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鍛錬に身が入らない日々が続いた。
ライアンは忘れろと言ってくれたけど、そう簡単に気持ちが切り替えられるわけもなく。あいつらの憎々しげに歪んだ顔がたびたび脳裏をよぎっては、自分の不甲斐なさに気を滅入らせていた。
一つだけ安堵したのは、あいつらの怪我が想定より軽かったことだ。思ったよりも早く包帯が取れていて、正直かなりホッとした。
良かった、折っていなかった。
大したことのない怪我で良かった。
怪我が長びくと練習にも参加できず、その分遅れが出てしまう。騎士科の生徒にとって、それはなにより辛いことだ。
授業中に窓の外を覗くと、グラウンドでDクラスの連中が鍛錬に励んでいた。あの2人もその中に交じって剣を振っている。それを見て、心の靄がわずかに晴れた。
ライアンとの関係は、あれから何も変わらなかった。少しは仲良くやれるかと期待したけれど、やっぱり私は彼に嫌われているようだった。相変わらず剣の相手はしてくれないし、顔を合わせるたびに嫌味な態度を取ってくる。だけど。
その日は、朝から彼の様子がいつもと違っていた。
ライアンの様子が、おかしい。
いつもなら、用もないのにわざわざ私の所にやってきて、ニヤニヤと笑いながら人を小馬鹿にするくせに。今朝の彼は私とあからさまに距離を置いておきながら、チラチラとこちらを見ては何か言いたげな顔をしているのだ。
……なんなんだ一体。気味が悪いぞ。
お手洗いに行くときも、昼食を食べに行くときも、やっぱり距離を置きながら、窺うように私の後をついてくる。下手くそな尾行でもされている気分だ。
彼の周囲に女の子たちが見あたらないのも謎である。不審に感じて辺りを見回すと、彼女たちもライアンのように、一定の距離を置きながら彼の様子をじっと窺っていた。謎すぎる。
最初は実害がないので放置していたが、段々と薄気味悪くなってきた。これなら、いつものように嫌味な態度を取られている方が、何倍もマシである。
耐えきれなくなって、ズカズカとこちらから彼に近づいてみた。言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなんだ。じろりと睨んだら、彼も顔を真っ赤にしながら私を睨みつけてきた。
「放課後に……校舎裏まで来い!」
いや、ここで言えよ。
わざわざ放課後に校舎裏まで呼びつけないでくれ。面倒じゃないか。
反論しようとしたものの、それだけ言うと私の返答も待たずに彼は走り去ってしまった。相変わらず足が速い。もう豆粒サイズになっている。
……行かなきゃダメなのか? 校舎裏。
非常に気が進まないのだが、明日もつけ回されるのは御免である。ため息をつきつつ、放課後になると彼に指定された校舎裏に向かうことにした。
何の用だろう。
呼び出しの定番と言えば、やはり決闘だろうか。
私にちくちくと嫌味な態度を取るだけでは、我慢できなくなったのだろうか。このぐずぐずとした状態になってから、一年以上経つ。そろそろ私たちの関係を、すっきりさせたいと彼も思っているのかもしれない。
ライアンはこの前の奴らと違って卑怯な真似はしないから、1対1でやりあおうとするはずだ。久しぶりに彼と打ち合える。そのことにドキドキと胸が高鳴る。もちろん嬉しいのだが、怖くもある。単なる打ち合いならいいのだが、真剣な戦いとなると……私ではまるで相手にならないから……
あれからずっと鍛錬に励んできた。でもきっと、あの頃よりも差が開いているんだろうな。
――――まあ、まだ決闘と決まったわけじゃないけれど。
またいつもの、くだらない嫌味を言われるだけかもしれない。
それでも一応、愛用の剣を抱えて行くことにした。
校舎裏に剣は置いてないからな。
◇ ◆
「なんの用だ?」
放課後の校舎裏。
呼び出された場所で私を待っていたライアンは、別人のように真剣な表情をしていた。
この学園に同期で入学して4年と2か月。こんな顔をした彼は、剣を構えている時にしか見たことがない。
これはやっぱり、あれか。
決闘か。決闘を求められているのか。
申し訳ないが実力差がありすぎて、相手になる気がしないのだが……。ごくりと喉を鳴らして身構えた私に、彼が小さな声を上げた。
「レティシア、好きだ」
「――――は?」
今なにか、おかしなことを言われたような気がする。
聞き間違えたかな?
「だから、お前のことが好きなんだ。――――何度も言わせないでくれ」
「……はぁ……」
予想外すぎる発言に、私の口から気の抜けた声が漏れた。
――――私のことが好き?
いやいやいや。むしろ嫌っていただろう。こいつには、口説かれた覚えもなければ、優しくされた記憶もない。むしろ真逆の態度を取られていたと思うのだが。
よく見れば彼は手ぶらで、周囲にも剣らしきものを置いている様子はない。とりあえず決闘でないことは分かった。分かったけど……
言われた言葉に理解が追いつかなくて呆けてしまう。一体、何が起きているのだろうか。目の前の彼をじっと無言で見つめていると、精悍な頬はみるまに真っ赤に染まっていった。
……誰だ、これは。
女にしては上背のある私ですら見上げてしまう、高い背丈。騎士科の学生らしく鍛えられた逞しい体つき。シャツのボタンを3つも開けているだらしない姿も、金のピアスを淡く光らせている左耳も、間違いなく彼を示しているけれど。
らしく、なさすぎる。
私の凝視に耐え切れなくなったのか、彼が癖のない赤毛をくしゃくしゃと照れくさそうに掻き上げて、気まずそうに視線を逸らした。
「お前にその気がないのは分かってる。オレのことを、あんまりよく思ってないのも知っている。けれど、もし。もしも、オレのことが嫌いじゃないなら……」
「…………ライアン?」
あまりにも彼らしくない弱気な発言に、眉を寄せて首を傾げた。普段の軽い調子が嘘のように彼の声は重くて、微かに震えていた。
オレのことが嫌いじゃないなら、だって?
この世の女は、みんな自分に気があるとでも思っていたんじゃなかったのか?
おかしい。おかしすぎる。
自意識過剰で、自信家な彼は、一体どこに消えたのか。
「レティシア」
心臓がどくりと脈打つ。
私から逃げるようにうろうろと彷徨っていた金の瞳が、再び真っ直ぐ私に向けられた。あまりにも真摯な眼差しに、うっと喉を詰まらせる。こんなことで動揺する私は、騎士を目指すものとして未熟なのかもしれない。
でも、どうしても叫ばせて欲しい。
「オレと、付き合ってくれ」
…………だから誰なんだよ、これはっ!!!
これはホントにライアンなのか?
よく似た他人じゃないのかっ!?
「……なに馬鹿なことを言ってるんだ、ライアン。冗談が過ぎるぞ」
これはきっと、なにか裏があるに違いない。
そう思ってしまった私はたぶん悪くない…………と思いたい。




