ベル
ログハウスの玄関ドアを颯爽と開けると、誰もいなかった。
居間のほうから、ビシビシとなにかを打ち据える音が響いてくる。
あんまり新婚さんの家でする音じゃないので、私はさっそく不安になってしまった。
おそるおそる居間に向かってみると……そこにはベルちゃんがいた。
「あっ! おかえりリリー!」
ハツラツとした声で迎えてくれたベルちゃんは、新妻というよりトレーニング中の拳闘士のようだった。
居間のダイニングテーブルや椅子、ソファまでもが全部取っ払われていて、なにかサンドバッグのようなものが天井からぶら下げられている。
どうやらベルちゃんはこのサンドバッグを打っていたようで、汗だくになっていた。
「……ただいまベルちゃん。トレーニングしてたんだね」
すると、予想もしなかった答えが返ってきた。
「ううん、料理してたんだよ」
「えっ」
ベルちゃんは呆気に取られる私をよそに、サンドバッグ打ちを再開する。
彼女の鋭いパンチやキックで揺れていたソレは、よく見ると肉の塊だった。
「シュッシュッ! おいしいなあれ、おいしいくなあれ! ……こうやって、お祈りしながら肉を叩くとおいしくなるんだ! おいしいなあれ、おいしいくなあれ、ってね! シュッシュッ!」
……『おいしくなあれ』なら知ってる。
シロちゃんが料理の仕上げのときに、いつもやってるヤツだ。
彼女の場合は『おいしくなってくださいね』だし、それにやってるところを見られるとすごく恥ずかしがる。
多少の違いはあるけど……って、ぜんぜん違う!
いまベルちゃんがやっているソレは、シロちゃんのソレとはとてもイコールで結びつけられるような行為ではなかった。
そもそも天井からぶら下げた生肉をブッ叩くなんて、初めて見る調理法だし。
いや、肉を叩くのはシロちゃんもやってたか……って、ぜんぜん違うって!
「リリーも手伝ってよ! それにこれ、やってみると案外楽しいんだ!」
私の思いをよそに、ワイルド調理に誘ってくるベルちゃん。
「……楽しいの? まあそれなら、やってみようかな……」
私は見た目の印象や他人から聞いたことよりも、自分の体験を優先する。
何事もやってみなくちゃわからないしね。
「こ……こう? しゅっしゅ!」
私はベルちゃんのマネをして肉をポカポカ殴る。
「い……いったぁ~!」
手首がしびれてしまった。
「ああ、そんな殴り方じゃ手首を痛めるよ。見てて、こうやってフットワークで位置と距離を保って、身体の正面から拳を押し出すようにして殴るんだ」
ベルちゃんは足を使って肉の周りをグルグルまわりながら、小気味よいパンチで打ち据える。
ビシビシと打たれた肉は、ミントちゃんが乗っているブランコのようにわんぱくに揺れた。
それがまるで敵の動きであるかのように回り込み、さらに打つべし打つべし。
私は「おお~」と唸ってしまった。
つい感心しちゃったけど、拳闘のトレーニングを見るのはこれが初めてじゃない。
イヴちゃんも拳闘をやってて、たまにそのトレーニングを見るんだけど……彼女のソレとはだいぶ違ってなんだかスマートだ。
蝶のように舞い、蜂のように刺す……!
これぞまさに『拳闘』ってカンジ……!
イヴちゃんが拳闘のトレーニングをしてるところを、ミントちゃんとふたりで見てたことがあるんだけど……ふたりして「ゴリラのケンカみたーい」と感想を述べたら追いかけ回されたことがある。
それはさておき、私はベルちゃんに教わったことを心がけながらサンドバッグ打ちならぬ肉打ちを再開する。
ベルちゃんとふたりで肉のまわりを行ったり来たりして、バシバシ殴った。
「……へへっ! あたしの村ではこうやって、夫婦で肉を仕込むんだよ! ふたりでやるのは初めてだけど……思ったよりぜんぜん楽しいや!」
私も彼女に同意見だった。
なんだかふたりで共同作業してるみたいで面白い。
それに身体を動かしているせいもあって、気持ちがどんどん高ぶってくる。
「うん! 私もとっても楽しい……! しゅっしゅ! おいしくなあれ、おいしくなあれ!」
私は息を弾ませながら、ベルちゃんに笑顔を返すと、その倍の笑顔が返ってきた。
「よぉーし! じゃ、リリー、もっとペースをあげていこうか! シュッシュッシュッシュッ! おいしいなーれ、おいしくなーれっ!」
「うんっ! しゅっしゅっしゅ! おいしくなーれ、おいしくなーれっ!」
私とベルちゃんのおまじないは、それからしばらくのあいだ続いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「よぉーし、もうこのくらいでいいよ!」
ベルちゃんは大きく揺れる肉の塊を手で押さえながら、そう言った。
瞬間、私は「はぁーっ!」と大きく息を吐いてへたりこむ。
こんなに休まず身体を動かし続けたのは久しぶりだったから、足腰に来ちゃった。
でもベルちゃんはすごいなぁ。
私以上に動いたはずなのに平気な顔で立っていて、もう息が整いつつある。
グロッキーな私に向かって、彼女は申し訳なさそうに言う。
「リリー、悪いんだけどさ、外から薪をふた束ほど持ってきてくれないかな? 少し休んでからでいいから」
「ふぁ……ふぁーい」
私は身体をひきずるようにして居間を出る。
ベルちゃんは休んでからでいいと言ってくれたけど、彼女はぜんぜん休んでないから負けられないと思ったんだ。
台所の勝手口からフラフラと外に出て、少し離れている倉庫に向かう。
積み上げられている薪の上に猫が寝ていたので、少しだけかまってから両脇に薪を抱えてからベルちゃんとの愛の巣へと戻った。
勝手口を開けるともうもうと煙が吹き出してきたので、私は心臓が止まりそうになる。
「わああっ!? ま、まさか、火事っ!? べ、ベルちゃん!? ベルちゃーんっ!!」
火事のときは飛び込んだりしちゃいけないんだけど、その時の私はベルちゃんのことが心配で無我夢中だった。
名前を呼びながら煙をかきわけていくと……そこには信じられない光景が広がっていたんだ。
吊り下げられている肉の下には焚き火台が置かれていて、その上でメラメラと火が燃えている……!?
火のそばにいるベルちゃんは驚く様子もなく、「もうちょっと火が強いほうがいいかな~?」なんて言っている。
「うわあっ!? なにやってるのベルちゃんっ!?」
「あっ、リリー、薪を持ってきてくれたんだね。用意してた分じゃ足りないところだったから、ちょうどよかった」
あいた口が塞がらない私の元へと小走りで寄ってきて、薪を持っていくベルちゃん。
さっそく焚き火にくべ、さらに火勢を強くしていた。
「あ、あの……ベルちゃん、いったいなにをやっているの?」
私はふたたび尋ねる。
自分で判断してよいなら、放火しているようにしか見えなかった。
「えー? なにって、肉を焼いてるに決まってるじゃん」
まるで常習犯のように、事もなげに答えるベルちゃん。
「あ、あの……ベルちゃん、知ってると思うけど……ここ、家の中だよ……?」
「そのくらい知ってるよ! 故郷のムイラの村では、こーやって家の中で肉を焼くんだよ! 煙でいぶされて、おいしくなるんだよねー!」
ムイラの村なら、私も一度だけ行ったことがある。
たしか村の家はどれも、岩をくり抜いて作ったヤツだったような……。
「あ、あの……ベルちゃん、知ってると思うけど……ここ、木の家だよ……?」
私はふたたび尋ねる。
自分で判断してよいなら、焼死自殺を図っているようにしか見えなかった。
すると、ベルちゃんはクルッとこっちに振り向く。
「……リリー、もしかして、この家が燃えちゃうんじゃないかって心配してる?」
私は高速で首を縦に振りまくる。
「だーいじょうぶだって! 村にいるときは何度もやってきたし、それに、これはいいお嫁さんの条件でもあるんだよ!」
「い、いいお嫁さんの条件って……?」
いいお嫁さんなら、そもそも木の家でこんな肉の焼き方をしないんじゃ……?
しかしベルちゃんは星の出るようなウインクをしたあと、こう言ったんだ。
「肉を焼くなら家で焼け、肉は焼いても家焼くな、ってね!」




