にゃん
「ありますよ、魔法!」
サーシャの言葉に心臓が高鳴る。
魔法がある!?
魔法といえば、黒衣の老婆。彼女が木でできた杖をひと振りすると、摩訶不思議なことが起こる。
カボチャが馬車に変わったり、ネズミが馬に、みすぼらしい服がドレスに変わったりという理不尽を具現化させるものだ。
そんなものがあるというのならば、この私が女性の姿になり、全く知らない場所にいることにも一定の説明ができる。
「い、いや、まて。まだ確定的ではないぞ!」
「?」
サーシャが不思議そうに首を傾げるが、それどころではない。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
ここで早とちりをして、魔法が手品の類である可能性も否めない。高揚感も希望も、一気に砕かれることになる。
しかし、しかしだ。
結果には必ず原因がある。
私がこうなってしまった原因が、必ずある。それが魔法という理由であれば納得ができるだろう。そして、魔法を使えば現状を打破できるかもしれないのだ。
ゆえに、落ち着き、改めて問わねばなるまい。
「……サーシャ君」
「はい、聖母さま」
「これから君に大事なことを問う。茶化したり誤魔化したりせずに聞いてほしい」
「勿論です聖母さま!」
前のめりに顔を近づけてくる。
外見こそ芋っぽいのだが、この子は眼がいい。
だが、真っ直ぐで不純物を含まない眼に見とれているばかりでは話が進まない。
咳払いをしてから話を切り出す。
「ま、魔法というのは、どういったものを魔法というのかね? 誰でも使えたりするのか、それとも普通の人は使えないものなのか……君が知っていることを教えてほしい」
「えっと、私も詳しくは知りませんが、使える人は限りなく少ないと聞いたことがあります。魔法は亜人族のものですから、大災厄で彼らが去ってからは消えつつあるのではないでしょうか」
すでに情報量が多い。
亜人族に大災厄、私の理解が正しいのならば元の世界にはないものだ。
落ち着いて話を進めよう。
「すまないが、一つずつ、丁寧に進めよう。先ずは亜人族について教えてほしい」
わかりました、とサーシャは頷く。
物わかりのいい子で助かる。
「亜人族は人の姿に近い種族です。伝承では長耳族、竜人族、小人族などがいたとされています」
「人に近い、とは姿かたちが近い、という認識でいいのかね?」
「わかりません、言い伝えで聞いているだけですから」
「それは仕方ないか。よし、次だ。大災厄とやらは何なのかね?」
「えっと、神父様から聞いたのは、人と亜人が分かれる切っ掛けになった出来事だとおっしゃっていました。あとは、たくさんの人が亡くなって、国も不安定になり、揺れ動いた時代だったようです」
「それまでは、人と亜人は交流があったということか……。別れた、というのは滅んだことではないのか?」
「いいえ、別れたと聞いています。今で奥地や辺境で亜人族を見たという噂もありますから、人間と交流を持たなくなったのではないでしょうか」
「……わからなければそれでいいのだが、大災厄はどれくらい前の出来事なのかね?」
「ごめんなさい。でも、村長さんのおじい様が子供のころには亜人族はいなかったといっていました」
「そうか、ありがとう」
申し訳なさそうなサーシャを労いつつ、考えを巡らせる。
村長は、見たところ五〇代だった。彼の祖父が小さい頃にはもういなかったのならば、少なくとも一〇〇年は経過している。
つまり、大災厄は相当昔に人間と袂を分かったということになる。
時間が経過すれば技術が失われていくのは必定といえるだろう。
もう一つ気になるのは、この少女はかなり昔のことを知っているということだ。
「君がそうした伝承や亜人、昔のことに詳しいのは理由があるのかね?」
「この教会は女神イルタをお祭りするものです。夜の女神、万物の聖母イルタさまは元々亜人に信仰されていた、という言い伝えがあります。ですから、大災厄のことも亜人族のことも伝わっています」
「なるほど、道理だな……」
仮に、この体がサーシャの言う通り女神イルタのものであったとしよう。
女神イルタが亜人族にも信仰されていたのならば長耳族の言葉が分かるのは頷ける。
「最後だ。魔法とやらの効果はどんなものだね?」
「わかりません!」
「わ、わからない?」
「はい、私は魔法を見たことがありません。ですから、どういうものかお伝え出来ません」
「まったくかね?」
「はい」
「くぅ……」
痛恨の極み!
なんということだ。せっかく見えた希望の光が零れ落ちようとしている。
魔法はある、亜人もいる。が、それはもはや伝承の中。唯一縋れるのは亜人が去った、というだけで滅んではいないということ。
「魔法は亜人を探さざるを得んな。去った、というのは身を隠したということかね?」
「そうだと思います。交流はなくなりましたが見た、という噂があるみたいです」
「噂?」
「はい、村長さんや行商で来る人たちから聞きました」
「それだ!」
手掛かりはある。
何とかして亜人に、魔法にたどり着かなければならない。
しかし、相手は噂だ。
この世界にコネも伝手も何もない状況で果たしてさがせるのだろうか。いや、探さねばならんのだが、不安が募る。
「うむむむ……」
悩んでいるとサーシャが私の手を取り、続いて顔を覗き込む。
「聖母さまは亜人をお探しなのですね?」
「……そうだな、そうなる」
探しているのは亜人ではなく魔法なのだが、細かい部分まで訂正する必要はない。
「私に任せてください!」
「! 心当たりがあるのかね?」
身を乗り出す。
すると、サーシャはどうしてかもじもじし始めた。
「聖母さま、サーシャからお願いがあります」
「お、お願い?」
「私、昨晩夢を見たんです!」
「夢……それがどうかしたのかね?」
このタイミングでお願いと夢とは、支離滅裂にもほどがある。
真意を確かめるべく頷いて見せ、話を進めさせる。
「昨晩、私の夢に出てきた聖母さまは神聖なお姿をしていらっしゃいました。あれは王都の教会でみた聖典を再現した絵の一つでした」
「神聖な……姿? 絵?」
「はい! とても可愛らしいものでした。ですから、聖母さまに再現していただきたいのです!」
目が爛々と輝いている。
この子、ちょっと怖い。
「再現すると、どうなるのかね?」
「私はただ、聖母さまの素敵なお姿が見たいのです!」
「……」
「……」
じっ、と見つめられる。
これは、アレだ。取引のつもりなのだろう。
昨晩見た夢だか絵だかの再現をすれば、探すことを手伝う。あるいはもう情報を持っていて、私を試しているのかもしれない。
「ふむ」
ここで無碍にしては今後に支障をきたすかもしれない。
一刻も早く戻るためには彼女の協力が不可欠といえよう。
ここは願いを聞き届け、早々に協力を取り付けるが吉だ。
「あー、分かった。君の願いに応じよう。それで、その姿とはどんなものなのだい?」
「本当ですか! 嬉しいです!」
「うんうん、分かったから早くしてしまおう。手本を見せてくれ」
「はい、ただいま!」
元気よく頷いたサーシャは一歩下がると、手を軽く握り顔のあたりまで持ちあげる。
そして、片眼を閉じ、
「にゃん」
目が点になるとはこのことだ。
「さぁ、聖母さま、お願いします!」
「いやいやいやいや、先ほど君は神聖な姿といったが、どう間違えばあれが神聖になるのかね!?」
「猫の似姿です! 聖典にも聖母イルタは時折猫となり、夜を森を歩くと伝えられます! ですから神聖です!」
「君の夢というのは本当かね? ここが秋葉原の体感型遊戯施設といわれたら私も納得しそうだよ」
「アキハバラ? タイケン……なんですか?」
こんなところはボケてみせるのだから始末が悪い。
本当に日本ではないのか?
「聖母さま!」
「やらんよ。バカバカしい。何がにゃんだ。付き合っていられるか」
「そ、そんな……」
「まったく、大人をバカにするのも大概にした……はっ!」
そこで、気付いてしまった。
サーシャの眦に涙がたまっていて、今にも溢れそうだ。
怒りに身を任せてみたが、これはマズイ。
貴重な、唯一とも言っていい協力者をここで失ってもいいのか。
「お願い、聞いてくれるって、いいました……」
くっ、なんという不覚。
このままでは私の総理大臣という椅子が遠ざかるだけだ。
早く、早く戻らなければならない今、地獄に下ろされた蜘蛛の糸のような可能性を自ら手放すは自殺行為に等しい。
「お、落ち着くんだ」
仕方ない。
これは仕方がないことだ。
そう心に言い聞かせん、サーシャに向き直る。
「す、すまなかったね。だが私にも立場がある。そんな簡単に、恥ずかしいことなど……」
「……いいました」
逃げ道がない。
当選回数八回、国会議員在籍三〇年、政界の風雲児とまで呼ばれた私がまさか、このような……。
周りを見る。
これが政敵の策だとしたら天晴だ。
「にゃ、にゃん」
沈黙が支配する。
「サ、サーシャ君、せめてコメントを……」
「素敵です聖母さま!」
「ぐふっ!?」
抱き着かれ、頬ずりまでされた。
もはや、色々なことがどうでもよくなりそうだ。
「こ、これでいいだろう。さぁ、君の心当たりを聞かせてくれ」
「ないです!」
「えっ?」
「ですから、心当たりはありません!」
ないんかい!
耳を疑ってしまう。
こんなに引っ張って、あんなことまでさせたのにないというのかこの子は!
「さ、さーしゃ君!? き、君という子は……」
「でも、心配しないでください! 私、探してきます!」
「さ、探す? これから探すのかい?」
「はい! 聖母さまのためなら探します!」
にっこりと笑うサーシャに腰が砕けた。
目の前が真っ暗になる。
「任せてください!」
夜の女神とやらを呪いたい。




