原因不明が一番困る
「聖母さま、あーん」
なぜこうなったのか、私には理解できない。
願えば、思えば、その場所に行けるのではなかったのか?
私が思い描き、心の底から戻りたかったのは国会議事堂であり総理官邸だったはずだ。
それなのに――――。
「聖母さま、食べないと体に悪いです。あんなに歩いたのですから。さぁ、どうぞ」
「なんだこれは、マズ……」
「マズ? どうかなさいましたか?」
差し出される麦粥のあまりの味に出かけた言葉を引っ込める
サーシャの純粋な横顔に言葉が詰まる。
先ほどからこの子も同じものを食べている。それもこの上なく幸せそうな顔で。
「マ、マズローの欲求階層について少し考察をだね」
「さすが聖母さま、難しいことを考えておいでだったのですね」
「そ、そうだね」
ため息が出た。
戻れていれば、今頃は病院のベッドで美人のナースを侍らせ、白い米のお粥を食べていたはずだ。
それなのに、私はまだこの地にいる。
腹は鳴るのに食欲はない。普段なら食べ飽きていたはずの白米がこんなにも懐かしいとは思いもしなかった。
「聖母さま、どうかなさいましたか? お食事も進んでいません。食べないと回復しません。お体が小さいのですから」
「ああ、うん、そうだね」
断ることもできず麦粥を食べさせられながら、長耳族のウォルナットの使った魔法のことを考える。
望む場所、一度行った場所ならばそこへ導いてくれるはずなのに、飛び込んだ光の先にあったのは、最初に目覚めたレヘティ村近くの遺跡だった。
◆
『戻りも大変でしょうから、魔法で送ります。一度でも行ったことがある場所なら扉が開くんです』
ウォルナットが何やら呪文を唱え始め、大きく手を広げると指先で中空に円を描く。まばゆい光が円に集まり、人が通れるだけの大きさになる。
待ちに待った光景に、我を忘れて走った。
『戻れる!』
国会議事堂を心の中に強く思い描いて光に飛びこんだ。
しかし、
『へっ!?』
まばゆい光の先にあったのは国会議事堂でも、渋谷にある邸宅でもない。
目の前に広がるのは木々と巨石の群れ。
『ぶっ!?』
勢いあまって石にぶつかってしまった。
顔を強か打ち付けて目からは火花が散った
『うぐぐぅ、い、いたい』
『もう、聖母さま、いきなり飛び込まないでください。ああ、もうお顔に傷が……』
『ここはどこや?』
『村の近く……ではなさそうっすね』
顔を押さえながらあたりを見回す。
見渡してもビルや近代的な建物はない。
人もおらず、ただ森と巨石があるだけ。
『な、なぜここに?』
聞いても答えてくれる人間はいない。
『サーシャちゃん、ここはどこっすか?』
『ここは聖母さまと出会った遺跡です。隣村に抜ける街道から近いところですよ』
『へぇ、こんなところがあったんか』
『聖母さまはここへ戻りたかったのですか?』
サーシャと樵の二人も辺りをきょろきょろとあたりを見渡していたが、そんなのはどうでもよかった。
『なぜだー!』
叫びは虚しく森に消える。
◆
なぜ、どうして、と自問自答を繰り返す。
私は国会議事堂を思い浮かべたはずだ。
それなのに、どうしてあの遺跡に扉は開いたのか。
考えられる原因は、今のところ二つしかない。
「聖母さま、あーん」
「う、うむ」
青臭い麦粥を口に押し込まれながらも、今は原因を考えずにはいられない。
一つは私のイメージが良くなかったこと。十分に念じたはずなのだが、あれでは足りなかったのかもしれない。
「ピヒラヤの実もどうぞ。美味しいですよ」
「むぐぐ……」
さらに何かを押し込まれるが、気にしていられない。
もう一つ考えられる原因は、あまり考えたくはないが出力不足。
世界を渡ろうというのだ、たった一人の魔力ではできなかったのではないか。世界を渡ろうと思えば多くの協力が必要だったのではないか――――。
「ロッキの卵もどうぞ。とても体にいいんですよ」
「ふぐふぐ……」
考えられる原因はこのくらいだ。
どうか、この二つのどちらかであってほしい。
後者であったとするなら、どうやって多くの人に協力を仰げばいいのか。
素直に事情を話し、集めてもらえるのだろうか。いや、そもそも、世界を渡るということに理解が及ぶだろうか。かなり判断が難しい。
もう一つの問題は素直に話したとして、協力してくれるだろうか。
魔法を使うことで何かしらを消費するとしたら聞き入れてもらえないことも考えられる。
そうなったら方法は対価を払うか、協力せざるを得ない状況に持ち込むか、二つしかない。
どちらもかなり難しく、今考えても始まらない。
決まりだ、一刻も早く長耳族に会い、方針を決めよう。
「聖母さま、お腹はいっぱいになりましたか?」
「ん? あ、ああ、そうだね」
「お体は大丈夫ですか? 足が痛かったら揉んで差し上げます」
唯一の救い心配そうな顔をするサーシャだ。
芋っぽいと思っていたが、よくよく見ると素朴で顔立ちはまずくない。
献身的で従順、これが信仰心だとするのならばなんと健気なことか。
この私が、日本国民を率いるはずの畔村進が、彼女の信仰心に縋るというのは情けない。
しかし、今は雌伏して時が至るのを待つことに徹するしかない。そうでなければこれまでの苦労が無駄になってしまう。
「サーシャ君!」
「はい、聖母さま」
「これからもよろしく頼む」
「急にどうされたんですか?」
「い、いや、今日も世話になったのでね、お礼が言いたかったんだ」
「変な聖母さま、でも、私は大丈夫です!
笑顔がまぶしい。
戻れたらサーシャを第二秘書にしよう。
「さぁ、そろそろお休みの時間ですよ。お疲れになったでしょうからよく眠れるようにお話をして差し上げます」
「えっ!? お話? 私にかね?」
「はい、隣失礼します」
サーシャが薄い布を広げ、私の上に掛けると隣に入ってくる。
この歳になって孫よりも若い子に同衾されるのはちと恥ずかしい。
「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ薪拾いに、おばあさんは川へ洗濯に………………」
話が止まる。
横を向けば、サーシャが寝息を立てていた。
「……えっ、ここでやめるのかね? 逆に気になるのだが……」
「せいぼさま」
「?」
「えへへへ」
寝言だ。
疲れていたのはきっとこの子も同じだろう。
「…………前途多難だな」
夜は静かに更けていく。




