逆転の余地はある
『もうよい。お前たち、さがれ』
後ろのテントから聞こえる低くも、通る声に竜騎兵たちがその身を強張らせた。
感情が先行して存在を忘れていたのだろう。声によって現実に引き戻され、錆びた機械のような動作で振り返る。
『鍛えなおし、少しはまともになったと思った我が愚かであった』
「バ、バーラウール様……」
『聞こえなかったのか? 我はさがれといったのだ』
巨体が現れる。
遠巻きに見ても大きいとは思ったが、そんな生易しいものではない。
『我の言葉が分からぬのなら、今ここで処分してもよいのだぞ』
三度の宣言で竜騎兵たちは青い顔をしてさがる。
腐っても王の直轄、凄腕であることは疑いようのない竜騎兵たちがたった一人の言葉に怯えて身を小さくしていた。
その巨漢が、私の前までやってくる。
私でも威圧感に苦笑いが浮かぶ。
優に二メートルは超えるであろう背丈、巨木のように分厚い体、脚、背中には巨大な戦斧が松明の灯りを反射していた。
『ゼラスス、といったな』
「好きに呼べばいい。名前など、私を縛るものではない」
『……!』
眼光が鋭くなる。
驚いたのか、はたまた訝しんだのか、表情が見えないというのは面倒だ。
『ゼラスス、いや、聖母よ。私の質問にも答えてもらおう』
「質問にもよるかな、ただしスリーサイズと初体験の年齢は秘密だがね」
人差し指を振り、片目を閉じる。
さて、こいつがどう出るか、それはそれで見ものだ。
『貴様のいう避難民の言い分は分かった。が、分からないのはお前自身の真意だ。村の連中に聞いて回っても不可解でならない』
「ふっ、青いな。相手の冗談にも付き合えんとは頭の固さが出てしまっている。組織の長であるというのならば余裕を見せねばならん。恐怖政治では人心が離れる一方だ」
『私のことはいい。知りたいのはお前の魂胆だ。何が欲しい、何を目的としている?』
避難民たちのことを追求せずに、私に興味を向けてくる意図が分からない。
それとも、私を首魁であると断定して頭をつぶそうというのだろうか。
「聞いてどうするのかね?」
『我は確かめに来た。そのための問いである』
「主語が曖昧で伝わらないよ。応える義理はないんだが、サービスだ。部下の矛を収めてくれた。そうでなければ大きな犠牲がでただろう」
『犠牲を憂うのか?』
「当然だ。人は弱いものだよ。一人では成すことはできない。目的を大きくするのならば相応の協力が必要だ。君の問いにも答えよう。私にも目的はあるが……何も欲してなどいない。強いて言えば、そうだね、これからの世界を憂いているのさ」
思わず出そうになった本音を引っ込めた。どうせ話しても通じないし、理解もされない。
私自身もまだまだ青い、肩を竦めて反省していると颶風が頬を撫でた。気付けば首の真横に戦斧があった。
少しでも動かせば、この首は落ちるだろう。
だが、舐めてもらっては困る。
こちらを探るような目に笑ってやった。
「私に脅しは通用しない」
『そのようだ』
大きいやつも笑っているようだった。
「こらー! 聖母さまになにをするんですか!?」
状況に耐えかねたサーシャが草むらから飛び出し、私と巨体の間に割り込む。
どうでもいいが、この子に怖いものはないのだろうか。
「聖母さまが話し合いを望まれているのに、手を出すなんて野蛮です! 最低です! 悪魔ヴァリスケット以下です! やっぱり竜騎兵は理性のない動物と一緒です!」
喚き、騒いで巨体の腕にしがみつくものの、ビクともしない。
どうでもいいがこの子は自分の危険を考えたりはしないのだろうか。
「ワシらかてやるで!」「俺が相手っす!」「不敬もの!」「離れろ!」「俺たちが相手だ!」「黙ってやられるものかよ!」「俺たちだって!」「竜騎兵がなんだ!」
すると、後ろの茂みから長耳族や避難民が飛び出し、我も我もと続く。
手には棍棒、先を尖らせただけの木槍、斧など粗末なものばかり。どれもこの巨体と、分厚い鎧を貫けそうにない。出てきてもやられるだけだというのに、まったく、愚かしくも愛らしい連中、それ故に失えない。
『騒ぐな、長耳!』
どう収めたものかと考えあぐねていると巨体が吠え、兜と面頬が落ちて顔がさらされた。大きく開いた口から光が発せられ、地面に一文字を引いて炎が上がる。
「!」
全員が動きを止めた。驚きを通り越して理解が追いつかないのだろう。
私でさえお手上げの状況だ。
まぁ、魔法がある世の中なのだから口から光を放ってもおかしくはない……おかしいか。その証拠に長耳族はおろか避難民や竜騎兵たちまで驚き、怯えている。
そんな光を放つ輩の顔を拝んでやろうと顔を上げると、そこには女の顔があった。
「ほう……」
現れたのは波打つような癖のある金色の長い髪に整った顔立ち、鼻筋の通った気が強そうで頑丈そうな美人がそこにいる。
『驚かないのか?』
「十分に驚いているよ。長生きはしてみるものだとも思っている」
大柄な美人というのも悪くないと思っていると、サーシャの目を大きく見開いていた。
「! 耳が……!」
「耳?」
美人の横顔に人の耳はない。褐色の鱗に覆われた長く尖ったものがある。
同時に尻の部分からは大きく太い、これまた褐色で黒い鱗に覆われた尻尾がデロリ、と垂れ下がった。
「りゅ、竜人族!?」
棍棒を持ったまま固まっていたウォルナットのつぶやきと同時に、竜騎兵の長、いや竜人族は夜空に向かって再び光を放つ。
『我が名はバーラウール! 王国の守護者にしてアルトゥーリ様の騎士なり!』
「お、おお!」
名乗りを上げる姿に興奮してしまう。
これだ!
私が待っていたのはこういうのだ!
口から光を放ち、耳と尻尾がある!
彼女ならばきっと魔法を使えて、私を元の世界に戻してくれるに違いない!
「ふっふっふ、ようやく運が巡ってきたぞ」
どうやって交渉したものか。
いや、そもそも交渉できるのか?
頭の中で考えがぐるぐる回る。そうこうしていると美人の顔がこちらを向いた。凄まじい殺気と威圧感に身震いがした。
「聖母さまへの狼藉は私が許しません!」
サーシャが私を庇おうとしても、バーラウールは意に介そうともしない。
戦斧の刃先が向きを変え、間近に迫っても体は動いてくれなかった。
竜人族のとった意外な行動に目を見張る。
『聖母殿、我が主オリヴェール様の命によりお迎えにあがった』
突然バーラウールが膝を付き、首を垂れる。
意外な光景に言葉が出ない。
「……どういうことですか?」
代わって口を開いたのはサーシャ。
問いにバーラウールは私の目を見てから口を開く。
『朋友より神託が下された。北の地に空の星が舞い降りる。蒼き衣をまとい、異なる民を従え、世界を救うであろう、と。私は国王オリヴェール様の命により星を探すべく使わされた』
「空の星? 異なる民を従える……」
バーラウールの言葉にサーシャとヤヤンが身を震わせる。
「空の星が舞い降りるとき、夜は震え、風がざわめく。空の星は蒼き衣をまとい、異なる者たちを従え世界を治めるであろう」
「聖典第四節一〇章にある一説です!」
二人が何やら頷いている。
この辺は私にはわからないが、勝手に祭り上げられても困る。
「でも、王都はパイヴァ教一色のはずです! 王様の従者がイルタ教のことをしっているのですか!?」
『ほう、小娘が聖典のことを知っているのか?』
「あ、当たり前です! 私は夜の女神にして万物の聖母イルタ様に使えるものです! そして、そのイルタさまがこのお方なのです! 神殿跡で私が見つけた、世界に光をもたらす、本物の聖母さまなのです!」
私に抱き着きながら力説されても困る。
が、バーラウールは大地を震わせるように笑った。
『神殿跡とは……我らが野営地にしている古代神殿跡のことか?』
「そ、そうです! このお方はそこで眠っておられたのです!」
『ふっ、私はパイヴァもイルタも信じぬ。ただ、我が朋友の言葉と、主の命に従うのみ。本当のイルタ、聖母でなくとも相応に秀でるものならば構わないと思ったのだが、当たりなのかもしれん』
「このお方は聖母さまです! 間違いありません!」
妙な張り合いを始めるが、引っかかることがある。
確か、竜騎兵は罪人を追ってきたのではないのか。
「ちょっと待ってくれ。では、避難民討伐はどういうことなのだ?」
『避難民討伐は口実にすぎん。腐りきった貴族どもが我が身可愛さにでっち上げたものであることは明白だ。しかし、そうでもなければ私が動けない』
シレっと答える。
が、バーラウールの目にすら苦悩があった。
竜騎兵を従え、光を放ち、圧倒的な力を持っても抗し得ないものがあるのだろうか。
「なるほど、合点がいった。ならば招きに応じよう。その代わり……」
差し出された、重たい鎧の上に手を置く。
『心得ている』
竜人族の唇が私の手に触れたところで契約と相成った。
一礼して立ち上がると、バーラウールは自らの配下へ向け「引き揚げるぞ」と命令を飛ばす。
私は私で見守る避難民や長耳族たちへ手を振り「終わったよ」と宣言をした。
「聖母さま、すごいことになりました」
「そうだね。まぁ、でもこんなものだよ」
信じられない、といった顔のサーシャを撫でる。
「本当に、本当に聖母さまでした!」
「君は私を何だと思っているのかね?」
「聖母さまです!」
奇妙なやり取りを繰り返しながら皆の元へと戻る。
かくして一連の騒動は終息へと向かうこととなった。




