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実践的聖母さま!  作者: 逆波


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小説よりも奇なり


「うっ!?」


 全身が脈打つような感覚が襲ってくる。


「聖母さま!? どうなさったのですか?」


 隣にいたサーシャが支えてくれる。

 すると、脈打つような感覚はあっけなく消え去る。


「聖母さま大丈夫……・」

「あ、ああ、心配いらない。ちょっと妙な感覚が……どうかしたかね?」


 サーシャが大きい眼をさらに大きくして、私を見ている。

 彼女の視線を追って体を見ると、ぼんやりと光っているのがわかった。


「ど、どうなっとえるんだ?」


 手はぼんやりと、衣服も内側から分かるくらいに光っている。触ったり、撫でたりしてみるが、特に変わったところは――――。


「っうう!?」


 再び全身が脈打ち、


「うぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「せ、聖母さま!?」


 体が大きくなっていく。

 冗談や誇張ではない、時間を早送りするかのように手が大きくなり、衣服を突き破って足が伸びる。心臓は狂ったように脈打って、体中が熱い。


「ぁぁぁぁぁぁ!」


 急激な変化に叫ぶしかできない。

 気が付けば、小さくなったサーシャが私を見つめていた。

 広くなった視界には叫び声を聞いて出てきたのか、村長や男女の姿もある。彼らの目も、大きく見開かれていた。


「せいぼ……さま?」


 サーシャの呼びかけに自分の手を、体を見る。

 スラリと伸びた手足に膨らんだ胸、肩口では長い髪が揺れている。

 顔を触れば、幼く丸かったはずの輪郭が端正になっていることが分かった。


「こ、これが、私か?」


 まるで出来の悪い映画。

 月を見て変化するなど、西洋の人狼と同じだ。


「ふっ、どうなっているのか」


 もはや笑うことしかできない。

 驚いている村長たちと目線がほぼ同じ、政治家畔村進の頃には及ばないが、近いものがある。

 豊かな双丘はこれまで見てきたどの女性よりも大きいのに、支える体は細いのだから現実離れしている。

 男にとっては理想的な、いや、理想そのものの体に思えた。


「理想……なるほど、理想か」


 少しわかった気がする。

 この体は、やはり私ではない。それどころか人ではないかもしれない。

 整った顔に豊かな胸、スラリと伸びた手足は正に人々が思い描く女神そのもの。

 人の理想を体現した姿なのではないか。


「生まれ変わり、でもなさそうだな」


 この体について、私自身が仏教徒なのだから輪廻転生かとも思ったが違うのだろう。

 時間があるときに改めて考えてみる必要がありそうだ。


「聖母さま、なのですか?」


 サーシャの声、周囲から集まる視線に肩をすくめる。


「どうやらそのようだ。サーシャ君、君の言葉はまんざら誇大妄想ではないのかもしれないな」


 笑いかけるとサーシャは懐から植物の繊維を編んだ小袋を引っ張り出す。

 中に入っていた紙片を広げ、私と見比べた。


「イルタは夜の空より舞い降りしもの。空の光を浴びて祝福をもたらすものなり……」

「……突然なにかね、それは?」

「ヤヤンさんに見せていただいた本を書き写したものです! イルタより光の祝福を受けしものはすべての空に愛されるとあります! 最初に読んだとき空の光の祝福という意味が分かりませんでした。聖母さままでパイヴァの祝福を必要とするのかとも思いましたが、夜の空にも光はありました!」 

「夜空の光、月光ということか」

「すべての空とは昼と夜、両方を指すとされています。つまり、太陽神パイヴァと万物の聖母イルタであるイルタ様は元々同一の存在である、という証拠になります!」

「…………だから?」

「つまり、パイヴァ教も、私たちイルタ教も同じ存在を信仰するもの同士! 分かり合えるのです!」

「そ、そうなのかね?」

「そうなんです!!」


 なんとも、神仏習合並みに強引な気がするが、水を差すのも野暮なので頷きながら、頭の片隅にでも置いておこう。

 それよりも重要なことが私にはある。


「それで、そのパイヴァとやらが同じであることが分かったとして、この姿で、なにをどうしろというのかね?」

「えっ!?」


 サーシャの動きが止まる。

 凍ったように身を固くして、目だけが左右に揺れていた。

 どうにも、あまり後先を考えないこのようだ。

 仕方がないので自分で何とかしよう。できるかどうかは分からないが、何もしないよりはマシなはずだ。


「しかし、女の体というのはどうにも慣れないものだな。体が細くて手足が長いのに胸だけがやたらと大きい。バランスが悪いことこの上ない。このくらいのサイズならば柔道くらいはできようが、空手はやめておいた方がよさそう……ん?」


 肌に突き刺さるような気配がして、周りを見渡す。

 宵闇に浮かぶ篝火、よくよく見れば村人たちであることが分かった。

 なるほど、サーシャの大きな声に驚いて出てきてしまったのだろう。


「あー、諸君、驚かせてしまったかね? だが、心配いらない。サーシャの大きくて品のない声は確かに不安を掻き立てるかもしれないが、わざとではないのだ。賊の襲撃でもなければ猛獣もいない。心静かに夜を過ごしてくれたまえ……どうかしたのかね?」


 心配ないと手を振って見せても誰も帰ろうとしない。

 おかしい、と顎を撫でると、集まった村人たちからはどよめきが聞こえた。


「おい、アンタ、まさか……」


 村長まで目を大きくして、震えていた。

 ああそうか、私がこの姿になったことが信じられないということなのだろう。

 それは無理からぬことだ。なにせ、私も理解できないのだから。

 どうしようかと頭をひねっていると、突然サーシャが顔を上げ、私を指し、


「みなさん、聖母さまが本来の姿に戻られました!」


 と力の限り叫んだ。

 いくらなんでも突拍子もなかろうとは思ったのも束の間、集まってきた村人全員が膝を折る。

 その光景にサーシャは我が意を得たりと思ったのか、私に恭しく一礼をしてから、一層声を高くする。


「聖母さまが降臨なされたのです! お祈りをしましょう!」


 率先して私の前に跪き、両手を組んで祈り始めた。

 すると、村人たちも同じような姿勢をとる。


「聖母さま、迷える我らをお導きください!」


 サーシャの言葉に皆も続き、夜に声が響き渡る。

 煌々と焚かれる篝火もあってあたりはさながら密林の邪教といった状態になっていった。


「……困ったね」


 ここまでになるとどう収拾をつけていいかわからない。

 しかし、注がれる羨望というのは悪くない。

 残念なことに、こうした目を平成の世で見ることは少なくなってしまった。

 狂信的な眼も悪ない、そう思っているとムズムズする。


「いやいや、ここは渋谷でも新宿でもないのだ。彼らに選挙権があるわけでもないし、この場所と日本は関係ないではないか」


 自分に言い聞かせる。

 言い聞かせるが、やはりムズムズする。

 一挙手一投足に集まる視線、羨望、期待、肯定的な感情が私の心に突き刺さってしまった。


「諸君、顔を上げなさい。そのままではよく聞こえないだろう」


 私の言葉に、顔を上げた村人たちの眼差しが一斉に向けられる。

 すると、鼓動が跳ね上がり、体が熱くなる。

 気が付けば口がかってに動いていた。


「事実は小説より奇なり、という。実際に起こったことの方が、書物にあるものを超えていることはよくある。なぜか、すべての書物は現実を写し取ったものであり、現実以上のことは起こりえない。人の想像というのは起こった事実以上にはなりえないものだ。そして、私がこうして諸君らに話すこともまた、この世のどこにもない、どんな伝説や神話をも超えたものとなるだろう。少し長くなるが許してほしい。今という現実を受け止め、未来について真剣に考えてほしいと私は願っている。未来とは今の延長にある。あまり実感がないかもしれないが、今の行いが連綿と続く歴史の一歩であることを自覚してほしい。心してもらいたいのは散漫に生きてはいけない、ということだ。日々に目標を持ち、一歩一歩進むことがなによりも大切だ。漫然と日々を過ごしてはいけない、目標を常に持ち、自分のこと、誰かのこと、皆のことを考えてほしいのだ。一人が皆のことを思い、皆が一人のことを慮ることができれば、我らはもっと別の、大きなことができるだろう。些細なことで争うこともない、互いを認め、ときに衝突したとしても許し合い、励まし合わなければならない。決して、一方的になってはいけないものだ。自らが誤ったときは素直に認める強さを持ってほしい。誤ることは恥ずべきことではない、省みず己を正当化してしまうことの方が問題と思ってほしい。さまざまな……」


 心行くまでの演説は空が白むまで続けた。変化を遂げていたはずの体はいつの間にか元に戻り、明け方には見る影もないもなくなっていた。

 その頃になると集まった村人たちが全員白目をむいて倒れていたのだが、それはそれとしておきたい。

 少々話が長かったかもしれないと反省材料にしておこう。


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