堅忍果決なればこそ
ノックをして入ってきたのは長耳族の代表であるヤヤン。
彼の顔には深刻な色が貼りつき、今にも倒れてしまいそうだ。
「せっかく住民が増えたのに……仕方ありません。私たちはこの土地を去ることにします」
「理由は分からなくもないが君たちが逃げても何も解決しないよ」
私の言葉に彼は目を大きくする。
苦しそうに顔を歪め、思い悩んでいる。
「ではどうしろとおっしゃるのですか? まさか、我々を……!?」
「冗談でも口にしないほしいな。そんなこと、私がすると思われたら心外だ」
「…………では、どうなさいますか?」
「君たちには何物にも代えがたい特技がある。時間と、薬だ」
「時間と薬……ですか?」
「君たちが苦境の中で得た薬学の知恵は価値あるものだよ。これさえあれば逃げ隠れすることはない」
「ですが、私たちがヒトにとっては異種族です。同じとして扱ってくれるかどうかもわかりません」
「不安に思うこともわかるが、君たちは勘違いをしている。確かに同列に扱ってくれるかは分からないが、低くなることを前提に考えてはいけない。それに、素性は明かさなくてもよいものだ」
「え!? す、素性を、明かさない?」
鳩が豆鉄砲を食ったよう、とはこの顔なのだろう。
どうにも、彼らは真面目が過ぎる。
「わざわざ自分達が不利になるかもしれないモノを懇切丁寧に話さなくてもよい、ということだ。寿命以外で違うといえば耳の形くらいだろう? 帽子で隠せばいい」
「で、ですが、それで分からないものでしょうか?」
「考えてもみたまえ、伝承の中にいる長耳族が君たちだと思うかね? 見た目もほとんど変わらない。耳も、まじまじと見なければ気付かんさ。誰も疑わん」
「そ、そういう、ものでしょうか」
「人、というのは案外鈍感だ。堂々としていなさい。それに、これから逃げ隠れしたとてもはや問題は君たちだけのものではないのだよ」
今ほどサーシャから聞いた話をそのまま伝えれば、ヤヤンの顔は青くなる。
自分たち逃げればうまくいくという問題ではなくなったのだ。
「竜騎兵……そんな……」
呆然とするヤヤンの背をサーシャが摩る。
ここで弱気になり、本当に逃げられでもしたら、私の計画が台無しだ。
確かに危機ではあるが、人を言いくるめるのは私の領分といえる。竜騎兵やその背後の思惑を見聞きもしてみたい。さすれば王都の貴族とやらの頭の中身と程度もわかるだろう。
それに、私の描く未来に長耳族は不可欠、ならば、私の出番といえよう。ヤヤンの肩に手を置き、できるだけ優しい声音を意識する。
「私に任せてくれ」
「どうして、どうしてそこまでしてくださるのですか?」
「私が聖母イルタだから……いや、本当の聖母であるかどうかは分からない」
顔を上げるヤヤンと、真剣なまなざしを向けてくるサーシャに応え、頷いて見せる。
こういう時の演出は大事だ。
それっぽい言葉を並べようと考えを巡らせる。
「異なる者同士よ、手を取り合い光の道を行け。目指す先にこそ希望はあるものだよ」
「! 聖母様、今のお言葉は!?」
「君達の顔を見たら心の奥底から湧き上がってきた言葉だ」
嘘だ。
それっぽい言葉を並べただけ、のはずなのに聞いていた二人は顔を見合わせる。
「異なる者同士よ、手を取り合い光の道を行け。目指す先にこそ希望はある。友愛とともに世界を見渡せ、さすれば我らは一つなり。竜人族が所有する聖典の序文、空より来るものの一説です!」
えっ、そうなの? と、思わず口から出そうになった声を飲み込み、頷いて見せた。
偶然とはあるものだ。
「聖母さま!」
「ぶへ!?」
後ろからサーシャに抱き着かれ、
「私もでございます! このヤヤン、この身を捧げてご奉仕する所存にございます!」
「わ、わかったから足に触るな。顔をこすりつけるな!」
ぞわぞわと鳥肌が立つ体で二人を蹴り飛ばし、落ち着けさせてから話を進める。
「少しばかり予定とは異なるが、諸君らにやってもらうことは変わらない。まずは近隣の村に薬を配る」
「薬を? でも誰のですか?」
「誰、というものではない。まずは、そうだな。症状が多いものからにしよう。まずは腹だ。腹痛に効くものがいい」
「聖母様、腹痛といっても、上腑と下腑があります。薬はまったく違うものになりますが……」
「上腑とはここで、下腑はこのあたりか?」
胸の真ん中と下腹部に手を当て、場所を問えば、ヤヤンは若干顔を赤らめながらも頷く。
「ならば、この二つは分けて作ってくれ。あと、これが大事なのだが、効果は弱くていい。痛みが和らぐ程度が最適だ」
「? 効果が弱くすると治りませんが……」
「そこが肝といえよう。薬で治すためには本人をよく診て、症状に合わせて一から調合することになる。配る薬はその入口だ。配ったもので治らなければここへ来て、留まってもらいながら治療をする」
「薬の効果が弱かったら、結局はみんな集落に来ることにはなりませんか?」
「そうでもない。ほとんどの腹痛は一時的なものだ。体そのものにも治ろうとする力はある。大概は良くなるものだ。そうでない場合は来てもらい、本人に合わせた治療をすればいい」
サーシャには少しばかり分かりにくいが、経験と知識のあるヤヤンは頷いた。
「なるほど、それで入り口というわけですな」
「そういうことだ。目指すのは君たちがこの地で必要とされることにある」
「必要とされる……」
ヤヤンが言葉を噛みしめるようにつぶやく。
言葉を噛んで含めるように続けた。
「具体的な問題は、マトカ君たち避難民の借金や物取りということになっているということ。だが、これはかなり疑わしい。金額は法外で、罪状も曖昧だ。つまり、これはでっち上げである可能性が高い」
「でっち上げ……本当はそんなことしていないわけですね!」
物わかりの良さに頷きながら、手配書の疑問点を列挙していく。
「彼女たちが嘘を言っている可能性もゼロではないが、この書き方だとシロと思っていい。本当ならばもっと具体的書くだろうからね」
「な、なるほど」
「大切なのは彼女たちを信じてあげることだ。疑いを持ったら関係にヒビが入ることになる。ヤヤン殿は集落の若い連中たちによく言い聞かせてくれ」
「わ、わかりました」
小刻みに何度も頷く。
こういう金銭や冤罪は信用信頼が何よりも大事だ。
周知徹底したい。
「続きだ。いくら罪状が疑わしいとしても、竜騎兵たちはこの意見を受け入れない可能性が高い。確かめることが自分たちの仕事ではないだろうからね」
「そ、そうですね」
「そこで大事なのが近隣の村々になる。彼らに、君たちの味方になってもらうのだよ」
「味方? どうやって……」
サーシャが首をひねる。
思案顔がひらめきに転じるまでさほど時間はかからない。




