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実践的聖母さま!  作者: 逆波


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手掛かりは果てしなく……


 夢と現実の違いは何だろうか。

 そんなことを真剣に考えてしまう。

 願わくは、この苦労も夢だと思いたい。

 思いたいのだが、現実は厳しい。


「聖母さま、こちらです!」


 私の前を女の子、サーシャが跳ねるように歩き、


「あんまり気が進まんわ。北の森はちょっと怖いんや」

「盗賊がいたらどうするっすか?」


 前後を固めるのは二人の樵、ライハとリハヴァ。

 私とサーシャ、あとはこの二人を除いてあたりに人影はない。見渡す限り鬱蒼とした森が続き、人の気配は微塵もない。

 つい数日前、東京の邸宅にいた頃は不自由ない環境にいて、食事も贅を尽くしたものが用意されていた。なのに、今は藁に敷布のベッド、食事は味気ない麦粥。転落にもほどがあろう。


「サ、サーシャ君、北の森とやらはまだ遠いのかね?」

「ライハさん、どうでしょうか?」

「このまま道なり、太陽が真上に来る前には着けるんやないかな」

「た、太陽が真上、だと?」


 膝を付きそうになる。

 北の森を目指すために早起きどころか夜が明けてすぐに出発した。

 それなのに到着は昼だなんて、半日以上歩いていることになる。


「少しでも早く出発して、早いうちに引き上げる。そうしないと夜までに村へ戻れません。森にも草原にも人を襲う獣もいますから、野宿はできないんです」

「くぅ……」


 これも試練と受け取らねばならないのか。

 元の体、元の世界に戻るためとはいえ、苦労が付きまとう。


「聖母さま、そんな顔をしてはダメです。これでもライハさんが道を作ってくれて、歩きやすいほうなんですよ」

「そうや、これも聖母さまのためなんやで」


 サーシャの声に先頭を歩く、昨日喧嘩の仲裁をしたライハがこちらを向いて後ろ頭を掻く。

 確かに、大柄のこの男は茂る枝葉を払い、大きな足で下草を踏んで歩きやすくしてくれている。


「オイラもいるんっすが……」

「ああ、そうであったな。すまん」

「覚えていただけると嬉しいっす」


 最後尾には細見な男、リハヴァが木に印をつけたり、細長く切った布を巻いたりしている。

 今目指しているのは北の森はサーシャやライハ、リハヴァが住んでいたレヘティ村よりもさらに奥地にあるらしい。


     ◆


『聖母さま、見つけてきました!』


 探す、と宣言してから約半日、サーシャが仕入れてきたのはちょうど隣村から来ていたという話好きのジジイからの証言だった。

 なんでもそのジジイは石工で、北の森の奥で人影を見たという。


『北の森は樵も石工も滅多に立ち入りません。そんな場所に人影、亜人ではないかといっていたのです』


 見間違いではないのか、そんな証言信じてよいのかと問うたのだが、少女は力強く頷くばかりだ。


『人影は声をかけると奥のほうへ消えていったそうです。ここはただでさえ僻地、人目を憚る必要はありません!』


 顔を近づけて力説されてしまった。

 普通なら、こんな話には乗らない。が、私から打てる手立てがない以上、この選択しかなかった。

 しかし、問題はいくつもあった。それが北の森、という場所の曖昧さだ。


『少し不安なのは、私が北の森に行ったことがないのです。大体の場所は分かるのですけれど……』


 サーシャの話に思わず天を仰ぎそうになった。

 どうやら正確な地図がないようだ。

 北の森、という場所を教えてもらったとして、地図か目印がなければたどり着くことは難しい。

 喩えるならば東京から急に地図もなく横浜へ向かえ、と言われるに等しいだろう。

 誰かほかに知っている、北の森へ行ったことがある人間はいないのかと尋ねると、少女は朗らかに笑う。


『そうですね……樵や石工の人たちならあると思います』


 ――――!

 それならば心当たりがある。

 ちょうど昼間に問題も解決して、取引材料もあった。

 頼みに行くと、二人は同行を渋る。

 が、ここで諦めてはいけない。誠心誠意説得を試みる。


『だいぶ遠い場所やなぁ』

『あまり行きたくないっす』

 

 協力してくれなければ、昼間のことで口が滑るかもしれん。

 そう口にすると、二人は慌てた。


『そ、そんな、約束と違うで!?』

『ひどいっす!』


 私は砂金を寄こせと言っているわけではない。

 分け前ではなく北の森までの案内を頼みたい、それだけではないか。

 そう丹念に言い聞かせた。


『本当に、砂金はいらないんやな?』

『約束っすよ?』


 勿論だ、と頷く。

 持って帰れるかどうかも怪しい、重いばかりの金は必要ない。

 ほしいのは魔法、願いを叶え、この理不尽から脱出するための魔法だ。

 こんな苦労の末に北の森までの案内が実現した。


     ◆


「聖母さま、どうかなさったのですか?」

「苦労を身に染みていたのだよ。どうして私がこのような試練を課せられねばならんのかとね」

「試練?」

「こっちこのことだ。それよりも、二人に聞きたいのだが……」


 歩きながら亜人の目撃情報について二人の樵にも聞いてみる。


「近くの森は結構切り開かれていて人も多いんや。せやから妙な人影は見たことないなぁ」

「顔見知りばかりっすからね。見たことない奴だったら噂になるっすよ。それに、危なそうだったら声をかけるっす」

「では、声もかけずに逃げるというのは怪しいわけだな」

「樵は結束が固いんや。奥地で会ったら、助け合う。そのまま逃げる、なんてのはちょっと考えにくい行動やな」

「そうっすねぇ、森の中で助け合うのが森で働く人間の掟っすから、逃げるのは怪しいっす」

「ほう、あんなにいがみ合っていたに、結束が固い、ねぇ……」

「ま、まぁ、その辺はほら、いろいろあるやん?」

「そうっす、例外っす!」


 空々しい話をする二人を小突きながら歩く。

 金に目がくらまなければ、という条件付きではあるが、二人の証言に信憑性はありそうだ。

 期待を胸にひたすら森の奥を目指す。が、膝丈ほどもある下草が足に引っかかった。


「くっ、歩きにくいことこの上ないな」

「注意するんやで。この辺、あんまり人は来てなさそうや。もう半月遅かったらこの小道もなかったと思うわ」

「木は太くて真っ直ぐなんすが、ここまでくると切り出した材を運ぶのも一苦労っすからねぇ」

「ライハさんもリハヴァさんもありがとうございます。私と聖母さまだけだとここまで来るのも難しくて……」

「サーシャちゃんにはいつも手紙を書いてもらっとるからな。それに、聖母さまにも……恩がありますから」

「俺たちも下見できますから、このくらいは……まぁ、お安い御用っす」

「二人とも、妙な間がなかったか?」

「気のせいっすよ!」

「あっ、あれを見るんや!」


 話を逸らすように指さす先には不自然に草が倒れた跡があった。


「ところどころ、人がいた形跡はあるようやな。リハヴァ、どうや?」

「これは……妙っすね」

「お二人とも、どうかしましたか?」

「サーシャちゃんも、聖母さまもこれを見てほしいっす」


 ライハとリハヴァが先行し、やや間を置いてから手招きをされる。


「この倒れた草はこんな大きさなのに真ん中から枯れてるっす。これは人間が踏んだものと思って間違いないっす」

「どうしてですか?」

「この辺りの動物は大きくても狼か鹿くらいっす。奴らの足はこんなもんっすよ」


 リハヴァは手で足跡の大きさを解説する。

 枯れている葉は人の腕ほどもある。

 狼や鹿は体長、体高こそ大きくなるが、それを支える足先は可愛いものらしい。

 草を踏んだとて半分を押しつぶすことはできないという。


「リハヴァの言う通り、動物は前後に足を動かすもんやから、こんな踏み固め方をするのは人間、それも複数やな」

「間違いないっす!」


 真剣な表情で説明してくれる。

 やはり専門職というのは心強い。


「ふむ、個人的な疑問なのだが、二人が気になったのに他の人間はこのことに気付かないものかね?」

「まぁ、猟師をしていたこともあるからなぁ」

「俺もっす。樵でも相当森に慣れてないと見落とすと思うっす」

「ふぅむ、なるほどな」


 これはよい兆候みるべきだろうか。

 引き返す時間も考えると探せる場所は限定されるなかで人の痕跡を見つけた。

 問題はこの後、範囲を広げるか、このような痕跡を探すのか、迷うところだ。

 どうしたものかと考えていると、樵の二人がなにやらこちらを見てにやにやしている。


「聖母様ってやっぱり可愛いな……!」

「そうっすね! 後ろ姿なんて最高っす!」

「っ!」


 基本的には真面目なのだろうが、二人の視線に悪寒が走る。

 私は嫌いではないのだが、どうにもこの体が拒否しているように思えてならない。

 まぁ、しかしだ。この私が、齢七〇を超えて男二人にどうにかされるというのは怪談を通り越している。

 身の危険、心の危機を回避すべく脇の茂みに入る。


「あんまり離れると危ないで」

「聖母さま、あまり遠くに行かないでくださいっす」

「あ、ああ」


 逃げるように歩いたところで何かが顔に当たった。 


「ん?」


 同時に足音がする。

 目の前には何もない、それなのに不自然に揺らめいて、水の波紋のように広がる。


「な、なんだ、これは…………まさか!?」


 揺らめく景色に手を伸ばす。

 これはもしかしたら“扉”、私がいた世界とこの世界をつなぐものかもしれない。


「そうだ、きっとそうに違いない!」


 姿はともかく、元の世界へ戻れる。

 そう思い、手を伸ばした。


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