と協力しながら門をしあげていく。

 

「……昔の話なんですが、俺の事って覚えていますか?」

 

「あぁ。覚えているよ。琴乃さんの家にひと月ほどだけ預けられていたんだろう?」

 

「えぇ、そうらしいです」

 

「この教会には当時、近所の子供たちがよく集まっておってね。ひとりだけ、見慣れぬ子が琴乃さんに連れられてきたのだ。すぐに子供たちと親しくなり、ここへ訪れるようになった。私が覚えているのは琴乃さんが、初めて“男の子”と遊んでいる姿を見たからだよ。だからよく覚えている」

 

 俺は「初めて?」と聞き返してしまう。

 昔の琴乃ちゃんの性格なら男女問わず、仲のいい子はいそうだったが。

 

「あの子は昔から男の子が苦手だったんだ。それが、キミだけは違った。優しさを感じ取ったのだろう。自分から手を取り、この教会に連れてきた。あの頃からきっと、彼女はキミに好意を抱いておったのかもしれないな」

 

 俺が初めて、この教会に来たのは10年も前のこと。

 薄っすらと記憶を思い出しかけてきた気がする。

 俺は門に白いペンキを塗りながら語る。

 

「……琴乃ちゃん以外に、俺が親しくしていた子はいましたか?」

 

「琴乃さん以外に?変なことをきく……ん?」

 

 すると神父様はなぜか黙り込んでしまう。

 もう一人の少女の事を聞こうとしていたのだが、彼でもダメなのだろうか?

 

「前にも言っていたがキミは、過去の事をまったく覚えていないのかい?」

 

「残念ながら。どうしても思い出せていなくて。琴乃ちゃんと遊んだ記憶はあるんですが……他に誰かと遊んだと言う記憶がほとんど思いだせないんですよ」

 

「……なるほど、キミはそう思い込んでいるのか。ならば、私がとやかく言う事ではないだろう。井上君、琴乃さんの事が好きかい?」

 

「え?あ、はい。好きです」

 

 いきなり言われたので俺は軽く照れながら言う。

 

「その気持ちを大事にしなさい。今のキミに必要なのは過去ではない。今の心だけだよ」

 

 彼は落ち着いた口調でそう言うと、「そろそろ休憩にしようか?」と話題を変える。

 どうやら、はぐらかされてしまったようだ。

 

「もうこんな時間だったんですね」

 

「疲れだろう?おかげでずいぶんと作業がはかどった」

 

 既に作業開始から1時間半が経過していた。

 ペンキを塗り終えた門は先ほどよりもずっと綺麗に見える。

 残りはこのツタと草むしりをすれば見た目的には綺麗になるだろう。

 

「少し、待っていなさい。冷たい物でも入れてこよう」

 

 神父様が中に入ってしまったので俺はしばらく外で待つ。

 

「……神父様にもはぐらかされた、か。こりゃ、ホントに何かあったのか?」

 

 神父さまは「そう思いこんでいるのかい?」と俺に言った。

 俺の過去、10年前に何があったんだ?

 俺はただ過去を知りたい、それだけなのに。

 

 そんな時だった、俺の視界がいきなり真っ暗になる。

 

「え?」

 

 慌てる俺の顔に触れるのは手の感触にドキッとする。

 そして、“その子”は明るい声で俺に言った。

 

「――ふふっ。だぁれ、だ?」

 

 ……いや、全然分からないけど。

 キミは一体、誰なんですか?

 

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