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実践的聖母さま!  作者: 逆波


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依然として現在地は分からず


「ふぅ……」

 

 どっかりと藁のベッドに体を預ける。

 ようやく一息つけた。

 それもそのはず、先ほどまでライハとリハヴァ、斧まで持ち出して諍いを起こしていたあの樵の二人きていたからだ。

 これまでの金の分配、これからの分け方まで懇切丁寧に諭した。

 仲介の手間賃として私自身の取り分を確保してもよかったが、そこはなしにした。

 金よりも貸しで動かしたほうが人は従ってくれる。

 何かあったときに責任も押し付けやすい。


 こんな事態、状態でもなんだかんだと問題を解決してしまうのは我が身のなせる業といえよう。

 図らずも確認することになったのは、私は私であったことだ。

 外見が違っていても、性別が変わっていようとも根本は同じ、心内にあった憂いは少なくなってくれた。


「しかし、知識や経験は裏切らんな」


 変わってしまった体、細く白魚のような指を見つめながらもそう思う。

 意味不明な状況下ながらも、それを再認識できただけ僥倖であった。


「聖母さま、お待たせいたしました」


 私をサバ折にした少女、サーシャが小盆に木製のカップを載せてやってくる。

 恭しく差し出されたものを受け取るのはやぶさかではない。


「ありがとう、いただくよ」


 中身は普通の水だが、一仕事終えた後と考えると殊更に美味い。

 ようやく人心地つけたのだから、今のうちに懸念事項の確認をしておきたい。

 サーシャに向き直り、咳払いをする。


「あー、いくつか質問をしたいのだが、いいかね?」

「は、はい! 何でも聞いてください!」


 垢抜けないが可愛らしい顔で微笑んでくれる。

 素直なところは大変よろしい。


「私はここへ来るまでの、端的に言えば君と出会うまでの記憶がない。そこで尋ねたいのだが、ここはなんという国の、どこにある村かね?」

「記憶がないのですか?」

「その通りだ。君と出会うまでのことは抜け落ちている。だからできるだけわかりやすく頼むよ」


 当たり障りのない、不信感を与えないように諭すとサーシャは頷き、話し始める。


「ここはスオミネイト王国の北にあるレヘティ村です」


 聞いたことがない国と村だ。

 私の生きた世界には国連に加盟しているだけでも二三〇余りの国があった。

 その中でもスオミネイトは初耳だ。


「王国、というからには王様がいるのだろうね。名前を教えてもらえるかい?」

「ユーハン・ラウタヴァーラさまです。奥様はアンリネさま、ご子息はアルトゥーリさまです」


 サーシャの口元を見ていると、私には日本語をしゃべっているように聞こえても、発音は違うのではないかと思われる。

 そう聞こえるのはこの体が言語を知っているからではなかろうか。

 興味深いが、今は深く考えたくない。

 重要なのは帰る手段であって、言葉ではないからだ。


「日本、ジャパン、ハポン、ヤパニスタという国、あるいは地名を知っているかね?」

「…………いいえ、どれも聞いたことがありません」

「アメリカという国か、地名は?」

「……それも、ありません。ごめんなさい、聖母さま」

「いや、いいんだ。単なる確認だからね」


 申し訳なさそうなサーシャを宥めながら顎をさする。

 予想はしていたが、これは困ったことになった。

 あることの証明よりもないことの証明はかなり難しい。

 サーシャは見たところ一〇代半ば。西暦二〇〇〇年代生まれで、日本はまだしもアメリカを知らない人がいるだろうか。いるといわれたらそれまでだが、知らない人間のほうが圧倒的に少ないはずだ。

 考えるほどに分からなくなる。


「続いてだが……」


 文明や文化的なもの、テレビやインターネット携帯電話など、いくつかの質問を重ねるが、やはり要領を得ない。

 それ以上に、この子はこの小さな村をほとんど出たことがないらしかった。

 これはほぼ決まりといっていい。

 決定的なのことは二つ。

 一つ目は、この体は自分のものではないということ。

 二つ目は、ここが平成の世ではないこと。

 前者は、自己認識にある体と決定的に違う。

 寸詰まりの体に華奢な手足、アザも古傷もない。サーシャの言葉も理解しているのであればなおさらだ。

 もう一つ、後者はインフラが未整備であることと、金属製品がほとんど見当たらないこと。

 日本は人がいるところならば基本的なインフラが整備されている。

 電気、水道、車が通れる道路は必ずといっていい。しかし、ここには電柱や舗装された道路がない。

 今時は山小屋にだって電気がある。なのに、教会の天井を見上げても蛍光灯どころか電球もない。これは、もはや時代が違う。

 目にした金属も樵の二人が持っていた斧の刃くらい。

 携帯電話も、時計も、小物類ですらない。あるとすれば実用的な刃物くらいではなかろうか。

 以上を踏まえると、ここが私の知らない場所、いや世界である可能性が高い。

 まぁ、倒れた後、敵対する連中に拉致され、脳の移植を受けた後に東欧の田舎に捨て置かれたのならわからなくはないが、かなり無駄だ。

 例外としては、元の体は眠っていて、これがすべて夢である可能性もなくはないが、そんなこともあるまい。


「感覚はあるからな……」


 水は美味いし、頬を抓れば痛みもある。こんな状況で、夢だと信じて崖から飛び降りるような度胸はなかった。


「聖母さま、大丈夫ですか?」


 サーシャが心配そうにのぞき混んでくる。

 大丈夫、ではない。

 胸が押しつぶされるような、寂しさと悔しさがある。

 夢が実現する直前だったのだ。あと一歩で総理の椅子に手が届くところまで来ていた。

 なのに、この仕打ちは理不尽すぎる!

 私が何をしたというのだ。確かに敵対勢力へマスコミを使ってのスキャンダルのばら撒き、買収、ハニートラップ、派閥の切り崩し工作、そんな世間一般からすれば汚職の類もあったかもしれない。

 しかし、それは永田町の中では普通だった。政権を取り、平和で恒久的な繁栄のためには必要なものだった。それなのに、こんな仕打ちはあんまりだ!

 どうにかならないのか、何とかできないのか?

 だが、今のままでは世界を渡る方法など思いつくはずもない。


「ここまできて……どうにかできないのか? なんとかならんのか?」


 頭を抱える。が、どうにかなるわけではない。

 なるわけではないが、頭を抱えるしかなかった。


「聖母さま、どこか痛いのですか?」


 サーシャが私の頭をさする。

 普段ならば払い除けるのだが、今はそんな元気もない。

 七〇年余りを生きて私の頭をさすったのは母親くらいなものだ。


「タッサ オン キペア パイッカ」


 サーシャが聞きなれない、呪文のような言葉を口にする。


「サイシンコ ラーケッタ」

「!?」


 全く知らない言葉であるはずなのに、意味が後から押し寄せてくる。

 最初は「頭が痛い」、次は「薬をください」だ。

 この言葉も体が知っている、ということなのだろうか。

 どうでもいいことであるはずなのに、喪失感から口にしてしまう。


「サ、サーシャ君……」

「は、はい?」

「このおまじないの意味を君は知っているのかね?」

「えっと、意味は分かりません。神父様は長耳族が使うお呪いだといっていました」

「長耳族? お呪い?」


 首をかしげる私に、サーシャもきょとんとする。

 一拍置いて頷き、


「聖母さまは記憶がないのでしたね。長耳族は大厄災の前にこの辺りに暮らしていた亜人族だそうです。人間に似ていて、でも耳が長くて、長命で、皆が魔法を使えて、薬を作ることに長けていたと聞きました」

「大厄災? 亜人族? それに魔法だと!?」


 知らない単語が出てくる。

 聞き捨てならないのは魔法の二文字。

 魔法とは、おとぎ話に出てくるような、あの魔法なのだろう。


「聖母さまは大厄災のことも覚えていらっしゃらないのですか?」

「……すまない……状況を整理させてほしい」

「?」


 落ち着け。

 魔法があるのなら、この一連の不可解な出来事ことにも説明がつくかもしれない。

 深呼吸をして、サーシャに向き直る。


「最初に聞きたいのだが、この世界に魔法があるのかね?」

「ありますよ」

「! 本当に?」

「はい、魔法はあるんです」


 朗らかに答える。

 希望の光が見えた瞬間だった。


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