ムラムラ、いやムズムズする
「あの子、可愛いな」
「美しい……」
「どこの子だ?」
「見たことない顔だ」
サーシャと名乗る少女に引っ張られて小道を歩けばそんな声が聞こえ、視線が集まる。
日が傾いているのに後ろからの、熱視線に身震いがした。
とっさに尻を押さえたのが、はたして私の意思だったのか定かではない。
「むぅ……」
視線そのものは悪くない。しかし、可愛いといわれるのは抵抗があった。
それもそのはず、鏡がないので確かめようがない。仕方なく顔を触る。
肌はつるつるしていて皮膚のたるみやヒゲの感触はない。
髪は……気が付かなかったが、相当長い。
耳のあたりで髪を掴み、毛先まで指を滑らせれば胸元までの長さがあった。
「やはり女の体だ……」
こうなると気になるのは顔だ。
自分が女になってどんな顔をしているのかが引っかかる。
歩くさなかに鏡や、その代わりとなるガラスを探したのだが、妙なことに気付いた。
「ガラスがない……だと?」
玄関と思しき所には引き戸が見えるだけ、窓は古い木造建築に使われた蔀に似ている。
四角く切り取られた窓枠に持ち上げられるフタがついていて、時代劇で見るような極めて簡素なものだ。
それどころか、見渡せばおかしな、いや現代日本ではありえないものが数多くあった。
舗装された道はなく、少女や私が歩いているのは大小の石が敷き詰められている、いわゆる砂利道。
これは雨が降った時、道がぬかるんで使えなくなることを防ぐためのもので、日本でも農道に使われるのだが、人家が密集するところには作らず、利便性の都合上ほぼすべてが舗装されている。
さらに見渡せば標識もない。
どんな田舎でも十字路や丁字路には止まれの標識があり、車の出入りや安全のためにカーブミラーが設置される。
農道でも境界線を示す杭やコンクリの目印はあるのだが、それもない。
「さぁ、聖母様もうすぐですよ!」
「う、うむぅ……」
今時、このような場所があるのだろうか。
日本中どこの山村でも人間がいるのなら真っ先にインフラを整えはずだ。
なのに、街路灯も電柱もなく、疎らに見える家々は簡素な木造ばかり。
稀に石造りもあるが、積まれた石は整えてあるわけでもなく、近代的とは言い難い。
まるで、映画のセットに迷い込んでしまったかのようだ。
「聖母さま、こちらです!」
そうこうしている間に着いてしまう。
連れてこられたのは屋外の集会所と思しき場所。
大きな木を中心にある程度の人数が収まるスペースがあって、座るための丸太が並んでいる。
その中心で、先ほど会った村長を間に、二人の男が顔を背けあっていた。
一人は大柄で筋骨隆々、もう一人は小柄で細身。
恰好からすればどちらも樵……だろうか。
二人の手には大きな片刃の斧に、厚手の長い上下を着ている。
「どうしてそんなにいがみ合うんだ? ついこの間まで仲が良かったじゃないか」
「……」
「……」
「それに、今日は斧まで持ち出して。そんなものでどうしようというんだ。これ以上諍いを続けるのなら、二人とも村から出てもらうよ!」
互いを見ようともしない二人に村長は埒が明かないと思ったのか、強い言葉を投げる。
すると、ようやく細い方が口を開いた。
「オラは悪くねっす。ライハが後から土地に勝手に入ってきたっす。悪いのはライハっす!」
しかし、大きい方も黙っていない。
「リハヴァは土地を自分の場所だと言い張っとるが、どこにも線引きはねぇんや。ただ、先に来たからといって独り占めしていい理由にはならん!」
「広いんだから別のところでやればいいっす!」
「あそこには質のいい木がたくさんあるんや。独り占めは卑怯やで!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いてくれ」
村長の制止も聞かず、目を合わせた二人は一触即発。
周りに人がいなければ斧を振り回し始めるだろう。
「さぁ、聖母様、参りましょう!」
「はっ!?」
背中を押され、衆人環視へと引っ張り出されてしまう。
早く帰らなければならないのに、もめ事の仲裁など御免だ。
「お二人とも、もう大丈夫です! 皆さん、この方が以前からお話していた夜の空より来たりし女神、万物の聖母であるイルタさまです。もう心配いりません、イルタさまが悩みも不安も解決してくださいます!」
公衆の面前で宣言をしてしまう。
争っていた男二人と村長だけではなく、野次馬として囲っていた面々までこちらを見ていた。
鬱陶しいが、問題はそこではない。
目の前の少女は両手を胸の前で組み、真摯な眼差しで私を見ていた。
決して茶化すようなものではない。
「聖母さま、二人が争わなくてすむようにお力をお貸しください」
「……私がか?」
「はい!」
女神?
万物の母?
聖母という呼び方ですら釈然としないというのに、大衆に向かって何を言っとるんだこの子は!?
「ちょっと待ってくれ! 私は女神でも万物の母とやらでも……うぉ!?」
「う、美しい!」「綺麗だ」「可愛い!」「本当に女神様みたい」「夜の女神ってやつか?」「聖母ってあの古い言い伝えの?」「伝説だろ?」「最近じゃあ辺境でも信仰してないっていうぜ」「聖母?」「あの小さい子がか?」「あの子、可愛い!」
少女だけではなく、集まっている人々から凄まじいまでの視線が集まっているのがわかる。
決して好意的なものばかりではないのだが、それもまた悪くないものだ。
「みなさん、イルタさまの瞳は真実を見通すのです! ライハさんやリハヴァさん、二人のわだかまりを取り払ってくれるでしょう!」
「本当なの?」「聖母様ってどういうこと?」「イルタって昔あった女神の名前だろ」「どことなく神秘的な顔立ちはしているが……」
少女がさらに煽り、最初は懐疑的だった集団も声を上げる。
これが悪かった。
「おぉ……これは」
どうしよう、ムラムラ……いやムズムズする。
昨今はやれ汚職だの政治不信だのと騒がれ、街頭に立っても歓声などほとんど聞こえない。
様々とはいえ、私に注がれる熱視線に心が騒いでしまった。
高揚感にくすぐられ、後ろ頭をかく。
「参ったな」
ため息が出る。
悪い癖だ。
別に、ここで彼女の宣言を断ってもいい。
聖母も女神も知らない、と押し通すこともできるだろう。
こんな妙な場所で、自分のものともわからない体で放りだされたのだから、協力して様子を見てもいいのかもしれない。
それが妥当、いや順当。
しかし、この感覚だけが私の心を震わせる。
「まぁ……仕方なかろう。君の望みを聞き届けよう」
ここまでの注目をされて、なにもしないでは政治家の矜持が廃る。
政治家の職務とは、物事を円滑にするものだ。
問題があれば話し合い、必要に応じて様々な手段を講じて解決に導く。
もめ事など単純にして最たるものだろう。
口角が上がることを自覚する。
少女の肩を叩き、村長には引き受けるというジェスチャーをして、争う二人に割って入る。
「二人とも、ちょっといいかな」




