フラン
ログハウスの玄関ドアを颯爽と開けると、黒い壁で塗りつぶされていた。
私はぶつかるかと思って、思わず後ずさってしまう。
「ヤハハハハハハハハハハハッ!!」
間髪入れずに壁の中から怪鳥のような声が聞こえてきて、鼓動が跳ね上がった。
この『お嫁さんごっこ』も終盤を迎え、いろんな出迎えを受けてきたけど……こんな出迎えは初めてだ……!
突如現れた、地獄の深淵のような空間。
まるでこの家全体が、悪魔に取り憑かれてしまったような……!
でもいくらなんでも、こんなノドカな村の中に悪魔が現れるとは思えない。
……いや、でも私が過去に遭遇したことのある悪魔、メラルドとヴォーパルは、どちらも村の中にいた……!
これはいよいよかと思って身構える。
いや、そんなことよりも誰か呼んでこないと……!
そう思い直した私の心を見透かすかのように、闇の中からふたつの手が伸びてきて肩をガッと掴まれてしまった。
しまった……! と思う頃にはもう遅く、ものすごい力で引きずり込まれてしまう。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
「ヤヒャァァァァァァァーーーッ! おかえりっ、リリーっ!!」
自分の悲鳴でよく聞こえなかったけど、たしかに女の子の声がした。
聞いたことのない女の子の声……もしかして、新手の悪魔!?
「だ、誰っ!? や、やめてっ、離してっ!」
私は肩を掴む手を振りほどこうと暴れる。
しかし謎の女の子はイヴちゃん並のすごい力で私を壁に押さえつけると、頬になにかをこすりつけてきた。
「だーめっ、離さないーん! だってリリーはわたしの旦那様なんだもーん!」
みずみずしい肌のニオイと、耳をくすぐるようなイタズラっぽい声。
頬に押し当てられるやわらかい感触……もしかして頬ずりしてるのかな?
私は急に冷静になる。
声もさっきまでの狂気がだいぶ和らいだので、なんとなくだけど誰かがわかった。
「た、ただいま……フランちゃん、だよ、ね……?」
祈るような気持ちで声を振り絞る。
「ええーっ、なによう! フランちゃんだよね、って……! どーせフランちゃんですよーだ! ヤハハハッ! おかえり、リリー! リリリリー!」
そのハイテンションな一言で、私の強張っていた身体から一気に力が抜け落ちた。
な、なんだぁ……フランちゃんだったのか……。
フランちゃんってものすごい人見知りの女の子で、小さい子以外とはまともに話ができない。
私も最初会ったころは逃げられてばかりだったんだけど、ある事件をきっかけに話してくれるようになったんだ。
彼女も今回の『お嫁さんごっこ』にエントリーしてたんだけど、まさかこんな奇想天外な出迎えをしてくるとは……。
……バタンッ!
不意に、開きっぱなしだった玄関扉が閉じられた。
そして廊下は完全なる暗黒に支配される。
もともと真っ暗闇だったけど、これで本当になにもかもが見えなくなってしまった。
いままで光の差さない洞窟とかを冒険したことはあるけど、村の中で、しかもここまでなにも見えないのは初めてだ。
黒猫といっしょにゴロゴロしてるクロちゃんを踏んづけてもわからないほどの、均一なる闇。
いや、クロちゃんだったらこんな真っ暗なところにいたら、大暴れしちゃうんじゃなかろうか。
平衡感覚がおかしくなるような世界で、なおも頬ずりを続けるフランちゃん。
そして私はというと、ふたつの疑問を抱いていた。
「あの……フランちゃん、どうして真っ暗なの?」
まずひとつめを尋ねる。
いきなり「ンヒャッ!」と変な声で笑われたので、ビックリした。
「あたしの故郷ではねぇ、こーやって暗黒魔法を使って、家のなかを真っ暗闇にするんだー! ンヒャヒャヒャヒャヒャ!」
どうしてそんな風習があるのか尋ねてみたら、「ありのままの自分を出せるじゃん!」とシャックリのように笑いながら教えてくれた。
なるほど、今のこのハイテンションすぎるフランちゃんが、ありのままのフランちゃんというわけか。
ひとつめの疑問は解消したんだけど、やりとりの間にまた疑問が増えてしまった。
「そうなんだ……。あの、ところで……フランちゃんはなんでハダカなの? それになんで、私の服を脱がせているの?」
彼女に壁に落ち着けられたとき、私は両手を突っ張って押し返そうとした。
その時、私の両手はやさしさに包まれたんだ。
フランちゃんの素肌という名のやさしさに。
そして彼女が何も身につけていないことを知った。
さらにこうやって話している最中、彼女は頬ずりしながら器用に私のマントとショートパンツを外しにかかった。
どちらもあっさりと脱がされ、いまや上着に手をかけられている。
私は別にイヤではなかったので、バンザイして協力した。
そしてもう一度尋ねる。
「フランちゃんの故郷だと、家の中ではこうやってハダカになるものなの?」
「ンヒャッ! だって闇の中じゃ、服なんていらないじゃーん! じゃんじゃーんっ!」
「そういうもんかな?」
「そーそー! そういうもんそういうもん! ンヒャッ! ゴハンにしよ! ヒャヒャッヒャッ! ゴハンゴハンっ! ゴハンゴハンゴハーンッ!!」
フランちゃんは私を一糸まとわぬ姿にすると、手を引っ張って、おそらく部屋の奥に向かって歩きだした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
手さぐりで椅子に座る。
目の前には、テーブルらしきもの。
視覚を遮断されているとそれ以外の感覚が鋭くなるようで、クツクツと煮立つような音と、肌を撫でていく湯気の感触がわかった。
どうやら私は居間に連れてこられていて、どうやらこれからゴハンを食べるみたいだ。
「ンヒャッ! 今日のメニューはねぇ、『おでん』だよー!」
「ええっ、おでん!? ホントに!?」
『おでん』は鍋の一種。
具材が特殊で、入手が大変らしいから滅多に食べられないんだけど、寒い冬とかになるとたまーに寮でも出てくるんだよね。
「私、おでん大好き! 食べよう食べよう! お箸どこ? えーっと、お箸お箸……」
私はテーブルの上に両手を置いて、蜘蛛のようにカサカサ動かして箸を探す。
すると横にいるフランちゃんが急に抱きついてきた。
「ンヒャァァァァァーーーッ!! リリーっ! 大好きぃーっ!!」
興奮を抑えきれないように、私の頬にキスの雨を降らすフランちゃん。
「ふ、フランちゃん、どうしたの急に?」
「わたし、不安だったんだ! わたしの故郷ではこうやって暮らしてるってティアたちにも話したんだけど、みんなに気味悪がられちゃって……! もしリリーもそうなら、わたしと結婚してくれないんじゃないかと思って……! でもリリーは違った! この暗闇にもう慣れちゃうだなんて、さすがリリーっ! ンッヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
……私は順応性が異様に高いとよく言われる。
自分ではぜんぜんそうは思わないんだけど、ハタからはそう見えるのかなぁ……。
「それはフランちゃんがやってくれてるからだよ。フランちゃんがありのままの自分を出すのがいちばんだろうって考えて、この家に暗黒魔法をかけたんだよね? 私はフランちゃんのことが好きだから、フランちゃんが作ってくれたこの暗闇も好きになれたらいいなと思って」
「ンヒャァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーンッ!?!?」
フランちゃんは大興奮。狂った犬のように身体をこすりつけてくる。
そ、そんなに喜ばなくても……!
そんなに嬉しくなるようなこと、言ったかな……!?
「ふ、フランちゃん、身体をこすりあわせるのは後にしようよ! あとでゆっくり……そうだ、お風呂に入ったときにでもいっぱいやろう! それよりも今は、ゴハン食べようよ!」
さっきから漂ってくる、おでんのいいニオイに私は辛抱たまらなくなっていた。
ちょうど箸らしきモノも見つけたので、掴もうとすると、パッと横取りされてしまった。
「だーめ、だめだめっ! あたしの故郷では、暗闇のなかで食べさせっこして、夫婦の絆を深めるの! ンヒャッ! だからあたしが食べさせてあげる! なにがいい? なにがいい?」
食べさせてくれるのであれば、私にとっては渡りに船だ。
だってこんな暗闇だと、どこになにがあるかわからないし。
「食べさせてくれるの? じゃあまずは、ダイコン! ダイコンが食べたい!」
おでんを食べるとき、私はまずダイコンからと決めている。
味の染み込んだダイコンって、おでんの主役だよね。
私は密かに『おでん界の勇者』と呼んでいる。
なんてことをフランちゃんにも話したら、ツボに入ったのか身体をよじって笑ってくれた。
「ンヒャヒャヒャヒャ! ヒャーッヒャッヒャッヒャッ! おでん界の勇者って! じゃあダイコンは、リリーってことだね! ンヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! はいっ、リリー! あーんしてっ!」
いよいよ食べさせてくれるんだと思い、私は「あーん」と大口を開ける。
しかし、
……ジュッ!
「あっつぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
ダイコンが焼印のように首筋に押し当てられ、私は椅子から転げ落ちてしまった。
……ふ、フランちゃんも、おでんも、ダイコンも大好きだけど……。
真っ暗闇のなか、素っ裸で食べさせっこするもんじゃないよね……。




