総理大臣一歩手前……だった
「私は白樺集落のウォルナットです」
ウォルナットと名乗る長耳族に連れられ、ここなら安全だという場所に場所を移した。
太陽に照らされた彼の髪から伸びた耳が、ここが異なる世界であることを強調しているようでもある。
「長耳族は聖母さまを信仰されているのですね!」
「勿論です! 夜の女神にして導きの聖母、私が信仰するのはイルタさまを置いて他にいません」
「導き……聖母さまは導きの神でもあるのですね!」
「驚かれるということは我々と人族は伝承が違うのですか?」
「大災厄のあとからイルタさまに関わる多くのことは失われているのです。ですから、私は長耳族や、他の種族からお話を伺いたいと思っていました」
「そうでしたか」
なにやらサーシャとウォルナットが盛り上がっている。
場所を移してからはその話ばかりだ。
せっかくの語らいに水を差すこともできず、手持ち無沙汰も手伝って樵二人に聖母とやらのことを尋ねてみる。
「お前らも聖母とやらを信じているのか?」
「えっ? そうやなぁ……かなり古臭い神様やから、よくわかりませんわ」
「人間の神様は太陽神パイヴァっす。王都でイルタ教を知っているのはほとんどいないと思うっすよ」
「パイヴァ? それに古い、というのは?」
「神様は太陽神パイヴァと夜と月の女神イルタがあって、イルタは遺跡が結構あるんや。森の中とか、丘の上とか、イルタ教は大昔からあったってバーちゃんに聞いたことがありますわ」
「俺たちの村もそうっすよ。遺跡って言い伝えがあって、大きな石が並んでいるところが結構あるっす。でもイルタ教は王都ですら信仰している人間はほとんどいないっすねぇ」
「マイナー宗教だな」
盛り上がる二人に聞こえないようにつぶやく。
まぁ、今重要なのはサーシャとウォルナットの話が合っているということ。
先ほどは気持ちが逸ってしまったが、会話が続くのは良い兆候だ。このまま良い方向に進み、そのままの流れで頼めたら万々歳だ。
「聖母さま、聖母さま、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
「そろそろ戻らないと、暗くなる前に村につけないんすわ」
「そうっす! 盗賊がいるならなおさらっす。危なくなる前に戻りましょうっす!」
「……むむっ」
盗賊云々はどうでもいいが、私もさっさと元の世界に戻りたい。
口実を作って魔法を使わせられたらそれが一番だ。
しかし、問題はどうやったら魔法を使ってくれるだろうか。
この場で使ってくれと言っても難しいだろうか。いや、無理強いをして関係を絶たれることは避けたい。ここは欲を抑えて搦め手が良いのかもしれない。
そうだ、それで行こう、それしかない。
焦りはあるが、確実に帰れる手段を選択すべきだ。
「ふー」
深呼吸をする。
落ち着け、と自分に言い聞かせてから樵二人の肩に手を置く。
「わかった。今日のところは戻ろう。ただし、二人とももう一度ここへ来るのに手を貸してほしい」
「えっ!?」
「次もっすか?」
「今回は来るのに頭がいっぱいで道順なども曖昧なところが多い。もう一度案内してくれれば覚えられると思うのだ」
「……ちょっと」
「それは……」
二人は迷惑そうに顔を見合わせている。なんと腹立たしい。
「き、君たちはこれから莫大な富を手にするのだろう? それが一日や二日遅れたからと言って支障はあるまい」
「一人でも大丈夫ですって。目印もつけてきたし、何日かは足跡も残っていますって。なぁ、リハヴァ」
「そうっすよ、ライハの言う通りっす。俺たちがいなくても問題ないっす」
二人は断るつもりらしい。
早く砂金堀に戻りたいのだろう。
だからといって、そんな断り方をしなくてもいいだろうに。
「オラたち忙しいんや」
「あの場所が見つかる前にできるだけ取っておきたいっすからね」
「……私がこれだけ頼んでもか?」
「大丈夫やって」
「そうっすよ」
「くっ!」
口惜しい!
屈辱に立ち尽くしてしまう。
怒鳴ってやりたい。ここが平成の日本であったら、こんな二人など指示を出すまでもなく切り捨ててやるのに、それができない。なんと情けないことか!
「……おい、ちょっと、泣きそうやんか」
「ちょ、それはライハが嫌そうな顔をするからっすよ」
「お前もやん。一人だけ逃げるのは卑怯や」
「そんなこと言われても……」
恥ずかしげもなく口に出す不躾さよ。
しかし、これ以上はどうにもならない。
砂金を盾にここで脅したとして、逆上されたらこの身が危ない。ここは我慢し、村に戻ってからもう一度策を講じ、話をしなければなるまい。
そう思っていると、
「あなたたち、何をしているの!?」
言い争いに気付いたのか、サーシャが両目を吊り上げてやってくる。
立ち尽くす私の手を取る。
「聖母さま、大丈夫ですか? 何かされたのですか?」
「い、いや、すまない。己の不甲斐なさを痛感していただけだ」
年若い女性に心配そうな顔をされたのが恥ずかしくて顔を逸らす。
すると、サーシャは私の眦を拭い、オロオロする樵を睨んだ。
「ライハさんにリハヴァさん! 聖母さまに何を言ったの? こんな顔をさせて!」
「い、いや、オラたちは……別に……」
「そ、そうっす、別にいじめてなんかないっす!」
「じゃあ、どうして聖母さまがこんな顔をしているの? 何もなくこんな悲しそうな顔はしないわ!」
「もう一度ここまで連れてきてほしいって言われたので、オラたち早く自分の仕事に戻りたいなぁ……って、なぁ」
「そうっすよ、仕事をしないと稼ぎがないっすから」
そこでサーシャの目がと細くなり、見ている私も背筋が寒くなる。
これは、あれだ、浮気がばれた時の女房の顔と同じだ。
「二人とも雨が降れば喜んで仕事を休んでいましたよね?」
「えっ!?」
「そうっすかね?」
「昨日だって仕事もしないで喧嘩していたじゃありませんか。それを聖母さまに仲裁してもらっていましたよね?」
「だから、その分を取り戻さないと……」
「その前だって隣村でお酒飲んで騒いだって村長さん言ってましたよ。普段はそんなに積極的じゃないのに、こんな時だけ仕事を盾にするんですか?」
「うっ……」
「それは……」
喧々囂々、火の出るような追及に樵二人はしどろもどろになる。
ここはサーシャに乗っかったほうがよさそうだ。
「私がわがままを言ったのがいけないんだ。もう一度ここへ連れてきてほしいと願ったのだが……残念だ。せっかく長耳族にも会えたというのに……」
わざとらしく目頭を押さえてみせると、サーシャはますます眉間にしわを寄せる。
そこへ、事態を察してウォルナットまでやってきた。
「どうかしましたか?」
「実は……」
「サーシャ、ここは私から話そう。そもそも、長耳族に会いたいと言い出したのは私だからね」
憤然とするサーシャをなだめ、ウォルナットへ向き直った。
「順序が逆になってしまったが、長耳族に会いたいと言い出したのは私だ。そこでサーシャがこの森で見かけるという奇妙な人影の話をしてくれてね。しかし、ここまで来るのはかなり時間がかかる。盗賊も出るとなれば野営を避け、早めに戻る必要が出てきてしまった。せっかく会えたのだが……」
「そうでしたか……」
ウォルナットの視線が私に向いている。
値踏み、というわけではないが何かを迷っているようでもある。
ここは関係をつなぎとめておきたい。
「今日は戻らねばならんが、また会ってはもらえないだろうか? もちろん、君たちのことは誰にも話さない。秘密にしよう。お前たちも、それだけは約束してくれ」
「はい、聖母さま!」
「分かった」
「話しても信じてもらえないっす」
サーシャに続き、ライハとリハヴァも頷いてくれる。
すると、ウォルナットは頷いてくれた。
「分かりました。私もアレクサンドラさんとお話ししたいですし、それに、貴女のことも気になります」
「それは……どうしてだね?」
「貴女が夜の女神にして万物の聖母であるイルタさまにそっくりだからです」
ウォルナットの言葉にサーシャが力強く同意している。
教会にあった、あの妙な絵と一緒だといわれるのはあまり納得できない。
だが、それが彼をつなぎとめる一助になるというのならば仕方ない。
受け入れるとしよう。
「その女神だか聖母だかについて、私も知りたい。お話の機会を設けてくださるか?」
「勿論です」
約束してくれた。
色々あったが、今日はこれを成果として持ち帰ることにしよう。
急いては事を仕損じる、急がば回れ、古の教え従うとしよう。
「日取りについてだが明日、というのは……」
「無理です! 今日こんなに歩いたのに、明日もなんてダメです。体を壊してしまいますよ!」
「そうか……では、いつならいいかな?」
「それは聖母さま次第です。体の痛みが取れてからにしましょう」
「しかし、それではせっかく作った道が消えてしまうぞ?」
「体には代えられません!」
秘書よりも厳しいサーシャに諫められる。
一刻も早く戻りたいのだが、この体で無理をして、元に戻った時に影響が出ては困る。
なにせ、七〇という老齢だ、総理大臣となった時に伏せるような事態では困る。
「うむむ、ならば明後日はどうかね? 明日は一日静養に充てる。それならばよかろう」
「もう、仕方ないですね」
サーシャが渋々了承する。
確かに体には代えられない。
「明後日でしたら途中の草原まで迎えに行きしょう。あそこにも古いイルタさまの神殿跡がありますから場所も分かりやすいです」
「! それなら私も知っています!」
「いいのかね?」
「はい、お待ちしています。私も代表に話さなければなりません。聖母様がいらっしゃった、と!」
「……ありがとう。ウォルナット君、次の機会を楽しみにしているよ。さぁ、戻ろう。できれば盗賊とも会いたくはない」
ウォルナットともう一度握手をしてからサーシャの肩を叩き、樵二人を促す。
また長い時間歩くのは憂鬱だが、これまた仕方ない。
「ああ、お待ちください」
「なにか?」
「これをどうぞ」
手渡されたのは小指ほどの大きさをした、木でできた小さな筒。中に空洞があり、切れ込みが入っている。
「笛かね?」
「合図のためのものです。お持ちください」
「ありがとう」
「戻りも大変でしょうから、魔法でお送りします。一度でも行ったことがある場所なら扉が開きます」
「……ま、魔法を!!!」
突然の申し出に心臓が高鳴った。
魔法を使ってくれる、それに一度行った場所に扉が開く、だと?
そんなの好都合にもほどがある。思わず叫んでしまいそうだったが、驚きで声が出なかった。
「じゃあ暗くなる前に戻れますね! よかったぁ」
「歩かなくていいなんて楽やな」
「よかったっす!」
能天気に喜んでいるが、これは大変なことだ。
これで元の世界に帰れる!
「今準備しますね」
ウォルナットは何やら呪文を唱え始め、大きく手を広げると指先で中空に円を描いた。
まばゆい光が円に集まり、人が通れるだけの大きさになった。
「自分が行きたい場所を頭に描いて、この中に入ってください」
「戻る場所は教会でいいですか?」
「村の中ならどこでもええで」
「っ!」
「聖母さま?」
「どうしたんすか?」
話し始めた三人を尻目に光の輪に向かって走る。
「戻れる!」
国会議事堂を心の中に強く思い描いて光に飛びこめば、立ち並ぶビル群、数えきれない人が見えた。
「総理大臣だ!」
出口と思しき光に入ったのに、
「ど、どういうことだ?」
目の前にあったのはサーシャと出会った、あの巨石の群れだった。




